講座04>共同制作の文学(4)

マスコミの発達と弊害 その2

目次に戻る


 余りに肥大化したマスコミの弊害の中に、個人の孤独とマスコミの情報操作という問題があります。

 個人の孤独というのは別にマスコミの発達によるだけじゃなくて、たとえば近代日本が西欧から受け入れた個人主義の発達にもよります。それまで農業共同体の中でまわりの人の機嫌を損ねないように配慮しつつ、同時にまわりの人に寄り掛かりながら生活していた日本人が、そこから抜け出して個性的に生きようとした時、当然のように孤独にならざるをえませんでした。

 大学時代の近代文学の授業で、近世以前の孤独は文字通りの孤独、つまりまわりに人がいないことによる孤独だったけれども、近代人の孤独とは集団の中の孤独、つまり回りには沢山人がいるのに、むしろだからこそ孤独を感じる、というものになった、ということを習いました。

 古典文学を研究していると必ずしもそうとは言い切れない、近世以前の人の中にも集団の中の孤独を感じた人はいたんじゃないかと思えて来ましたが、傑出した文学作品を書き残すような人は古代だって個性的な人達だったので、言ってみれば古代の近代人だったわけね。

 で集団の中の孤独というのは、特に都会生活をしていると強く感じられます。新宿とか渋谷とか、別に函館の繁華街だって構わないですけど人込みの中を歩いていると、突然、今肩をくっつけるようにして歩いている人が全くの見ず知らずの人で、自分とは何の関係もないんだ、と感じてしまうことがある。

 農村の破壊、都市の発達、個人主義の影響、そういったものが寄ってたかって現代人の孤独感を増幅しているわけですが、マスコミの発達もそれに拍車をかけた。

 都会の人込みで孤独を感じても、家に帰って家族の中に入って、家族との繋がりを強く感じたり出来れば、外でのことはどうでもいいわけね。でも家に帰っても家族との繋がりを感じられない人達が、現代には急増しているのだと思います。

 テレビがやっと1台買えた時代、あれは力道山が活躍していたり今の天皇が結婚してパレードした時代ですが、家族が茶の間のテレビに熱中するようになった時、既に家族の団欒は壊れ始めていた。

 それが今なんか一人に一台だったりするわけでしょ。子供は一人で勉強部屋でテレビを見ている。母親も居間で見ている。夫は残業で遅く帰り、子供と顔を合わせることも滅多にない。なんてことになったら、というかなっている家族が多いんだと思うけど、もう家族とのつながりも感じられなくなっちゃったわけね。

 ではもう一つのマスコミの弊害である情報操作についてはまた次回。

キョン太

講座03に戻る 講座05に進む

このページの先頭に戻る