9/29(土) 【運命】
「ちゅらさん」がとうとう終わってしまいました。主人公が最後に、眩しいほどにキラキラ輝く沖縄の海を見つめながら、「生きてるって楽しいね!」って、自分の運命を心底愛おしむように満面の笑顔で言ったのがとても素敵だった。
菅野美穂さん扮する真理亜が、「ここで一番をきめよう!自分がいなかったらエリ〜はいなかったと胸を張って言える人。」とエリ〜の運命に一番貢献したのは誰かを問うた。
「私が倒れなかったら、エリちゃんは看護婦になっていなかった。」「私が東京に行ってなかったらエリ〜は東京に行ってなかった。」それぞれの言い分に、みんな一理あるのだ。・・・で、最後におばあが、「私がいなかったらエリ〜は生まれてこなかった。」と締めくくる。
いいな〜。
運命があるとするならば、それは、毎日の偶然の積み重ね。身近な人とのふれあい、語らい、そして、小さな出来事とのちょっとした出会いが、自分の人生を豊かにし、ときには大きく変えていくんだろうな・・・とつくづく思う。
2.3日前に、少年隊の会報が届いた。錦織君のコメント、前回に続き、何度も何度も読みました。言葉の一つ一つが私の心に大きく響きました。錦織君、私はあなたのファンであることを心から誇りに思います。
な〜んて、こんなたいそうなことを言っておきながら、大阪「カルメン」も、博多「42ndストリート」も残念ながらパス。ファン失格の裏切り者です。でも、本当は、「私は少年隊の錦織君の大ファンです!大好きで〜す!!」って、地球上すべての人に向かって大声で叫んじゃいたいくらいなのです。
でもね、錦織君。「満足して死ぬ」なんて言わないで。
錦織君には、「オレはまだまだやりたいことがいっぱいあるんだ!まだまだ死ねねぇんだ!ここでくたばってたまるかぁ!!」って、死ぬ間際まで悔しがるようなそんな人でいて欲しいと思います。たとえ100歳まで生きててもそう思うような、前向きなエネルギッシュな人でいて欲しいと思うのです。(結局ニシキの言う「満足して死ぬ」ってこういうことなのかな。。。)それがニシキらしい、いえ、ニシキならではの生きざまでしょう。
キャンパスリップのCMで、錦織君にメロメロになって、何年経つのでしょう。あのとき、私は、錦織君にこんなにも風格が備わって、錦織君がこんなにも素敵な舞台人になるって予想していたんだろうか。
錦織君の人生もまだまだこれから。錦織君の勝負のときはきっと40代、そして、50代。いえいえ、60代かも。「かっこいいおじいさんになっててね。」という7歳のファンの方からのコメント、何だか妙に納得してしまうのでありました。
錦織君が錦織君であり続けるために大切にしたいと思っていること・・・『人間と、人間として付き合う』・・・簡単なようで、とっても難しいことだと思います。自分の運命を愛おしむって、その簡単なようで難しいことに、いかに真摯に真剣に立ち向かうかってことなんだな・・・とこのごろしみじみ思うのであります。
そして、「生きてるって楽しいね。」って、自分自身に誇って言えるそんな日々をこれから私も過ごしていけたら・・・と願うのであります。
9/25(火) 【3人一緒のドラマ】
嬉しいニュースが届きました。
10月からリニューアルスタートする新タイヤ。なんと少年隊お3人が一緒に出演なさるドラマが番組の中でスタートするらしい。しかもニシキは犯人役に挑戦するのだとか。
ニシキは、演技が上手すぎるから、イヤ〜な犯人役だと、「ニシキ=イヤな奴!」なんて一般ピープルに思われちゃうんじゃないかな・・・なんていらぬ心配してしまいそう。だからできれば、「ちょっと憎めないドジでアホな犯人がいいな〜」なんて思ってしまいます。つかさん、どうぞ、お手柔らかに。
話はちょっと変わりますが、火曜日に放送されてた「救命病棟」。
夏の研修先で知り合った仲間が「結構いいのよ。」と勧めるので、ちょっと見たら、ついついはまってしまった。どの医師も味があって、素敵な役柄だった。こんな番組に、少年隊の3人が揃って出られたら、夢のまた夢だろうな・・・と思った。
で、またまた、3人が誰の役を演じるのか考えた。
江口洋介さん扮するあのかっこいい医師は、やっぱりヒガシだろうな・・・と。
ニシキは、渡辺いっけいさん扮する医局長かな・・・。存在感のあるとてもいい役だったと思う。
カッチャンは、ホンワカしたエッセイ書いてるセンセでもいいと思うし、熱血漢のカレでもいいと思う。あ!!やっぱり、ここは、本間先生になって登場していただきましょうか。確か、「渡る世間・・・」でも救急医療に燃えてるはずだし・・・。こりゃ、いい考えだ!!
話はまたまた変わって。
ず〜っと、昔の話だけれど、少年隊がデビューする前、やっぱり3人が一緒にドラマに出たことがありましたっけ。ニシキはとんでもない髪型してバスケをやってた。3人ともとっても可愛かったな〜。でも、とりわけ可愛かったのは主人公を演じたヒガシ。あれがヒガシ大ブレイクのきっかけなんじゃないだろうか。
新タイヤ。4話完結のドラマらしい。
と言うことは、月替わりで、ドラマの内容も変わるんだろうか。3人の色んな味がまたまた引き出されるといいなと思う。
そして、そして、そして。
最終話あたりに、大野クンをド〜ンとゲストに呼んでくださらないだろうか。どうか、とびきり素敵なドラマのとびきり素敵な役柄で。
「どう考えても、コイツの方が主役なんじゃないだろうか・・・。」とニシキがまたまた唸ってしまうような役をいただけたら最高です。
9/16(日) 【祈り】
NHKBS1で、アメリカABCのニュースが放映されていた。ニュースキャスターが、おおぜいの子ども達とディスカッションをしていた。前日のニュースでも、ニュースキャスターは神妙な面もちで、「明日は子ども達からの質問に答えねばなりません。」と言っていた。「ああ、アメリカだな〜。」と思った。
1993年、私は、研修で、メキシコ、アメリカを訪れる機会を得た。上司から、海外の施設訪問研修に行けると聞いたときは、それこそ、目の前にいる上司に抱きついちゃおうかと思ったくらい狂喜した。訪問先に憧れの街、ニューヨークとワシントン・DCが含まれていたからだ。
メキシコのティオティカワン遺跡、太陽のピラミッドも圧巻だったけど、ニューヨークの摩天楼はまさに絶叫ものだったけど、でも、何よりも感心し驚いたのは、アメリカ人の熱くて温かい語り、そして、厳しいまでの自己責任の重さだった。
残念ながら、ニューヨークでは自由時間が少なく、街をゆっくり歩くことはできなかったが、ワシントン・DCでは、自由行動日が一日許された。研修仲間とまずFBIの館内ツアーに参加した。
銃器の陳列、FBIが解決した数々の難題事件を説明したパネル。どのフロアーでも、実に館員が熱心に説明する。英語がほとんど分からない私も、掲示されている写真で半分は内容が分かった気になっていた。館員は、話が終わるごとに、必ず、「何か質問はありませんか?」とツアー客に問いかけた。すると、必ず質問する人がいるのだ。館員は実に丁寧に答える。就学以前と思われる男の子も質問していた。館員は他の人からの質問と変わらない表情で真摯に答え、まわりの大人達もその質問と答えに熱心に耳を傾けていた。もう、驚きだった。
犯人逮捕までの経過を説明したフロアーでは、犯人の顔写真が壁に大きく貼り出されていた。説明の英文の最後には必ず「killed by FBI.」となっている。こういう展示は日本ではあり得ないだろうな・・・と思った。自由と正義の裏にある自己責任の厳しさを見せつけられた感じだった。
最後のフロアーでは、背広を着た体格のいい男性が射撃訓練を披露してくれた。鳴り響く爆音は銃器の怖さを部屋いっぱいに伝えていた。でも、息をのんだのは射撃訓練ではなく、そのあとのディスカッションだった。射撃を終えたその男性は、マイクの前に立ち、実ににこやかな顔で、ツアー客にやはり「質問はないか?」と問いかけたのだ。最後のフロアーと言うこともあって、多くの人が質問した。質問が始まると、みんなその人に視線が集まり、熱心に耳を傾ける。そして、その男性は、やはり熱心に答える。2.30人はいたと思われるツアー客の一人一人に笑顔で説明するのだ。
研修の訪問先でも、アメリカ人の熱弁に出会った。4つの施設を訪問したが、どの施設でも、説明してくれた責任者は、誰もが、溢れんばかりの笑顔と温かい表情で、ご自分の仕事を実に熱く語っていた。そして、必ず、私たちに感想と質問を求めるのだった。かろうじて何人かが通訳を通じて、感想を述べたり質問したりした。彼らは、その意見や質問に熱心に聞き入った。人の話を聞くのが心底楽しいという表情で聞いてくれ、さらにまた、熱く語り始めるのだった。
私は、いつかこの国にもう一度来たいと思った。できれば、観光ではなく、仕事で来たいと思った。私は、アメリカ人の熱い語りに圧倒されるばかりで、何も聞けなかったけど、何も言えなかったけど、いつか、この熱いアメリカ人達と一緒に仕事ができれば、まさにエキサイティング!と心から思った。
ニューヨークの世界貿易センターで働いていた人たちは、毎日、興奮にも近い喜びと希望の中で、生き生きと働いていたに違いない。93年に観光バスから見たそのビルは、まだ、地下爆発の傷跡が生々しかったが、仕事人としての夢と希望に満ちあふれたビルに見えた。
そのビルが悲しくも無惨に崩れ去った。目を疑うような映像にまさに言葉を失った。現地は地獄絵を見るかのようだろう。涙が止まらなかった。
犯人を突き止めて、報復すれば、また、次の報復テロが用意されているのかもしれない。ニュースを聞けば聞くほど、新聞を読めば読むほど、底知れぬ恐怖に襲われる。事態の深刻さにうなだれるばかりだ。
ディスカッションの中で、小さな男の子が「悪いことの後には、きっといいことがある。そう信じて生活することが大事だと母に教えられてる。」と真剣に語っていたのが印象的だ。アメリカでは、これからもきっとあらゆる場所で、ディスカッションが続くだろう。人の考えを聞くと、いろいろな考え方があることに感心させられる。自分の考えも自然と鮮明になってくる。ディスカッションの場がある限り、間違った選択はされないのではないかとさえ思う。少なくともそう信じたい。
私たちは、あまりにも無力だけれど、平安な世界を取り戻すためにどうしたらいいのか、自分たちに何ができるのか、やはり語り合わなければと思う。まずは、家族と。友人と。そして、職場の同僚と。亡くなった方のご冥福と、一人でも多くの方のご無事を祈りながら。