〜漣〜

―第十六章―

時刻は既に夕方にさしかかろうとしていた。
弱々しい春の日の残照が、辺り一面を紅く染め上げ、そして徐々に降り始めた夜の帳がその上に覆い被さり、夕日の赤を薄暗くしている。
まるで、血の色のように。
肌寒い夕暮れの風が吹き抜ける学校の屋上で、じっと遠くを見つめながらたたずむ人影。
まるで人形ででもあるかのようにピクリとも動かないが、わずかながらに上下する胸が、その人影が呼吸をしている事を・・・人形ではない事を示していた。

ガャギィーー

耳障りな音を立てて錆び付いた鉄扉が押し開けられる。扉の中は、一足先に闇の世界がその姿を現しているようであった。

「・・・で、俺に何か用なのか?」

不機嫌である事を隠そうともせずに、中から現れた男がつぶやく。一昨日まででは決して口にしなかった、突き放したような、ぶっきらぼうな言い方。
対する人影は、いまだに微動だにせず、声が届いているのかさえ怪しかった。

「用がないなら、俺は行くぜ・・・まったく、バカにしてる」

先ほどとはうって変わって強い口調で吐き捨てるように言うと、人影に背中を見せその場を去ろうとする。

「・・・昨日、紗江が・・・私の親友が、一昨日死にました」

人影・・・少女はゆっくりと扉の方へと振り向きながら言う。
男の方も少女の言葉に多少なりと興味を示したのか、扉に手をかけたままその動きを止める。

「ほぅ・・・それは御愁傷様だね。で、なんでそんな事を呼び出してまで俺にわざわざ言うんだ?不愉快にさせるためか?」

男の表情は逆光にあってよくは見えないが、いびつにゆがんでいるようにも見えた。笑っているのか、怒っているのか定かではないが。

「・・・そぅ・・・ですか・・・」

心底残念そうに少女がつぶやく。その語尾は風に乗り、夕暮れの空へ溶けるかのように消えてゆく。
しばしの沈黙。少女も男も動かない。ただ、風の舞い上がる音だけが聞こえてくる。

「・・・高岳由綺、さん・・・安倉宏美、さん・・・鷹野優、さん・・・」

先に沈黙をやぶったのは、少女の方だった。何か意味があるのか、人の名前らしきものをポツリポツリと語り始める。その口調に、感情はない。
ピクリ、と男の表情が動く。が、相変わらず表情は見えず、次に男が振り返った時、男は何気ない表情を保っていた。

「何を言ってるんだ?俺に関係ない人間ばかりじゃないか。そいつらが、一体どうしたっていうんだ?」

「・・・関係ないと、言い切れますか?そこまで強く、関係ないと、言い切れるものなんですか?」

初めて少女の口調に強い意志が現れる。
知りたくない事、しかしどうしても知らなければならない事。苦悶の質問。
少女の心は、宙空に張られた一本のテグスの上を目隠しして歩いているように不安定に揺れ動いていた。

「・・・それでは、質問を変えさせてもらいます。先週月曜の夕方6時頃、何をしてましたか?」

「答える必要はない」

質問に何かの意図を感じ取ってか、男は苦々しく顔をゆがめた。
いや、呼び出された時点で何かを・・・それが何かは男には痛いほどよくわかっていたが・・・問いただされることはわかっていた。単にそれが表面化してきただけの事だ。

「それなら、いいです。質問はこれで終わりにします。お手数をおかけしました・・・」

少女は何か諦めにも似た表情を浮かべて、屋上を去ろうとする。
更に問い詰められるだろうと身構えていたにも関わらずあっけなく途絶えた質問に、扉の前に立ち止まったままの男の横をすり抜ける時、かろうじて男に聞こえる程度の小声でこうつぶやきながら。

「・・・私はこれから警察に行って、私の知っている事を全て話してきます」

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