―― 誰を呼んでいるの?消えた恋の背中・・・

                 何度でも、何度でも君の窓を叩くから・・・










―― メイ=フジワラが元の世界へ帰った ――

そんな衝撃的なニュースがクラインを駆けめぐったのは、少女の保護者役だった青年が王都を去った3日後の事だった。








パタパタパタ・・バンッ!

「シオン!」

クライン王宮の筆頭魔導士だけが使える部屋のドアを乱暴に押し開けて飛び込んできた少女にシオンは苦笑した。

「姫さんさあ、そんな風にしてっとまた家庭教師に怒られるぜ?」

「そんなことはどうでもいいですわ!」

いつもと変わらない調子のシオンにディアーナは声を荒げる。

「メイが元の世界に帰ったというのは本当ですの?!」

予想していた通りの事態にシオンは動じることもなく答えた。

「ああ、本当だ。俺の目の前でな。どうやら大樹の力がはたらいたらしい。
・・・消える前に姫さんに幸せになるように伝えてくれって言ってたぜ。」

「そんな・・・」

ディアーナは信じたくなかった事実を突きつけられて力が抜けたようにペタンっと座り込んだ。

その大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。

「そんな・・・メイが・・メイがいなくなってしまったなんて・・・」

顔を覆った指の間から嗚咽が洩れるのを、何故かひどく冷静にシオンは聞いていた。

・・・姫さん、メイはあんたを大事にしすぎたんだよ・・・

言ってしまえたら気が楽になるだろうか。

シオンは見る者を怯えさせるに十分すぎるほどの冷笑を浮かべて涙を零し続けるディアーナに目を落とした。

言ってしまえたら。

姫さんがキールを愛さなければ・・・

キールが姫さんを愛さなければ・・・





・・・メイは『あんな事』になりはしなかった・・・!





「姫さん・・・」

自分でも驚くほど冷酷な声が出たと思った。

しかしディアーナはその声に滲む冷たさには気がつかず、涙を拭って顔を上げる。

「シオン。メイは元の世界に帰れたんですのね?」

「・・・ああ。おそらくな。」

少し躊躇った答えだったが、ディアーナは寂しそうに笑った。

「それでは・・・やっぱり良かったと言うべきなのですわね。
寂しいけれど・・・せめて見送りたかったけれど・・・でも、帰りたがっていましたもの。」

よかったんですわ、とまるで自分に言い聞かすように言うディアーナから急にシオンは目を反らしたくなった。

メイは本当に親友を大切にしていたのだ。

・・・俺なんかとは比べられないぐらいに・・・

きりっと胸が痛む。

その痛みのせいで余計な事を口走りそうになる前に、シオンはディアーナを立たせた。

「寂しいのは姫さんだけじゃねーんだ。
でもメイは姫さんの事を心配してたぜ?だからメイに心配かけないように、しっかりしろ。な?」

優しいシオンの言葉にディアーナは涙を拭って頷いた。

「そうですわね・・・こんなに泣いてしまっては、メイに叱られてしまうわ。」

シオンに促されてドアを出たディアーナはドアが閉まる直前ににこっと笑って言った。

「シオン・・・ありがとう。」

「・・・ああ。」

パタン・・・

静かにドアを閉めたシオンはそのドアに背を預けるようにして安堵の溜め息をついた。

―― メイとの約束を破らなかった事への安堵の溜め息を・・・










「帰ったぜ。」

主の帰りに礼をとる執事にシオンはマントを投げ渡しながらシオンは聞いた。

「・・・あいつの様子は?」

シオンが信用している執事のみしか知らない事に執事は無言で頷く。

「ご様子はお変わりになりません。」

「そうか。」

なんの感情も感じさせない声で最短の答えだけ返した。

そして自室へと向かう。

細かな美しい彫刻が施された自室のドアの中に入る寸前、思い出したようにシオンは執事を振り返って言った。

「明日から最小限の人間以外には使用人に暇を出してくれ。少しでも秘密が漏れないように。・・・もちろん、怪しまれんなよ?」

「承知いたしました。」

無駄のない動きで頭を下げる執事を背中にシオンは自室のドアを閉めた。

部屋の中は濃い青で統一されている。

海の底にいるようなこの部屋がシオンはなかなか気に入っていた。

自らの力を惜しみなく使った結界がはってあるここでは気を張りつめることなくくつろぐことができる。

しかし一度としてシオンはこの部屋に他人を招いたことはなかった。

掃除をさせる使用人も信用できる者にしかさせない。

それはこの部屋に張られた結界を内から崩されるのを防ぐためであり・・・シオンがただ1人の自分に戻れる場所を守るためだった。

しかし今この部屋にいるのはシオン1人では、ない。

シオンは自室から続いている寝室へのドアを開けた。

そして寝室の窓際、大きな椅子にくるまれるようにして座っている者の名を呼ぶ。






「・・・メイ・・・」






名を呼ばれても座ったままの少女 ―― メイは微かな反応すらも示さない。

シオンは自分が抱いていた微かな期待に自嘲した。

―― あの日、キールが王都を去った翌日、シオンの腕の中で眠ったメイは・・・目を覚まさない。

正確には、精神が。

普通の人間のように目を開け起きているように見えても、人形のように誰の声も聞かず誰の声にも答えない。

笑うこともなく、泣くことも、怒ることもない。

ただ何も映さない瞳で、前を見ているだけ。

『休みたい』という願いと『何事もなく振る舞わなくてはならない』という感情が鬩ぎ合った結果なのだろうと、シオンは結論付けた。

だから、メイをここへ連れてきた。

メイとの約束を守るために。

・・・彼女の嘘を守り通すために・・・

こんな状態のメイを隠し通すためにメイは元の世界に帰ったという情報も流して。

噂は信憑性を十分にもって広がっているし、この部屋にメイを移した事に気がついた者もいなかった。

シオンは護符をはずしながらメイを覗き込む。

「メイ、帰ったぜ。」

優しい、柔らかい声。

他の人間が聞いてもシオンがメイをどれほど愛しているか、わかってしまうであろう程の言葉にもメイの表情が揺れることはない。

「今日はお前さん、何を見てた?」

答えが返るはずのない問い。

それでもシオンは優しい視線をけして変えることはない。

シオンはメイの椅子の脇のクッションに座って自分の方を見ることはないメイをただ見つめる。

そこにあるのは静けさ。

「・・・メイ・・・」

いくら呼んでみても少女は答えない。

明るい笑顔を返してはくれない。

それでも・・・

「・・・メイ・・・」

いくらでも彼女の名を自分は呼ぶだろう。

メイが眠り続ける心の窓を叩きつづけずにはいられない。

シオンは薄く笑みを掃いてメイを視線で抱きしめた・・・








―― 彼女の嘘ごとすべて包んで彼女の眠りの守人になることをシオンは選んだ。

それがひどく甘美で・・・残酷な役目であったとしても・・・










                             〜 to be continue 〜





― あとがき ―
前回のふりがかなり意味深になってしまったんですが、こういうことでした。
いや、意味深にするつもりはなかったんですが・・・(^^;)
さて、ここからシオンをいじめていきますよ。
・・・といってもあんまりたいしたことはできませんが。