有吉佐和子が御蔵島の「きよや旅館」に滞在して書き上げたのが小説「海暗(うみくら)」。有吉は御蔵島の歴史や文化を小説家らしく詳細に調べた上で、厳しい自然の中で逞しく生きる登場人物達を生き生きと描きあげた。
2018年08月16日更新
小説 海暗

昭和43年発行 文藝春秋
有吉佐和子著「海暗」初版本(絶版)

昭和46年発行 新潮社(絶版)
有吉佐和子選集 第一期第13巻 海暗」

(有吉佐和子さんの写真あり)

昭和47年発行 新潮社
新潮文庫「海暗」(絶版)
 米国がベトナム戦争に参戦しようとしている前夜。御蔵島が米軍の音速爆撃機の射爆場候補地となった。有吉佐和子はこの騒動を通して、厳しい自然の中で生きてきた島の人々の複雑な心境を、御蔵島の大自然と伝統文化の中に描ききっている。素朴な生活とショッカラ汁、そしておしゃべりが大好きなオオヨン婆の姿にだれもが共感を覚える。 文藝春秋読者賞受賞作品
「海暗」を読むには?

Kindle版が便利
 これまで実本は絶版となっていましたが、2014年3月7日に
電子書籍のKindle版として復活しました。Amazonでも古本の文庫本は1円程度+送料で売られている場合がありますが旧字体で読みにくい活字印刷でした。Kindleでのフォントは大変読みやすくなりました。

電子書籍
kindle版の海暗
海暗とは?

 御蔵島(みくらじま)の島名の由来ですが、三宅島と御蔵島間の深い海域のことを海暗(うみくら)と呼び、それが変化して御蔵(みくら)となったという説があります。
 実際の由来は「三島大明神縁起」にある三島大明神の蔵を置いた島という説が本当のところであるようです。
 逆説的ですが小説「海暗」を読んで、「御蔵島」という島名が先にあって「海暗」という名称が出来たのではないかと考える様になりました。三宅島と御蔵島間の海の深さのことを、ユーモアあふれる島の人が「御蔵」をもじって「ミクラの海だからウミクラだ」と、しゃれっ気まじりに言ったのが始まりではないかと、そんな気がするのです。
 御蔵島の名称の語源については、「御蔵島」の語源のページで詳しく触れています。 
文学散歩をしよう

 御蔵島の小説「海暗」の記念碑などはありませんが、射爆場事件に関しては、稲根神社拝殿鳥居横のバイキング号記念碑に若干記されています。
 海暗は昭和42年〜43年の間、文芸春秋に掲載されました。有吉佐和子は御蔵島では当時一軒しかなかった旅館、きよや旅館に泊まり込み、入念な取材を積み重ね、「海暗」を執筆したといいます。有吉佐和子が小説を書いたきよや旅館が何処にあるのかを時々質問されたり、一目建物を見たいという方に良く出会ったりすることがありますが、残念ながら当時の建物は現存しません。バイキング号記念碑からほど近い、三宝橋の手前の坂の途中にありました。有吉佐和子はきよや旅館に泊まり、時より斜め向かいの家で食事をし、宿でまた執筆に励んだということです。現在ではきよやファームというお土産屋さんになっています。
 このきよや旅館跡の前の道に立つと、この本の題名にもなった「海暗」と呼ばれる三宅島と御蔵島の間に横たわる深い海を、現在でも眺めることができます。有吉佐和子が滞在した部屋からも、いつも「海暗」が見えていたことでしょう。また小説の中に出てきたボロ沢や草祀りは、小説の時代と違って現在では車で行くことができますので短い滞在期間でも行くチャンスがあることでしょう。
 

掲載 2009年05月06日
更新 2018年08月16日