〜漣〜
―序章―
この小高い高層ビル群が立ち並ぶ街並みにおいては希有な事に、はるか遠くまで見渡せるビルの屋上にひとつの人影があった。
その人影は危険きわまりない屋上の縁にじっと立ち尽くしている。そのシルエットは、暮れ掛けた夕日が足元に長く伸ばしている影のせいか、奇妙なほど小さく、はかなく見えた。
立春を過ぎたとはいえまだまだ肌寒い夕方の風が下から立ち上り、その人影・・・少女のスカートのすそとセーラー服の襟元をばたばたとはためかせる。
少女は一度足元を確認するようにのぞきみて、ごくりと喉をならす。ちっぽけな勇気がくじけそうになるが、やっとの思いでここまで来たのだから、せっかくなんだから、と強引に自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟いた。
「また、くじけるのかい?」
突然背中から声をかけられ、少女はぎょっとした。あわてて背後を振り返る。
今まで誰もいなかったはずのそこには、何時の間にか一人の少年がいた。
年の頃は少女と同じくらいだろうか。少ししわのよったYシャツとジーパンというラフなスタイルでじっと少女を見つめるこの少年に、少女はまるで見覚えがなかった。
「やあ、また逢ったね。そう・・・かれこれ18年ぶりくらいかな?」
少年は旧知の知り合いに会った時の様な気軽さで少女に話し掛けていた。しかし一方の少女の方は、いくら記憶を探っても少年の事は一向に思い出せない。何より、少女は今年16になったばかりだった。この少年が言ってる事が事実だとすれば、少女は生まれたばかりの頃、いやそれ以前にまだ赤ん坊だったろうこの少年と出会っている事になる。そんなバカな話はない。
「・・・あなた、誰?」
当然の質問を少女は少年にたずねる。その口調は、まるで詰問してるかのようにきつい。だが少年はまったく意に介した様子もなく、
「・・・そうか・・・なら、誰でもいいさ。ま、君の人生にとっては、最後に出会った死神といったところかな?」
などとしらっと言ってのける。
少女は愕然とした。何故この少年は自分がこれから死のうとしているのか知っていたのか。少し冷静に考えればこんな夕暮れの屋上の縁に一人思いつめた顔をして立っていれば、誰にでも自殺志願者である事は簡単に予想がつくであろうが、今の少女にはそこまでの考えは思い浮かばない。自分の事で精一杯なのだ。
「と、止めようとしたって無駄よ!私はもう絶対飛び降りるって決めたんだから。何を言われたって、やめる気なんてないからっ!!」
なかばやけになったように喚き散らす。相当追いつめられている証拠だった。
「別に止めやしないさ」
「・・・えっ!?」
「他人がいくら口出ししようと、結局最終的に判断をくだすのは君だ。それをどうこうしようなんて、少なくとも僕は考えちゃいない。飛び降りたければいくらでもそうすればいい。」
少年が口にした言葉に、少女はまたも驚かされる。普通こういった状況に居合わせた第3者は、「落ち着け、バカな事はやめろ!!」とか「両親が悲しむぞ」とか青臭い奇麗事を並べ立てて止めようとするはずが、この少年は止める気配すらみせない。いや、止めるどころか自殺を奨励してるようにさえ聞こえる。
「あなた・・・何者なの?」
「さっきの答えじゃ不満かい?僕は・・・」
少年がそこまで言うと、先ほどとは比べ物にならない程のビル風が吹き上げてきた。そう、人一人くらいなら平気で飛ばされそうになるほどの突風。少年と話してる間もずっと屋上の縁に居続けた少女は、その風にあおられてバランスを崩し・・・
翌日、市内の女子高生が一人、投身自殺したというちっぽけな記事が、新聞の地方欄に載った。
<目次に戻る>
<続く>