講座06>共同制作の文学(6)

パソコン通信の効用

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 どうでもいいけどなかなか連句の話にならないね。一体これ何の講座?と思う人も多いでしょうが、ものには順序がある。もうちょっとお待ちを。

 前回までにマスコミの発達が現代人を孤独にし、また情報の操作によって現代人の価値観そのものを操っているということを書きました。ではなぜそういうことになるのか、理由は色々考えられるでしょうが、マスコミが原則として1対多、すなわち限られた情報発信者であるマスコミ各社が、不特定多数の読者・視聴者に一方的に情報を伝達する媒体である、ということが、その大きな理由の一つであることは言うまでもないでしょう。

 勿論別に新聞やラジオ・テレビは悪いとこばっかりというわけではないんで、様々な弊害があると知りつつ私は新聞を読みラジオを聴きテレビを見るという習慣をやめるつもりはない。そういうものがいきなりなくなったらこれはえらいこっちゃであります。

 しかし問題があることも確かなんで、そういうものに囲まれて生活している現代人は、当然のように深まる孤独の中で誰かとつながりたいと思うようになる。また教育現場とマスコミの教育によって、自分からも何か情報を発信したい、またその力もあるという人も増えて来た。

 こういう状況の中にパソコン通信は誕生したわけです。パソコン通信を発明した人が誰で、その人が一体何を目論でいたのかなんてことは私は知らないので、知ってる人は教えて下さい。

 しかしとにかく始められたパソコン通信というものは、新聞・ラジオ・テレビのような一方的な通信方法ではなく、双方向通信だった。とするとそこには、孤独な現代人がお互いに心を通じ合える可能性がある、また自ら情報を発信したいという欲求を持ちながら、その手段を持たなかった人達にその手段を提供することになった。

 マスコミの弊害を自覚しながらそれを克服することが出来なかった人達にとって、これは福音でなくてなんだろう、ということになるわけです。

 パソコン通信の効用は多分それ以外にもあるんだろうし、実は効用ばかりでなく弊害だってあるはずです。しかしそもそも世の中にいいことずくめのものを望むのが間違っている。うまいものには毒がある、便利なものは人間を怠けさせる。

 とりあえず我々は、まずはパソコン通信のいいところに飛び付けばいいのではないか、と私は考えているというわけです、はい。

キョン太

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