〜漣〜
―第十四章―
どこにも行く当てはなかった。
気分が優れないのは事実だし帰宅しようかとも思ったが、家に帰ればまた親に心配をかけてしまうだけなのでそれも出来ない。
街をただ歩くのも、この前の記憶を引き起こしてしまいそうで怖かった。
いや、今はそれ以上に人の目が怖い。誰もが自分を笑っているかのように思えてしまう。
人間不信。疑心暗鬼。そんな言葉が脳裏をちらりと横切った。
結局、人目を避けるように閑静な住宅地を歩いていた。通勤、通学の時間帯でもなく、子供が外で遊ぶような時間でもない住宅街というのは、驚く程に人気が少なかった。今の夕璃にとってはその方がありがたかったのだが。
まるで夢遊病者かなにかのようにふらりふらりと足元もおぼつかずに歩いてたどり着いたその先は、紗江の家だった。いや、クラスに挨拶もできないほど急に転校しなければならなかったという事は既に引っ越しているはずだから、もう今は紗江の家ではないはずだ。
と、夕璃が足を止めるタイミングを見計らったかのように、家のドアがガチャリと音を立てて開いた。ただの偶然なのだろうが、夕璃は一昨日の事を思い、どきりとした。
中から現れたのは、壮年の男性だった。くたびれた背広を羽織り、無精ひげをだらしなく伸ばしている。が、そんな風貌とは対照的に、その眼鏡の奥の眼光は異様なまでに鋭かった。
夕璃はこの人物に見覚えがあった。
橘龍一。紗江の父親だ。刑事をしていると、夕璃は以前紗江に聞いた事がある。そのせいで出勤時間がまちまちなのだろうか、今日はこれから仕事に行く様子である。
そこで夕璃がある事に気付くのと、龍一と目が合うのがほぼ同時だった。
「・・・おや?」
龍一は何やら不思議そうな顔をして夕璃を見た。それはそうだろう。こんな時間に制服を着た高校生がこんなところを出歩いているのだ。学校をさぼったのだろうか、とか不審に思わない方がおかしいのかもしれない。まして相手は警察の人間である。下手をすれば問答無用で補導されかねない。夕璃が気付いたのもその点である。
「君・・・学校はどうしたんだい?」
危惧していた通りの言葉に、夕璃は身を硬くした。逃げようかとも思うが、身体が動かない。やはりこの前の恐怖も身体に残ってしまっているのだろうか。
「・・・なんてな。ははっ、そんなに怖がらなくてもいい。君は確か、夕璃ちゃんだったね?紗江から話はよく聞いてるよ。はじめまして」
と、最初に家から出てきた時以上の温和な顔になって話し掛けてきた。
顔や仕草などは全然紗江に似ていなかったが、人をいきなり驚かせる事が好きなその性格はそっくりのようだった。
「っと。聞いているといえば、確か・・・大丈夫なのかい?一人でこんなところをぶらついてて?」
「・・・大丈夫、といいますと?」
「・・・私も私なりに手は尽くしてるんだが、ヒラの刑事じゃどうにもね・・・」
夕璃の質問に答えたのか、はたまたただの一人言なのか龍一は頭をかきながらつぶやいた。夕璃は仕事の事で何か大変なのだろうと、追求はしない事にした。
龍一に対して、夕璃は不思議と初対面であるという意識がなかった。写真などで紗江に見せてもらった事はあったとはいえ、奇妙な気がした。やはり外見上は似ていなくても、どことなく雰囲気が紗江に似ているからだろうか、話しやすそうな人だという印象を受ける。
とはいえ、先程までの一件からまだ人の目を見て話す事に抵抗を感じ、どこともなく視線をさまよわせ、ふともう一つ不思議な事に気付いた。
「・・・あの。今、あの家から出てきましたよね?」
「うん?・・・あぁ、そりゃ自分の家だからね。当然だよ。知らない人の家から出てきたら、問題だろう?」
龍一は夕璃の視線を追ってから、冗談めかして笑った。
「もっとも、時々酔っ払ってしまって、隣と間違えてしまう事もあるんだが・・・その度に娘に怒られてしまってね。『後で謝んなきゃいけないのは私なんだからね!!』って」
えっ!?夕璃は少し混乱した。
確か学校の教師の話では、挨拶すら出来ないほど急な事情で紗江は転校せざるを得なかったはずだ。
が、目の前にいる紗江の父親は、いまだにこの家に住んでいるという。今日引っ越すにしても、その気配がまるで感じられない。
単身赴任で父親だけがこの街に残ったのだろうか?いや、父親の都合で家族が引っ越したり、父親だけが転勤したりという話は聞いた事があるが、引っ越すのに父親だけが単身赴任で残るなんて話は聞いた事がない。第一、紗江は父親と2人暮らしのはずだ。
混乱する夕璃を眺めながら龍一は複雑な表情をすると、懐からタバコをとりだし口にした。
「ふぅ・・・隠しててもいずれわかる事だろうし、夕璃ちゃんは娘の・・・紗江の親友だったから、先に話しておこうか・・・」
先程までのおどけた表情は微塵もなくなり、沈痛な面持ちで龍一は語り始めた。
「娘は・・・紗江は、死んだんだよ」
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<続く>