講座09>共同制作の文学(9)

連句とパソコン通信

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 やっと核心に近付いて来たかな?

 前回双方向通信であることを最大の特長とするパソコン通信にふさわしい文章の形式とは、1対多のマスコミ的文章であると同時に、手紙のように誰かの返事を要求する文章でなければならないと、なかなか難しい要求を出しましたね。

 そういう文章の形式というのはどうしたら出来るのか、やっぱり難しいなあと思わざるえませんが、しかし実は連句というのが、これは散文ではないけれどもそういう形式の文芸なんですね。

 連句はこれまで興行して来た自由連句でおわかりになったと思いますが、原則として複数の人間がいないと出来ません。例外的に独吟といって一人で巻くのもありますけど、それは連句の練習としてとかある作者の実力を示すためのデモンストレーションとして行なわれたものであって、原則として複数の人間がいなければ出来ないものです。

 そしてある連句の座に参加した人達は、1巻が進行して行く間、作者と読者の二つの立場を交互に体験することになる。更にある句は必ず次の句を呼び出す役目を持ち、付句は前句に対するレスポンスになるわけ。

 何句で1巻が完結するか、どこで誰がどういう句を出したらいいか、ということも、ゆるやかな規則ですけどあらかじめ決められているので、お互いに礼儀を守りつつ進行させて行かなければならない。

 パソコン通信で伝達し合いたい情報は原則として散文の情報でしょうから、連句そのものがパソコン通信に最もふさわしい文章の形式というわけではないでしょうし、規則が江戸時代までに出来上がったものですから、現代人には多少とっつきにくいという点もあるでしょうが、参加者一人一人が情報の発信者であることと受信者であることを交互に体験すること、発信した情報には必ずリプライが期待出来ること、といった点は、正にパソコン通信にぴったりと言えるでしょう。

 しかもそれだけでなく、これは創作であること。情報というのは本来相手に伝われば消えて行って構わないものでしょうが、折角苦労して文章を書いた人にとってみれば、用済みだからと捨てられるのはやっぱり惜しかったりするものでしょ?

 ところが連句の場合、情報を伝達し合っているうちにそれが積み重なって一つの文学作品が出来ちゃうわけね。

 双方向通信にぴったりの文章形式であると同時に文学の創作欲まで満たすことが出来る、とすれば最近あちこちのネットで連句が盛んになりつつあるのも当然と言えるでしょう。ちなみに私のとこに情報が入って来ている限りですけど、今連句はPC−VAN(これは私がBMじゃ)、NIFTY、B−NET、渡良瀬ネットというところで行なわれています。

 以上連句の現代的意義を、特にパソコン通信と絡めながら説明して来ました。連句の将来性ということになると、先のことは占い師じゃないので断言できませんが、パソコン通信が順調に発展して行ってくれるなら、連句も大丈夫でしょう。しかしこれは大丈夫かどうかというよりも、こういう連句の意義に気付いた人達が、その普及と改良につとめて行くべきことなのでしょう。ぜひともご協力のほどを。

 次回は連句の名称についてです。

キョン太

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