〜漣〜
―第十五章―
夕璃は走っていた。
ただひたすらに。
その手には何か紙切れのようなものを握っている。力の加減ができていないせいで、それは大切な書類なのか、ただのゴミくずなのかすら判別できない。
信じられなかった。何もかもが。
確かめなければならないと思った。自分が関わっている真実を。いや、確かめなければならなかったのは事実だったかもしれない。
事実と真実は違う。自分の知っている真実と、今知らされた真実とはあまりにもかけ離れすぎていた。
『紗江は、昨日・・・いや、正確には一昨日と言った方がいいのか?・・・トビオリをしたんだ』
龍一は先程の沈痛な面持ちすらなくし、とつとつと語り始めた。自分の娘が死んだという事実を、まるで他人事のように語る。
『学校側には、とりあえず転校って形をとらせてもらった。体裁ってもんがあるんだろう、1も2もなく承諾してくれたよ。皮肉なもんだね』
自分の学校から飛び降り自殺者が出た、なんて風聞がたてば、学校にとって致命的にイメージダウンにつながりかねない。ことにこの少子化の時代、一定以上の学生数を確保するのに必死な学校にしてみれば、ありがたい申し出だったのだろう。
『警察は、一応自殺の線で調査してる・・・っと、私も警察の人間か』
そこで龍一は、ハハッと久しぶりに人間らしい笑みを見せる。ただそれは自嘲ともとれる、乾いた笑いだった。
『ただ、ここ一連の事件性から見て、他殺の線も捨てきれない状況だ・・・むしろ私はこっちだと思ってるがね』
自分の娘が自殺する程思いつめていたと、それを見過ごしてしまっていたのだと思いたくないのだろう。親バカとも親としても責任放棄ともとれるかもしれないが、夕璃もその意見には賛成だった。紗江ほど自殺に縁のない人間もいないだろうと心から思う。
『私も職務があるし・・・上からは休んでもいいとは言われたがね・・・転校って手続きをとった手前、大々的に通夜だ葬式だってできないから、娘には申し訳ないんだがそういうのはなしにさせてもらった・・・自分自身、まだ紗江の奴が死んだと思いたくないのかもしれないね・・・』
そこまで語ると、龍一は口にくわえていただけのタバコを、結局もとの箱の中に戻し、空をあおぐ。夕璃もまた、つられるように空を見上げる。
空は無情にも、二人のやりきれない思いを写す事なく、ただただ春の澄んだ青がどこまでも深く深く広がっていた。
『・・・不思議に思ったろう?自分の娘が死んだってのに、こんなに無感情に話して』
ふと龍一が視線を落とし、問い掛けてくる。
確かに違和感はあったが、それよりも『紗江が死んだ』という情報の衝撃の方が大きくて、あまり気にはならなかった気がする。
『人間は、あまりに悲しすぎる出来事があると、心を閉ざしてしまったり、それを自分の事として受け入れられずに客観的にしか見れなくなるのかもしれない・・・大切な、自分の心が壊れてしまわないように・・・』
そこまで言うと、ふと思い出したように懐に手を入れ、何やら封筒を取り出す。
宛名も何も書いてない、白い封筒。それを夕璃の方へと差し出す。
『娘がいなくなった晩・・・といっても、見つけたのは朝だがね・・・に置いてあったものだ。最初は遺書の類かとも思ったんだが、『私に何かあったら夕璃に渡して欲しい』って書かれたメモが近くに落ちてたから、多分違うんだろう。まだ開封してないから、中身は知らない。ま、それで何かわかったら私に連絡してほしい。娘の、紗江の無念を晴らすためにも・・・頼む』
そう言うと封筒と一緒に名刺を押し付けるような形で、龍一は去っていった。これ以上娘の事を、今はまだ思い出したくないのかもしれない。
夕璃は一人取り残されるように龍一が去るのを見送っていたが、我に返り、手にしていた封筒を開封した。
中にはレポート用紙のようなものが数枚入っていた。そして、そこには夕璃にとってはとても信じられない事柄が書き綴られていた。
夕璃は走っていた。ただひたすらに。
激しい鼓動の音が耳につくが、そんな事にかまっている暇はなかった。
この紙面に書かれていた事が事実なのか、それを確かめるためだけに。
平日の昼日中、制服姿の女子高生が街中を全力疾走していくというのはあまりにも人の目を引いたが、夕璃は先程とは逆に人目など気にしてる余裕はなかった。
息も絶え絶えに、白く霞み始めすらした視界の中に、やっと目指す目的地が見えてくる。
校門は、すぐそこにあった。
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<続く>