講座08>共同制作の文学(8)

パソコン通信の課題

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 いずれパソコン通信で画像や音声が今以上に自由に扱える時代が来るだろうけど、とりあえずは文字情報の伝達を中心に述べて行きます。

 双方向通信であることを基本的な性格とするパソコン通信によって、そこに参加する人々は一方的な情報の受手であることから解放され、自らが多数の参加者に向けて情報を発信する立場に立つことが出来るようになった。

 そしてそれは全ての参加者について言えることなので、結局パソコン通信の参加者は、そこで情報の発信者であることと受信者であることの二つの立場を交互に、というか、アトランダムにというか、とにかく両方の立場に立つことが出来るようになった。そして自分が発信した情報には、誰かが答えてくれる
可能性を確保できた。

 しかし自分の情報に誰かが答えくれる可能性は、誰も答えてくれないうちはあくまでも可能性の段階にとどまっているので、現実には折角何か書き込んでも、誰も何にも答えてくれず、そのうち嫌になってやめてしまう、という人も少なくないんじゃないでしょうか?

 なぜそういうことになるか、これも理由は色々あるでしょうが、その一つとして発信する情報を含む文章のスタイル、という問題がある。

 というのは、世にあるほとんどの文章の形式というのは、これはもともと誰かに質問や答えや感想を返してもらうために作られたものじゃなくて、一人の人間が多くの人間に情報を伝えるために作られた形式なんですね。

 メッセージというのは広辞苑を見ると、「1、伝言。口上。挨拶。使命。2、アメリカ大統領の教書」とあって、このうち挨拶はともかく、後はまず一方的なものでしょ?

 文学作品にしたって、小説・戯曲・詩・随筆、どれも作者が不特定多数の読者を対象に書くもので、作者はそれを読んだ人が沢山いて本が売れることは望むけど、返事が帰って来ることを望んではいないでしょ?沢山の読者から1通ずつ感想文を書いてもらったら、それ読んでるだけで時間がかかって次の作品が書けなくなっちゃうもんね。

 パソコン通信という双方向通信の手段は出来たけど、そこで伝達し合う情報を、伝達し合うための文章の形式というのが、まだ発明されてないわけ。そこでではどんな形式の文章を書いたら誰かからのリプライを必ずもらえるのか、また自分が誰かのメッセージにレスを返す時にはどんな形で書けばいいのか、まあ形だけじゃなくて中身も含めてですけど、これがパソコン通信を上手に利用するための今後の課題の一つ、ということになっているんだろうと思います。

 ああ、書き忘れていましたが、誰かに必ずレスをもらうための文章の形式としては、手紙文というのがあるじゃないかと思う人がいるかもしれませんね。確かに手紙文には返事をもらうことを前提に書かれるものがあり、それはパソコン通信にふさわしい文章の形式を作り出すための参考にはなるけど、それがパソコン通信にふさわしい文章形式そのものではない。

 なぜなら手紙文というのは原則として個人対個人、1対1の関係でやりとりされるものでしょ?それだったら別にパソコン通信が発明されなくてもよかった。パソコン通信にだって電子メールという機能があるから、そこでなら十分役に立つわけよね。

 でもパソコン通信で可能になった双方向通信っていうのは、1対1じゃなくて1対多の情報伝達、つまり新聞やラジオやテレビと同じ構造の伝達方式が、パソコン通信参加者の数と同じだけ実現出来たというものなのね。

 だからパソコン通信に本当にふさわしい文章の形式というのは、マスコミにも通用すると同時に手紙文でもあるという、二重の性格を持っているものでなければならないわけ。

 しばしばパソコン通信のボードの中に、メールと同じようなやりとりが見られるけど、あれは関係ない人間にとってみれば時に迷惑だったりするものでしょ?ボードはあくまでも公共の場であって、1対1で完結する情報交換ならメールでやればいいわけよね。

キョン太

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