講座17>連句のルール(2)特別な句の作法

目次に戻る


 さて百韻でも歌仙でも、最初から三句目までと最後の句は特別な名前が付けられ、特別な作法がありました。それをまとめたのが次。
************************************************************
1 発句−@客の挨拶であり、当座の情景・感懐を詠
     →季語(但し千句・万句の第二百韻以降はさ
     らずとも可)
      A一句としての独立性を持たせる→切字

*十八切字−かな・もがな・ぞ・よ・や・か(以上終助
      詞)けり・ず・じ・ぬ・つ・らむ(以上助
      動詞)け・せ・へ・れ(以上動詞命令形活
      用語尾)し(形容詞終止形活用語尾)いか
      に(副詞)

*芭蕉の意見−切字なくては発句の姿にあらず、付句の
      体なり。切字を加へても付句の姿ある句あ
      り、まことに切れたる句にあらず。また切
      字なくても切るる句あり。その分別、切字
      の第一なり。(三冊子)

2 脇句−@亭主の挨拶返し→発句と同季・同所・同時刻。
      A韻字留(真名留)が多い。

3 第三−@発句・脇から転ずる。
     A丈高い句であること。
     B「て」「にて」留めを普通とし、場合によ
     っては、「らん」、稀に「に」「もなし」で
     留める。

4 挙句−@正客・亭主以外の人が詠む。最初の一巡に
     執筆の句なき時は執筆。
     A<祝言>の心をこめて軽々と詠む。
     B前句と同季。
************************************************************
 発句について、これまでに例示した百韻・歌仙は全て客が詠んでいましたね。『水無瀬三吟』の場合三人とも水無瀬を訪れているので客も亭主もないのですが、一応肖柏が案内者なので亭主役。後の二人のうち主客は宗祇ということで宗祇が発句を詠んだわけです。

 なぜ客が発句を詠むのかと言うと、連句は複数で詠むのが原則で、するとたとえば誰かのうちに集まってとか、みんなでどこかに出かけて詠むわけですね。誰かの家に集まれば亭主一人を除いて後は客。みんなでどこかにという場合も、幹事がいるわけでその人が亭主になり、あとは客分となるわけです。

 で客が亭主の家に行けば必ず挨拶をする。その時大体客の中の主だった人が他の人々を代表して挨拶することになるでしょう。これが発句になるわけです。

 さてその挨拶というと、まず相手を誉めることが古来の作法。相手がその家の亭主ならば「いいお宅ですねえ」とか、幹事役ならば「いやいや今日はどうもご苦労さん」とか言うもので、あばら屋だと思ってもそうは言わない、下手な幹事だと思っても「あんたのやり方はちょっとまずいよ」とは言わない。そこで発句も亭主を誉めるのが作法ということになります。

 それから日本人の挨拶は古来時候の挨拶を含むのが普通でした。これは日本の国土が昔から四季に恵まれていたことと、古来農耕社会であったので、ことのほか四季の巡りや気候を気にする国民だったからでしょう。

 そこでその時候の挨拶に折り込むための言葉を取り出して体系化したものが季語になったわけです。季語というものの成立についてはまだ十分検討されていないように思いますが、多分こう言って特に間違いではないのではないかと考えています。

 発句に季語を詠み込まなければならないというのはこういう事情があるからで、それに対して近代の俳句でも季語を詠み込むことになっていますが、挨拶性を喪失し独立したの詩であるはずの俳句になぜ季語を詠まなければならないのか、発句時代の習慣をただ引きずっているにすぎないということと、川柳と区別するためという二つの消極的理由の他にどういう意味があるのか、私にはわかりません。というより、俳句という純粋な詩に変化した時点で切り捨てるべきだったのではないか、それを切り捨てられなかったのは、結局俳句が、連句時代からの伝統の中での一変形に過ぎないのであって、決して連句と決裂して成立した純粋詩などではないことを物語っているのではないかと考えています。

 なお私は発句の性格としてこの挨拶性を非常に大事なものと考える訳ですが、『連句への招待』も『連句入門』も、昔から「客発句、脇亭主」と言われていたと一応言及はするものの、余り強調してはいませんね。認識の違いがあるようで、本当はどう考えたらいいの
か検討課題であります。

 次に切れ字ですが、これも発句が連句の最初の句だからこそ意味のあるもの。つまり百韻も歌仙も、脇句以下の全ての句が前句を契機として詠まれ、前句と響きあって一つの世界を作るという連続性の中にあるのに対して、発句だけは前句がない。そこで前句がない
発句にいかにも前句があるかのように装うために、一句を二句であるかのように見せ掛けるために使われるのが切れ字のようです。

 たとえば「風流の」の発句、

    風流のはじめや奥の田植歌

の場合、風流の初めが奥の田植え歌だというのじゃなくて、「風流のはじめ」の部分が疑似前句、「奥の田植歌」の部分が疑似付句になっていて、「風流のはじめだなあ」と詠嘆していると、そこに奥の田植え歌が聞こえて来た、という構造になっているというわけ。

 だから切れ字として使われる語は別に発句だけではない、語としては後の句に使われることもあるのだけれども、そこでは切れ字としての特別の意味はなく、その語としての普通の意味で使われるわけです。たとえば同じ「や」が同じ巻の名残裏の初句に、

    さびしさや湯守も寒くなるままに

と使われてますが、これは切れ字ではないんですよね。だから芭蕉も切れ字がなくても切れる句はあるし、切れ字が使われていても平句になちゃう句もあるんだよ、と説明しているわけだろうと思います。

 でこの切れ字も、現代の俳句に使われる訳ですが、少なくとも発句にとってこういう意味があったという以上の意味はない、ということは季語の場合と同じだろうと思います。

 参考までに「風流の」を解釈しておくと、白河の関を越えて奥州に踏み込んだ芭蕉が、ここから私の風流の旅が始まるのだ、と思っていたら、折しも庭先から奥州の田植え歌が聞こえて来た。等窮さん、なんとも素晴らしいもてなしをしてくれるじゃありませんか、というわけで、見事に亭主の等窮を持ち上げた挨拶をしているわけです。

 なお発句が「当座の情景・感懐を詠む」ということは、脇句以下は全て「当座の情景・感懐を」詠まないということです。では何を詠むか?

 要するに想像力によって作り出した世界を詠むということです。これが現今の日本人にはちょっと難しいかも知れない。なぜかというと近代の日本文学の大きな特徴になっているのがヨーロッパの自然主義に影響された私小説の伝統。自分の生活を嘘偽りを交えずに描写するのがいいとされていまして、想像力などという得体の知れないものによって作り出された世界は絵空事として軽蔑する傾向がいつのまにか生まれてしまった。

 しかし文学というのはもともと絵空事の世界なのであって、絵空事を軽蔑する人に文学を云々する資格はない!!文学の世界では月に人が住み男が女に女が男になり、文豪が猫になるのである。それを認めない人間はついに文学とは無縁な人間なのであーる!!と叫ばなくても、パソコン通信やってるような人にはわかりますよね。

 でそういう中で発句は、唯一その時その場で感じた実情・実感を詠むものなのであって、だからこそ連句の中の特別な句の中でも特に特別な句だということになるわけです。

 さてその発句に対して、脇は亭主の座。当然これは亭主の挨拶返しなわけですから、発句で持ち上げてくれたお客さんに対して、謙遜して答えるわけです。連句は変化の文学と言ってもここでは余り変化は心掛けず、発句に寄り添い素直に返答しなければいけません。で季節も場所も時刻も発句と同じにするわけ。

 等窮の

    いちごを折りて我がまうけ草

は、「いちご」が夏で発句と同季、場所と時刻は一句ではわかりませんが、少なくとも朝や夜ではない。

 「いちご」は現在のオランダイチゴではなく野趣に富むキイチゴだとのこと。「まうけ草」はご馳走のこと。こんな田舎ではご馳走といってもこんなものしかありませんが、と謙遜して、しかしこれは私が手づから折ってきた、私としては精一杯のおもてなしですよ、と言ってるわけです。立派な挨拶返しですね。

 韻字止めにするのも発句と一体になって、一首の和歌のような一つのまとまりを作り出すためのもののようです。

 次に第三はここが百韻なり歌仙なりの変化の始まり。以後の句も全て前句に付きつつ打ち越しを離れるという精神で続けられる訳ですが、その最初の句ということで大事なところです。

 曽良の第三

    水せきて昼寝の石やなほすらん

は若干晦渋な句ですが、「せきて」は塞き止めるということ。「昼寝の石」とは、「石に枕し流れに漱ぐ」という故事により、山奥に住む隠者の生活を暗示する語。前句のいちごをその隠者が昼寝の枕にした石を直してその上に置き、自分一人の貧しい食事とする情景を描いているのだろうと考えられます。

 発句と脇句で作っていた、田植え歌が聞こえて来る里の人家における客と亭主のやりとりの場が、一転して山奥の渓流の孤独な隠者の食事の場面に転じられたわけです。

 山奥に住む孤高の隠者ということでAの丈高さもあり、Bに言ううちの「らん」留めにもなっていますね。

 さて最後の挙句ですが、これは執筆の句と言うより、正客でも亭主でもない人が詠むのが作法ということでしょう。大事なことはAの祝言性と、まとめに書きませんでしたが終わらせないということ。

 祝言性は多分、連歌の時代に連歌が神社や寺の境内で法楽のために行なわれたというあたりに起源を発しているのだろうと思います。戦乱打ち続いた中世には、平和や安定を願う気持ちが強かったということでもありましょうか。平和な時代ではあっても、そこに集った人々の幸せと和を願うのは当然のこと。現代においても祝言で終わらせる意味は十分あると考えます。

 終わらせないというのも多分それと関係があるので、幸せがいつまでも続いて行くように、という願いがこめられていたものと思います。

 ちなみに「風流の」の挙句は曽良が詠んだ

    蚕飼コガヒする屋に小袖かさなる

という、等窮邸の繁栄を祝うものでした。
 以上4種類の句以外は全て平句と言います。平句の中のどの句かを指定する時は、たとえば「名残表の何句目」とか言います。
------------------------------------------------------------
 うーむ、なかなか面倒なことになって来たかな?しかしルールブックというのは何でも面倒なもので、実際に運用する時にはそれほどには感じないのが普通でしょう。ま、残りはまた。

キョン太

前に戻る    次に進む

このページの先頭に戻る