鈴花と斎藤が二人で出かける羽目になったのは、それから数日後の事だった。 何となくお互いに顔を合わせにくいような気分で避け合っていた鈴花と斎藤を捕まえて一緒に使いを頼んだのが新選組副長、土方でなければ二人とも断っていたであろうが、さすがに副長命令といわれれば、それも出来ない。 というわけで、不本意ながら肩を並べて京の街を歩く二人の間には、恐ろしく気まずい空気が漂っていた。 ほとんど無表情のくせに、雰囲気だけは不機嫌そのものの斎藤の後ろを、顔を下に向けたまま黙々と歩く鈴花。 道行く京の人々が思わず道を開けるのも無理はない。 目が合いそうになるたび、悲鳴でも上げそうな勢いで道の脇によける町人を見ながら、斎藤はうんざりした気分でため息をついた。 (何をしているんだ、俺は・・・・) 背中ごしに後ろをついてくる鈴花を伺う。 真っ直ぐ前、というか斎藤の背中を睨み付けるように見てガツガツ歩く鈴花の雰囲気に再び視線を戻して、ため息をついた。 こんな状態を望んでいたわけではないのだ。 ただあの文を受け取った時、何か・・・・今までは意識していなかった何かを突きつけられたような気がした。 けれど斎藤にはそれがつかめず、はっきりしないその感情に、苛立ちを覚える。 だというのに、永倉にはそれがわかったらしい。 その事実も余計に、斎藤を苛立たせていた。 (自分が何を見ているか?特別な物など見ていないが・・・・) そんな事をつらつらと考えていた、その矢先、不意に背中にあった気配が消えた。 「!?」 はっとしてふり返ると、後ろにあったはずの鈴花の姿ない。 (な!どこへ!?) 左右を見回すが、男装の特異な姿は見あたらない。 (まだそんなに遠くには行っていないはずだ。) いくら考えに囚われていたとしても、そんなに長い時間気配を見失っていたとは思えない。 斎藤は切り返すように踵を返し歩き出す。 妙に胸騒ぎがした。 鈴花はその辺の町娘とは違って、一端の剣の腕を持っていることは知っている。 自惚れないようしょっちゅう鼻を折ってはいるが、実際のところ、鈴花の腕は並の隊士以上のものだ。 それを知っていて、なお、不安が過ぎる。 (・・・・あいつは、危なっかしい。) 鈴花はちょっとしたことで熱くなりやすい。 (だから永倉さん達にからかわれるんだ) 挑発にも乗りやすい上に、猪突猛進と来ている。 (だから藤堂さんにこてんぱんにやられるんだ) その上、正義感も責任感も人一倍だから始末に悪い。 (以前、風邪ぎみのくせに巡察に来たことがあったな。) あの時は倒れていく鈴花を見て、血の気が引いた。 鈴花の笑顔や、話しかけてくる声や、嬉しそうな表情が過ぎって、その全てを失うのかと思った。 その時の不安が胸に過ぎって、斎藤は足を速める。 (桜庭はお人好しで、短気で、考えなしすぎる。真っ直ぐに突っ込んでいく事しか知らない。だから心配なんだ。) ・・・・心配? ふと、斎藤は自分の考えに躓いた。 心配、確かにそうかもしれない。 危なっかしい隊士を、助勤の自分が心配する・・・・それはおかしいことではないはずだ。 しかしそれならば、思い出す姿は仕事の時か稽古の時のはず。 ・・・・なのに、どうして鈴花の事を考える時、思い浮かぶのは稽古や仕事の姿ばかりでなく、誰かにからかわれて怒っていたり、笑っていたり、泣きそうになっていたりする姿なのだろう。 (これでは、まるで・・・・) 斎藤が結論にたどり着こうとしたその時 「いいかげんになさい!」 雑踏を裂いて耳に届いた凛とした声に、斎藤ははっとして足を止めた。 視線を巡らせる必要もなく、近くで人垣が出来ている。 その向こうに、鈴花がいた。 正確には、人が遠巻きに見守る中、二人のどう見ても風采の上がらない浪人者とにらみ合い、背に一人の若い娘をかばっていた。 (あの娘が絡まれていたので、助けに入ったのか。) 見ただけで経緯が大体わかってしまって、斎藤はため息をついた。 そうだろう、鈴花ならそんな光景は見逃せるはずもない。 案の定、鈴花は自分よりも頭一つは大きい男相手に、臆しもせず怒鳴りつける。 「恥ずかしいと思わないのですか!町人の娘さんに刀を向けて怯えさせるなんて、武士の風上にも置けません!」 「んだと!もう一遍言ってみろ!」 「何度でも言えます!あなた方の様な人が刀を持つ者だなんて、同じ刀を履く身として恥ずかしいです!」 「ふざけんな!この餓鬼!」 「餓鬼にもわかるような事が、なぜいい大人の貴方達はわからないんですか!」 ざわざわと周囲がざわめく。 おそらくはこの野次馬のほとんどが鈴花と同意見なのであろうが、相手が刀を持つ者であったので何も言えなかったのだろう。 もしくは、いらぬ波風を立てたくないあまりに、絡まれている娘を見殺しにしようとしていたのかもしれない。 しかし、それをまだ子どもとも見えるような小さな娘が声高に断罪している。 鈴花の剣の腕を知るよしもない野次馬達はおそらく戸惑っているのだろう。 けれど、もし鈴花が剣を持たない身で、なんの力も無かったとしても、おそらく娘を見殺しにすることはなかっただろう。 後でどんなことになるかも考えず、飛び込んでいって今と同じように断罪しただろう。 (・・・・桜庭はそういう奴だ。) お人好しで、短気で、考えなしで、真っ直ぐな。 「言わせておけば言いたい放題いいやがって!!覚悟はできてんだろうな!」 「覚悟など、出来てもいない人に言われたくありません。」 「上等だぁ!ぬきやがれ!!」 浪人の一人がそう吠えて、刀の柄に手をかけた瞬間 ―― 「っっ!?」 「・・・・抜かない方がいいんじゃないですか?」 首もとに真っ直ぐに刀身を突きつけられた男が呻いた。 刀を抜く暇も与えず、自分の刀を突きつけた鈴花の動きに野次馬から大きなどよめきが起こった。 しかし、斎藤はあまり意外には思わない。 浪人の方は刀を抜くまでの動作が遅すぎるのだ。 鈴花は最小限の動きで刀を抜いただけ。 実践の場に置いて、刀を抜くのが遅ければそれだけで命取りになる場合がある。 ただそれに忠実に、鈴花は剣を構えただけだ。 しかしこれは大きな牽制にもなる。 それだけ戦い慣れているという事を示すことができるからだ。 そしてそれは今回も有効だったようだ。 「ちっ!おい、行くぞ。」 「ぅあ、おお。」 もう一人の浪人が忌々しげに鈴花を睨み付け、刀を突きつけられていた浪人は青くなった顔で身を引いた。 そして逃げるような速度で人垣をかき分けて男達が行ってしまうと・・・・わっと一気に歓声が上がった。 その歓声と合わせるように、斎藤も大きく息を吐く。 (まったく・・・・) 握っていた刀の柄から手を離し、斎藤は人をわけて、刀を納めた鈴花に近寄った。 「桜庭。」 「え?あ・・・・斎藤さん」 驚いたように振り返った鈴花は声をかけてきた相手を確認すると、ばつが悪そうな顔をした。 「あの・・・す」 鈴花が謝ろうと口を開いたちょうどその時、鈴花が背にかばっていた娘が大きく頭を下げた。 「ありがとうございました!」 「あ、いえ、別に大したことじゃありませんから。」 「いいえ、本当に助かりました。ありがとうございます。」 「いいえ、怪我とかなかったですか?着物も・・・・少し汚れてしまって。」 そう言って鈴花は少し目を細めて、娘を見た。 確かに浪人に絡まれた時になにかあったのか、綺麗な桜色の小紋に土が付いている。 けれど、斎藤にとっては特に何も問題があるようには思えなかったが、鈴花はそれから娘が何度も何度も頭を下げて去っていくまで、彼女の着物を気にしたように見つめていた。 |