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写真伝心 6  風景写真と芸術 前ページ 次ページ 
 私の撮る写真はほとんどが風景写真ですが、いつもある事に悩みながら撮っています。

 写真が芸術であるとすると、そこには作者の創造性がなければならないと思います。絵の場合は風景を前に創造力を駆使し、自らの芸術を生み出しています。ところが風景写真の場合には自然をありのまま写しとることが尊重され、デジタル化などして手を加えることは、特殊な場合を除いては認められていません。

 とすると、風景写真の芸術性とは何かと疑問をもってしまいます。「素晴らしい風景写真」が撮れたとしても、素晴らしいのは風景の方であって、作者が素晴らしいとは限らず、作品の評価がいつのまにか被写体の評価になっている場合もあります。

 では風景写真での芸術性とは何でしょうか。大部分は自然から与えられたものであり、あとは構図とシャッターチャンスぐらいです。思うとうりの写真を撮るには、確実にものにする技術を伴わねばなりませんが、今は機材も技術も進歩して昔のような名人の技もあまり必要なくなりました。芸術と言える匠の技を持っている人はどれくらいいるでしょうか。風景写真では作者の創造性が占める割合が他の写真に比べて少ないような気がするのは私だけでしょうか。

 風景写真ではいい写真を撮れる現場に立つことがきわめて大切です。そのためには大変な努力と忍耐が必要です。たとえば富士山の周りの有名な撮影ポイントはいつも撮影する人でいっぱいです。なかには車を横付けにして泊まり込みの人もいます。その人たちは一般的な富士山は撮らないで、珍しい雲と光を待っているのです。とにかく努力、そして運です。

 ある写真家にこの疑問をぶっつけて見ました。すると「そういう作品を労作と言う」との答えが返って来ました。

 なんとか風景写真の中に自分らしさを出したいと、いつも思っているのですが、なかなか難しい永遠の課題です。