〜漣〜

―第十三章―

「あ、先輩!!」

翌朝、夕璃は少しだけ早く家を出て学校へ向かっていた。
両親は、もう一日くらい休んでもいいと言っていたが、尚哉に早くお礼をいいたかったし、何より一日でも早く紗江に謝りたかった。
こんな早朝に登校してくる生徒といえば、部活やら委員会といったなにかしらの「公用」のある生徒ばかりで、夕璃のように自由意志で来る生徒は珍しかった。
そんな中、学校の敷地内に入ったところで夕璃は尚哉の姿を見つけて声をかけた。

「・・・?」

尚哉はあたりを見渡し、夕璃の姿を見つけるとほんの一瞬だけ、今までに見た事のない表情を見せた。
一瞬、ほんの一瞬だけ。何か汚らわしい、イヤなものでも見るかのような視線。
が、次の瞬間にはすぐにいつもの柔和な表情に戻った。
気のせいかな?と夕璃は尚哉のもとへと駆け寄ると、カバンの中から紙袋に入れた例のYシャツを取り出す。

「おはようございます、先輩。この前は本当にありがとうございました」

言って、深々とお辞儀をする。

「・・・いや、いいんだよ。無事だったんだからね・・・」

と、尚哉は笑おうとして、顔を少しゆがめる。よく見ると、左頬のあたりが少しだけ腫れている。

「一体どうしたんですか?まさか、あの後やられちゃったとか・・・」

不安そうに尋ねる夕璃を、尚哉は手で制した。

「ははっ・・・たいした事ないよ。練習中にちょっとボールの当たり所が悪くてね・・・っと、それは?」

「いやだなぁ、先輩。先輩が私に羽織らせてくれたシャツじゃないですか。あ、ちゃんと母が洗濯してくれたから、大丈夫ですよ」

何が大丈夫なのかは言っている自分でもよくわからないが、とにかく尚哉の手の中に押し付ける。

「それじゃ私、まだ行かなきゃいけないところがあるんで・・・失礼します」

もう一度ペコリと会釈をして、夕璃は昇降口へ向かった。
この時間ではまだ紗江は来ていないだろうが、来たらすぐにでも謝りたかったから、教室でじっと待っているつもりだった。
と、背筋にゾクッとする視線を感じた。突き刺さるような、冷たい視線。
あわてて振り返るが、尚哉の方もすでに練習に行ってしまったのだろうか、そこにはもう誰もいなかった。

(最近、変な事が続いてたからなぁ・・・少し自意識過剰なのかも・・・)

何かぬぐいきれぬ違和感を感じながら、夕璃は校舎へと入って行った。
異変は、そこから始まっていた。最初は、下駄箱だった。

「つっ・・・」

指先に走る、鋭い痛み。
あわてて手を引いたために落ちた上履きからまかれた、金色の鈍く光る金属片。
見ると、ぷっくりと血が膨れ上がっている。
悪質な悪戯・・・一体誰が、と思いつつ上履きの中の画鋲をすべて取り出し、傷ついた指先をくわえる。
血独特の、イヤな鉄の味がした。
教室。
ドアを開けた途端愕然とした。
自分の席。机の上に一輪挿しに白い花が一輪だけ飾られている。悪質な、しかも低俗すぎる嫌がらせ。
壁にたたきつけてやりたい衝動にもかられたが、健気に咲いている花には何の罪もないと思い直して、窓際の棚に置き直す。
机の中。
見た事もないノートを見つけて、誰のだろうと中をのぞいてみると、1ページ目から夕璃に対する罵詈雑言が、筆跡もわからないくらいの乱筆で書きなぐられていた。それも、ノート丸々一冊分。
眩暈がした。少なくとも一昨日まではこんな事はなかった。一体どうして私がこんな仕打ちを受けなければならないのか。
早く誰かに相談したかった。紗江か、尚哉に。尚哉は今は部活の最中だろうから、邪魔はできない。一刻も早く紗江が登校してきてくれるのを願った。
が、紗江はなかなか現れなかった。いや、なかなか、ではない。始業のチャイムが鳴ってすら紗江が教室に姿を見せる事はなかった。
教室に担任が入ってきても、紗江の席は空いたままだった。今日は休みなのか、そう思っていた時、担任が信じられないような事を言い出した。

「あー、突然だが、昨日限りで橘が転校する事になった。詳しい事情は話せないが、あまり急な話だったせいでみんなに挨拶もできずに行ってしまったらしい。仲間が減ってしまって非常に残念ではあるが・・・ま、そういう事だ」

紗江が転校!?
夕璃は目の前が闇に包まれたような想いにとらわれた。
謝れもしなかった。仲直りもできなかった。そして今朝突然のように始まった嫌がらせ。こんな事を相談できるのは紗江だけだったのに・・・
その後の授業など、完全に上の空だった。
休み時間などに教室内でくすくす笑う声が聞こえると、自分が笑われているような気がしてならない。
そして、一昨日までとはまったく違う、クラスメイト達の好奇に、もしくは嫌悪に満ちた視線。
夕璃はたった一日で、自分のまわりは全て敵になってしまったような錯覚を覚えていた。
自意識過剰だと、被害妄想だと思おうとしても、どうしても無理だった。
自分が、一人ではこんなにも弱い存在だと言う事を思い知らされているかのようだ。
思い返せば例のストーカーの事だって、真っ先に紗江に話していた。紗江がいたからこそ、あんなに強気で振舞っていられたのかもしれない。
二限目が終わる頃、夕璃はとうとう耐え切れなくなって・・・学校を早退した。

<戻る> <目次に戻る> <続く>