マーク・エセックス(海軍時代)
包囲されるハワード・ジョンソンズ・ホテル
屋上で包囲されるエセックス |
マーク・エセックスが生まれたカンザス州エンポリアは、アメリカでは稀な人種差別がほとんどない街だった。これは南北戦争時代に奴隷制反対の立場を表明した街の歴史に由来する。また、黒人の数も極めて少なかった。そもそも人種が衝突する機会がなかったのである。
この街で生まれ育ったことがエセックスにとっては悲劇だった。海兵隊に入隊した彼は、厳しい差別の現実を生まれて初めて目の当たりにしたのである。スラムで育ったエディ・マーフィーは、差別を逆手に取って世渡りする術を身につけていた。しかし、免疫のないエセックスは絶望を抱くと同時に、白人に対する憎悪を募らせて行ったのである。
エセックスが海兵隊に入隊した1969年当時のアメリカは、まさに公民権運動の真っ只中にあった。その指導者であり穏健派のマーティン・ルーサー・キング牧師が1968年4月4日に暗殺されると、「ブラックパンサー」のような武装した急進過激派が力を強め始めた。海兵隊を脱走したエセックスは、こうした過激派の思想をモロに受け止めてしまったのである。黒人による革命を扇動する本『黒い怒り(Black Rage)』が彼の新たなバイブルになった。密かに武装し始めた彼は、アパートの壁にスローガンを書きなぐった。
「差別主義者に血塗られた死を」
そして、地元のテレビ局に犯行声明文を郵送すると、その足でたった一人の「革命」へと旅立ったのである。
「アフリカが御挨拶申し上げる。1972年12月31日午後11時、ダウンタウンのニューオリンズ警察本部を襲撃する。白ブタ野郎の本部長殿にお宅の部隊など屁でもない旨を伝えよ」
署名には「マータ(Mata)」とあった。それはスワヒリ語で狩猟用の弓を意味していた。
1972年12月31日午後11時、声明通りにニューオリンズ警察本部を銃撃したエセックスは2人の警官を射殺した。最初に犠牲となったアルフレッド・ハレルは、皮肉なことにニューオリンズでは数少ない黒人警官だった。
そして1973年1月7日、ダウンタウン・ハワード・ジョンソンズ・ホテルに侵入したエセックスは「白人の無差別殺戮」を開始した。途中で黒人に出会うと、彼は微笑みながら声をかけた。
「大丈夫。君は撃たないよ。獲物は白人なんだ」
事件が知れ渡ると、ホテルの周囲は野次馬でごった返した。警官に加勢してホテルに発砲する白人がいるかと思えば、犯人にエールを送る黒人もいた。
やがて屋上に追いつめられたエセックスは、叫びながら警官隊の前に躍り出た。
「人民に力を!(Power to the people !)」
四方八方から撃たれて、エセックスは絶命した。100発以上の銃弾を浴びた彼の写真が手元にあるが、まるでボロ切れのようである。
この日の犠牲者は死者7人、負傷者26人にも及んだ。彼のアパートを捜索した警察は、わざわざ天井に書きこまれたメッセージを読み、苦笑した。
「貴様ら白んぼだけが天井のクソを読む」
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