講座05>共同制作の文学(5)

マスコミの発達と弊害 その3

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 マスコミの情報操作の例としては、去年の中国の天安門事件が記憶に新しいですね。中国の民主化を要求する市民・学生の連日のストを、中国のマスコミである人民日報とか中国中央電子台はどのように報道したか。またソ連のテレビはバルト3国の独立問題をどう報道していたか、改めて私が説明するまでもないでしょう。

 それから古いところでは太平洋戦争時代の大日本帝国の大本営発表。現実にはあちこちで負け戦を繰り返していた日本軍が、新聞やラジオでは毎日のように勝った勝ったまた勝ったと報道していたという。連合軍は鬼蓄米英で日本軍は世界の平和を守る正義の味方であるように、これはマスコミだけじゃなく学校教育の場でもそう教えていたんだろうけど、現実には中国や朝鮮に進出した日本軍は、無抵抗の中国・朝鮮の人達を大量に殺していたわけね。

 そういう問題はかつての帝国主義日本や現代の共産主義の国だけで起こっている問題ではない。民主主義・資本主義の国でもいくらでも起こっている問題です。

 民放というのは原則として広告収入で運営しているわけだから、スポンサーの意向に左右されざるをえない。お金を沢山持っている企業はコマーシャルをたくさん流して、性能的には特にいいわけでもない自社の製品の名前を視聴者の脳味噌にインプットしてしまうから、いちいち性能を比較出来ない消費者である視聴者は、テレビのコマーシャルでやっているんだからまあ信頼していいんだろう、ぐらいの判断で買うものを決めてしまう。

 NHKは税金の一種であり視聴者が払わざるをえないと思わせられる受信料というもので運営しているわけだから、コマーシャルなんてしなくていいのに、昔はカラーテレビを売り込むためにカラー放送のコマーシャルを、今は衛星放送のコマーシャルをやっておる。なんだなんだあの衛星放送ってやつは。俺はあんなの買わんぞ。絶対買うもんか!!実はお金がないんだけど。とほほ。

 ではまた。

キョン太

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