〜漣〜
―第十章―
街を行く人々が長い影を引き連れ始める頃、夕璃は一人足早に急いでいた。
どこに行く当てがある訳でもない。昼間の事がいまだ腹立たしく、思うに任せて街中を闊歩していただけだ。
自らの怒りを地面にたたきつけるかのような勢いで歩く夕璃の姿に、街行く人々は奇異な目を向けていたが、当の夕璃自身はそんな事はどうでもよかった。
(なんで・・・なんであんな事言われなきゃなんないの・・・?)
学校を飛び出した当初に比べたら冷静になったとはいえ、完全に怒りが収まったとは言い難い。なまじ親友だからこそ、余計に腹立たしいのかもしれない。
(確かにサエとは何でも言い合える仲だったけど・・・)
でもやはり、人の恋路にまで口をはさんで欲しくは無かった。
少しずつではあるが、今回の事件をきっかけに尚哉との距離が縮まりつつあった。そのうまくいってる時に、いきなり理由も言わずに『別れろ』等と言われれば腹も立つし、もしかして紗江も?、等と邪推もしてしまう。
(・・・理由?)
いきなり天啓のように閃いたその言葉は、今までカッカしていた頭を冷静にするには十分だった。夕璃は足を止めて考え込む。
あの時の会話をよく思い出してみる。
確かに紗江は、理由も言わずにいきなり結論から突きつけてきた。でも、それにこそ『理由』があったのではないのか?
考えてみれば、夕璃は紗江に理由を話す隙すら与えずに飛び出してしまっていた。もしその場にとどまっていたら、紗江はきちんと納得のいく理由を話していたのかもしれない。
今理由抜きに結論だけつきつけられて冷静さを失った私だ。理由から話していたらそれ以上に頭に血を昇らせるだろう事が、話が結論にまで達する前に中断されてしまう事が、紗江には予想できていたんじゃないのか?紗江との付き合いは深い。長いというよりも深いといった方がいい。その位の事はわかる仲のはずだった。
冷たさを増し始めた初春の夜風が頭を冷やしてくれたのかもしれない。夕璃はいままで子供みたいに一方的に腹を立てていた自分が恥ずかしくなった。
(バカは私だ・・・)
紗江はいつだって私を助けてくれていた。今回の事に限っても、わざわざ逆方向と言ってもいい自宅まで送ってくれたり、いろいろと相談に乗ってくれたりしてるじゃないか。
(・・・明日、ちゃんと謝んなきゃ・・・)
反省と自己嫌悪に包まれた夕璃の中で、何かが警鐘を鳴らしたような気がした。
気が付くと時刻は夕暮れ・・・いや、もう夜といっていい時間。あのストーカーまがいの事があってから、こんな時間に一人でいるのは初めてだ。
しかも見た事もないような裏道に、いつのまにか入り込んでしまっていた。周りが見えなくなるほど怒りに我を忘れていたらしい。
と同時に悪寒にも似た恐怖が、足元からじわりじわりと這い上がってくる。人通りのない裏道。時刻は夜。闇に包まれた世界。随伴者もいない。『奴』が襲うとしたら絶好の機会ではないか。
嫌な考えを振り払うように夕璃は大きくかぶりを振ると、慌てたように人通りのある大通りへと走り出した。
「・・・どこに行くのさ?」
と、数歩も進まないうちに夕璃の進む方向から声がかかる。まるで聞き覚えの無い、柄の悪そうな声だった。
街灯の明かりも届かない中よく目を凝らすと、暗がりの中に3人程の人間が、まるで夕璃の行く手を塞ぐかのように立っていた。
「なぁなぁ、こんなとこふらついんてるくらいなんだからよ、暇なんだろ?俺たちと遊ばねぇか?」
最初の一人とは違う男が、言いながら少しずつにじり寄ってくる。
こんな場所で、こんな時間に、こういう男達が口にする「遊ぶ」の意味くらいは、さすがの夕璃にもわかった。緊張に身を強張らせながらも、なんとか逃げ出せる隙はないかうかがう。
互いの距離を保ったまま、少しだけ後方・・・人通りの無い方向・・・へと移動する。それは夕璃の望むところではなかったが、前を塞がれてしまっている夕璃には選択の余地はなかった。3人もの男をすり抜けていけるほどの器用さも腕力も、ただの女子高生にすぎない夕璃には当然ない。
カラン
誰かが道に落ちていたカンでも蹴ったのだろうか、そんな音がしたかと思うと、それに弾かれるように夕璃は振り向きざまに全速力で駆け出していた。
ハァハァ・・・鼓動の音が耳の奥でうるさいくらいに鳴り響き、肺が新鮮な空気を求めて激しくあえいでいる。先ほどまで無茶な歩き方をしていたのがたたったのか、疲労で足が思うように動かない。しかしそれでもなんとか逃げ出したい一心で走りつづけた。
が、無情にもその行為はすぐに途切れる事になる。
目の前に立ちはだかる、そそり立った壁。夕璃は見事なまでに袋小路に追い込まれてしまっていた。
「へへっ・・・もう逃げられないな」
男達はすぐに追いついてきた。元々の疲労の濃い夕璃に比べると、息もそれほどあがっていない。
「こんなとこまでくりゃ、少しぐらい騒いだって誰にも聞こえやしねぇな。逃げるふりして、案外俺達を誘ってたんじゃねぇのか?」
一人がそんな事を言うと、残った二人も下卑た笑いをあげながら夕璃を取りまく包囲をじりじりと狭めてくる。
(まるで、何かのドラマみたい・・・)
あまりに現実味のない場面に遭遇して、他人事のように夕璃は感じていた。
そう、こんな時ドラマとかなら、泣き叫びながら抵抗するヒロインを助けるために、騎士のように颯爽と助けが現れるのよね・・・
が、現実はそう甘くはない。一人の男が夕璃の手をつかむと、無理矢理引き寄せた。他の2人も自由を奪うために身体を押さえつける。男に3人がかりで組み伏せられた状態から逃げ延びる技やら力など、やはり夕璃は持ち合わせていない。ただ闇雲にもがくのが精一杯だった。
ふと一人の男の手がYシャツの胸元をつかむと、思い切り下にその手を引きおろす。ボタンが弾け飛び、ビリッとマンガの中の擬音のような音を立ててシャツが引き裂かれ、夕璃の肌が暗闇の中に白く浮かび上がった。
(ここまで、かな)
諦めにも似た気持ちで冷静でいられる自分がおかしかった。これは親友を信じられなかった自分に対する罰であるような気がした。
ただ、初めての相手がこんな顔も知らないような、最低の相手だという事に悔し涙が止まらなかった。
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<続く>