〜漣〜
―二十章―
「時に支配されない世界・・・?」
夕璃は聞き慣れない言葉に困惑した。
さっきからわからない事だらけだ。夕璃は自分の身に一体何が起こっているのかさっぱり理解できずにいた。
「そう、『刻』に支配されない・・・わかりやすく言い換えれば、時間に縛られない世界さ」
少年はさらりと言ってのける。わかりやすく、と言っているが、夕璃には相変わらず理解ができない。
夕陽はほとんど沈み切り、夕闇が頭の上に静かに舞い降りてきていた。
まだわずかに薄明かりの残る空に、一つ、二つと少しずつチラチラと星達が瞬き始める。
「・・・今の君になら理解できるんじゃないかな?『18年前に出会った』と言った意味が」
夕璃が落ち着くのを待っていたかのように、しばらく夜空を見上げていた少年が夕璃へと視線を戻す。
その視線は先程までと異なり、優し気な光を湛えていた。まるで、兄妹や恋人・・・自分と共有できる何かを持っている者に向ける視線。
「・・・さっきの・・・イメージ?」
夕璃はいまだ理解できずにいたが、直感的にはあれが過去の記憶ではないかと思い始めていた。
幻覚と言うにはあまりに全てが生々しすぎる。あの風を切る肌の感覚。徐々に増していくスピード感。薄れていく意識。
一瞬浮かんだだけのイメージだが、よく思い出してみるとあの風景はここから見た景色に似ている気がする。
「でも、でも、そんな事が・・・」
「・・・君は輪廻って信じるかい?」
「えっ?」
少年が急に話題を変えたので、夕璃は驚く。が、まだ頭の中はひどく混乱してはいたが、自分に理解できる話題に夕璃は不思議と少しだけ落ち着く事ができた。
「輪廻って・・・輪廻転生の事?魂は普遍で、生まれ変わるって、あれ?」
夕璃はどこかで読んだ覚えのある記憶をかろうじて引っ張り出してきた。
が、その考えもどこか宗教的でうさんくさく、安易に信じる事などできるはずもない。読んだ当時は一笑に付した覚えがある。
しかし今は先程の考えがまだ頭に残っている為か、あの時ほど信じられない訳でもない。
が、そんな自分でもはっきりと理解できないような考えを追い払うように、夕璃は必要以上に否定してみせた。
「もしかして、貴方と私は前世で会ってるから18年ぶりの再会だっていうの?そんな、バカバカしい・・・」
「バカバカしい、か・・・それじゃ、『歴史は繰り返す』という言葉、知ってるかい?」
少年はまた脈絡なく話題を変える。まるで夕璃を翻弄するのが目的のように。
「・・・貴方の目的は一体何なの?一体私をどうしたいの?」
「ははっ、そんなに警戒しないでいいよ・・・といっても無理か。別に僕は君をどうこうしたい訳じゃない」
そこで少年は一呼吸おいた。
「前にも言った事があるけど・・・君がどうするか、決めるのは君自身さ。ただ僕は、君が決定するために必要であろう情報を提供するだけ」
「私自身が決める・・・」
確かにどこかでそんな言葉を聞いた気がする。いつだったか、今はまだはっきりとは思い出せずにいるが。
「堅い話は抜きにしよう。ま、物事には順番があるって事。ま、僕にとってはその順番すら今じゃ意味を持たない事も多いんだけどね・・・」
少年は少し寂しげに微笑む。その様子はどこか自嘲気味にも見えた。
「・・・必要な事はちゃんと全部説明するよ。さっき君が見たイメージについても、ね。それは約束する。でも、いきなり真相を話してもきっと理解できないだろうから・・・この世の誰にも。だから前置きが必要なんだ」
何か騙されている気もするが、夕璃は少年の話に少しだけつきあう事にした。
何より、自分一人ではあのイメージについて明確に理解できるだけの説明ができそうにはなかったというのも理由の一つではあったのだが。
この時夕璃は、何故少年があの幻覚という以外に説明のつかないようなイメージについて知っているのかという疑問に、気付く事はなかった。
だから、夕璃は少年の問いかけに素直に応じる事にした。
「・・・人間は同じような事を繰り返す、って事?人類の歴史から、いまだに戦争がなくならなかったみたいに・・・」
「そう、一般的には、ね」
一般的には、を強調するように言うと少年は、クスリ、と悪戯っぽく笑った。
「一般的に?」
少年の不思議な言い様に、夕璃はまた混乱しかけた。少年が言った言葉をただ繰り返す。
「そう、一般的には。普通の、時間に縛られた人間の考え方ではそれが限界だからね。でも、真実は違う」
少年は慎重に言葉を選ぶように話し始める。
「非常に稀にではあるけど、歴史の繰り返しに気付く人間がいるんだ。違う人間が繰り返す近似の歴史じゃない、『同じ人間が繰り返す』歴史について気付く、ごく稀な人間」
一体何を言おうとしているのか夕璃にはてんで見当もつかなかったが、沈黙をもって少年に話の続きを促す。
少年もそれをわかっているかのように続ける。
「身近な話をしようか。『デ・ジャヴ』というのを聞いた事位あるだろう?行った事すらないはずの場所、見た事すらないはずの物を見て以前に見た事があるように感じるあれさ。君も一回位はどこかで体験してるんじゃないかな?世間ではそれを、記憶の混乱が引き起こす錯覚だと言ってるけど、実際は違う。あれは僕に言わせれば、『本人が実際に体験した過去の記憶』がなんらかのきっかけで甦る現象なんだ。ただ、それを普通の人は実体験として捉えられない・・・捉えられる訳もないんだけど・・・から、結局錯覚としか分類できない」
「・・・どういう事?」
夕璃の混乱が更に深まる。
確かに先の『刻に支配されない世界』等という抽象的な言い様から比べれば、一つ一つの話は随分と理解しやすくなってはいる。が、総体として、全体像がまったくつかめない。
が、少年は構わぬ様子で更に続ける。
「さっき、輪廻の話をしたろう?あれだよ。普通輪廻といったら、前世があって、現世があって、来世がある。それが未来永劫続いていくように語られているけど・・・そうでなく、本当の輪廻の姿というは・・・少しショックかもしれないけど、実は同じ世界をずっと回り続ける事なんだよ」
「!!」
夕璃は息を呑んだ。
とても理解できない。この少年は狂っている、そう思うより他になかった。
「今、僕の事を狂っている、そう思ったろう。それは当然だと思う。実際僕も『鈴音』に教えられた時はショックだったし、発狂しそうにすらなった」
「す・・・ずね?」
聞きなれない単語、しかし今までの話の中では一番現実味を帯びている名前らしき単語に助けを求めるように、夕璃はつぶやいた。
「そう、鈴音。僕にこの世界の事を教えてくれた小さな女の子だよ。そういえば君も、一度会った事があるはずだけど・・・」
かすかな違和感。
少年はその鈴音という名の少女について、名前以外には何も話してはいない。なのに夕璃は確かにその少女に会った事があるという確かな確信に近いものを感じていた。理由はまったくわからないが。
会った事があるという確かな記憶もないのに、会ったはずだという確信だけが存在する。
その違和感に夕璃は得体のしれない気分の悪さを覚え、頭を抱え込む。
「話を元に戻そうか。そんな世界の同一性、再現性に気付いてしまった一部の人達が教訓として残してくれた言葉、それが『歴史は繰り返す』って言葉なんだよ」
「歴史は・・・繰り返す・・・」
確かに今まで過去から未来へと至る直線上を、戻る事なく連綿と続いていると信じ続けていた時間が、一夜にして違うだと悟ってしまったら・・・そして未来に対して持っていた希望が、所詮同じ人生の繰り返しでしかないという絶望に打ち砕かれたとしたら・・・今の夕璃がそんな心境だった。
そんな荒唐無稽な話を信じられる訳がない。いや、信じたくなかった。もし信じてしまえば、自分は今ここで仮に自殺したとしても、また同じ人生を歩み、また同じ過ちを犯し、そして再び・・・いや再びどころではないのかもしれないけれど、親友を失い、信じていた人に裏切られ、そしてまた死への旅路につくという無限地獄を行き続けなければならない事を認めてしまう事になる。そんな人生に一体何の意味があるというのだろう。いや、今となっては認めざるを得ないのかもしれない。先のイメージは、明らかに自分が飛び降りた後の映像だ。今となってはそう確信できる気がする。だとすれば、確かに自分は同じ人生を歩んできて、そして今、同じ結末を迎えようとしている。絶望的だった。
「・・・もちろん、同じ世界と言ってもまったく同じじゃあない。わずかに、ほんのわずかにだけどいつも違う。誰かのほんのちょっとした言葉使いだとか、時間にしてコンマゼロ何秒程度のタイミングの差。形はどうあれそういった微妙に違う何かがいつでも存在する。そしてそれが小さな波紋となって、徐々にではあるけれど、大きな誤差を生んでいく・・・そよ風の産んだ漣が、やがて大きなうねりとなるように、ね」
「さざなみ?」
「そう。僕はそいつをそう呼んでる。歴史をわずかに変えていく存在。そしてそれは、偶然起きる事もあれば、意図して起こす事も出来る。そよ風がないからといって諦めずに、うちわで扇いでやるとかして、ね」
「歴史を・・・動かせるというの?」
夕璃は今となっては何を言われても驚く気がしなかった。もしかしたら、自分もこの少年のように気がふれてしまったのかもしれない、そう思いもしたが、それならそれでも構わなかった。親友を救う手を差し伸べるどころか、自分のやっかいごとに巻き込んだあげく、命を奪ってしまった大バカ者にはお似合いだ、そう思った。
少年は、夕璃の問いかけに対して軽く首をふった。
「そんな大それたモンじゃない。ただ静かな水面に漣を起こしてやるだけだよ。それがどういう結果をもたらすのか、誰にもわからない。だから・・・」
そこまで言ってから少年は、この先を言うべきかどうか悩んでいるようだった。
「だから・・・何?今更何を言ったって同じでしょ?同じ運命、同じ人生から抜けられないのなら、この結末は決まっているんだから」
夕璃は急に歯切れの悪くなった少年に先を続けるよう促した。結局この先近いうちに自分は死ぬ運命にある、そんな考えが夕璃を半ば以上自暴自棄にさせていたのかもしれない。
「・・・まさか、こんな結果になるとは夢にも思わなかった」
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<続く>