講座03>共同制作の文学(3)

マスコミの発達と弊害 その1

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 情報は人間が生活する上で昔から大切なもんだったんで、特に現代を情報化社会だなんて言うまでもないと思うんだけど、まあ近代というのは工業技術の発展によって、情報伝達の世界でも飛躍的な発展があったわけね。

 かわら版なんてのは江戸時代からありましたが、そこから発展した新聞・ラジオ・テレビといったいわゆるマスコミ媒体が、その発展に大きな意味を持って来た。

 新聞・ラジオ・テレビというのはそれぞれ活字・音声・映像と情報伝達に利用する手段が違っているわけですが、その基本構造、つまり限られた情報発信者が多数の受信者に、迅速に大量の情報を伝えるものである、という構造は共通しています。

 そしてそういうものの発達によって、現代人は昔の人に較べて圧倒的に大量の情報を扱えるようになった。それは現代人一人一人にとって相当利用価値の高い道具だと言えるんだけど、現代はそういうものの発達に伴う弊害が、徐々に気付かれて来た時代なんですね。

 その弊害は色々あると思いますが、たとえば余りに多くの情報が流れ込んでくるので、個人が到底それらの膨大な情報を取捨選択して利用する暇がない、といった問題。情報を一手に握っていることによるマスコミ自体のおごりとか。

 最近どっかの局で暴力団の借金取り立てかなんかの場面を放送して、それが実は傷害事件だったんで警察でビデオテープを押収しようとしたら、報道の自由を犯すなとか言って抗議したという事件がありましたね。

 報道の自由という美名を振りかざして、暴力をふるわれた人の人権が犯されても何とも思わないという感覚があの人達にあるということ。

 まあいろんな弊害があることと思いますが、中でも特に問題にしたいのは、そういう情報化社会の中で生きている人一人一人の孤独感の深まりと、マスコミによる情報操作の問題ですが、それはまた次回ね

キョン太

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