1989年1月17日、カリフォルニア州ストックトン。正午を少し回った頃のことである。クリーヴランド小学校の校庭では、昼食を終えた子供たち凡そ400人が元気に遊んでいた。そこに150発もの銃弾の雨が降り注ごうとはいったい誰が予見できただろうか。死者5人、負傷者30人(うち1人は教師)の大惨事となった。犯人のパトリック・パーディー(24)もその場で自殺した。ここは彼の母校だった。
「おれはとてもバカだ。小学生よりもバカだ」
ノートにこんなことを書き残していたパーディーがバカであることは間違いない。彼が着ていた迷彩服には「リビア」「PLO」「ヒズボラ」などが書かれていたが、「サタンに死を」の「サタン」の綴りを間違えている。小学生でも「Satan」を「Satin」とは書かないだろう。また、彼がどうしてイスラムの側を応援しているのかも不明である。しかも、その標的がどうして小学生なのだ?
大量殺人犯の標的には一応それなりの理由がある。最も判りやすい例がマーク・エセックスだ。白人が憎いから白人だけを殺した。ジェイムス・ヒューバティはヒスパニック系を、マルク・レピンは女性を逆恨みしていた。ところがパーディーには小学生を恨む理由がない。
ここで思い出されるのが宅間守である。彼もまた何の罪もない小学生を標的に選んだ。宅間は脅迫やら傷害やらを繰り返していたが、こうしたダメっぷりもそっくりである。パーディーもまたヤクの密売やら強盗やらを繰り返していたのだ。そして、腹違いの兄に、
「おれ、もうすぐニュースになるから」
と電話した4日後に犯行に及んだのだ。
おそらく宅間もパーディーも人生にテンパっていたのだ。己れのどうしようもなさを判っていたのだろう。そこで自らピリオドを打ち、且つ、有名になって「ひとかどの人物」であったことを証明するために、最も楽な小学生を標的に選んだのではないだろうか。
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