〜漣〜

―第一章―

「ゆ・う・りっ」

「あっ、サエ。おはよう」

朝の挨拶をかわしながら、高校生達がなだらかな坂をゆっくりと登って行く。
まだまだ肌寒い風が制服の上からコートを羽織った生徒達の間を吹き抜け、まだ春は遠い事を知らせる。
登校時間としては少し早いこの時間、生徒の数もまばらな中で時羽夕璃は親友の橘紗江に肩を叩かれて振り返った。

「今日はずいぶん早いのね。はっは〜ん、さては何か御目当てでもあるのかなぁ〜?」

わざと意地悪い言い方をした紗江に、夕璃は少し困った顔をした。

「そっか。確か今日はサッカー部の朝練あるもんねぇ。うんうん、そうかそうか」

「ちょ、ちょっとやめてよ、もう。そんなんじゃないったら」

だんだんと調子に乗ってくる紗江に、夕璃は慌てたように否定した。このまま放っておいたら、紗江はどこまでエスカレートするかわからない。
頬を少しだけ紅潮させた夕璃が辺りを確認すると、予想通り通り過ぎていく同級生達がくすくすと小さく笑っていた。

「もう、また笑われちゃったじゃないの」

夕璃は紗江に向かってわざとむくれてみせる。紗江はペロっと小さく舌を出し、

「ごめんごめん。またちょーっと調子に乗っちゃったかな?」

少しも悪びれた様子もなく謝る。仕方ないなぁといった感じで夕璃はそれを見つめ、軽く息を吐いた。そういうちょっとしたやり取りにも、この二人のつきあいの深さが感じられる。

「それよりさ、夕璃知ってる?」

「ん?何よ、今度は?」

紗江がこういう言い方をする時は、決まって何かの情報を手に入れた時だ。しかも、公には決して漏れてこないような極秘情報である事が多い。父親が刑事である紗江は、時々こういう情報をつかんでは夕璃に話してくる。

「昨日さ、一人のジョシコーセーが飛び降りしたんだって」

「・・・最近多いよね。ホント、いやんなっちゃう。でも、それ自体別にありふれた事じゃないの?」

夕璃の言う通り、確かに最近若者の自殺が多発している。その数の増加は目に見えて多い。
これ以上朝から暗い話題を続けられないように、夕璃はいかにも興味なさそうに言う。すると紗江はその予想通りの反応に満足したのか、嬉しそうに笑った。

「いやいや、それがね・・・」

ここまで言うと、紗江は声をひそめる。ついつられて夕璃も身を乗り出してしまう。

「・・・その飛び降りたコってのがさ、この街・・・っていうか、うちの学校の生徒なんだって。親御さんのたっての希望とかで新聞にも載らないみたいだし、学校側でもそのコは転校って対応をするらしいけど・・・って、あれ!?」

紗江がふと気付くと夕璃の姿がない。夕璃は少なからずショックを受けたのか、何時の間にか立ち止まっていた。

「何よ、急に立ち止まんないでよ。私一人で話して、バカみたいじゃないの」

「・・・あっきれた。おじさん、そんな事まで紗江に話しちゃう訳?」

顔を大きく手で覆い、少し離れた紗江にもわかるように大袈裟すぎるくらいにはっきりとため息をつく。どうやら話の内容よりも、話の出所の方にショックを受けていたらしい。

「いいじゃない。親娘のコミュニケーションよ」

「・・・随分とゆがんだコミュニケーションだこと・・・」

もう一度深くため息をつくと、夕璃は紗江に追いつくために歩を進めた。
と、まだ冷たさの残る風に乗って、校庭で部活をしているであろう男子生徒たちの活発な声が聞こえてくる。

「あっ、ほらっ夕璃、早く行かないとサッカー部の朝練、終わっちゃうよ」

「だから、違うってのにぃ〜・・・」

夕璃の手をつかんで走り出す紗江に引きずられるような形で、夕璃も校門までの短い坂を駆け出した。
時羽夕璃のいつもと何も変わらないいつも通りの朝は、こうして始まった。

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