Home<日々雑感<

日々雑感
2002-10〜2
266〜270
2003-09-22

最新版はこちら

(271〜)

270 by:kurochan  投稿日:10月31日(木)23時17分38秒
◆火曜日には復活。まだ少し頭がフラフラしていたが、授業に会議に午後から出張。
◆水曜は、勤務校のある市の市人権教育推進協議会研究大会で分科会報告。教員の集会で喋ることはままあっても、こういう民間企業の方々や行政の方々、専業「主婦」の方々を前にして、それなりに楽しくお話ができたかな?と思う。独身時代、連日飲み歩いたこともあって、教員以外の連れがやたらと多いことや、生まれが寺院で、本堂に集まった年輩の方々なんかと過ごした時間が幼心にもたらした対人姿勢もあるんだろうな、と思う。それにネットのつながりが、十分にそんな場の話題になることも再確認。
◆木曜日は、市内の三高校の解放研で定例の早朝駅前ビラ配布。僕も、顧問としてともに出勤途上の人たちにビラを手渡した。冤罪だと確信しているが、狭山事件で石川一雄さんが逮捕され、無期懲役判決が出されて今日で29年になる。いわゆる「山場闘争」の日だが、各校解放研はさまざまに人権問題に目を向けて活動しており、そんな活動紹介を市民に伝える生徒達の自主活動だ。

269 by:kurochan  投稿日:10月28日(月)13時52分42秒
◆少し前になるが、近所のホームセンターでたまたま毎日放送ラジオの現地中継に出くわした。「MBS日曜出勤生ラジオ」という番組。中継放送が終わり、集まった人たちへのプレゼントがビンゴゲームの形で行われ、テレカと洗剤類をゲット。実は「次のビンゴの方には毎日放送ボールペンセット」という時にビンゴになっていたにも関わらず、ちょうどその時に来たメールに気をとられてビンゴを見落としてしまい、次の商品の争奪ジャンケンで勝って手に入れたモノ。素直に喜べない変な気分のkurochanであった。
◆25日、105円の手数料を払って、18時以降に貯金を引き出した時、ふと見ると隣のATMにポーチの忘れ物。備え付けの受話器を取って連絡すると、残業していた行員が出てきた。約20分後落とし主のおばさんからお礼の電話。僕までちょっと嬉しくなるひととき。
◆26日、最初に卒業させたクラスの同窓会。東は名古屋・西は岡山からの参加者は、42人中29名。さらに赤ん坊も数名。出産間際で欠席した者や仕事がはずせず欠席した者などもいたので、かなりの参加率だ。個性的で楽しい面々が揃ったクラスで、2〜3年持ち上がりだったこともあり、それこそ思い出はつきない。幹事の直美さんご苦労様でした。
◆27日、大阪箕面公園に出かける。「ゆうひ」はお猿さんを見つけて大喜び。昆虫館の放蝶室ではチョウを追いかけ走り回る。紅葉揚げもパクパク。寒かろうと子ども用コートを着せていったが、僕はセーター一枚。→今日は風邪で仕事を休んだkurochanであった。
◆拉致被害者の永住帰国の問題で、北朝鮮に残してきた子どもの気持ちが焦点の一つになっている。16歳の外国人登録を前に自らの民族を知らされることもある在日外国人の子どもや、生まれ故郷の友や生活と別れて日本に渡日してくる子ども達の心の葛藤と通じるところが多いと感じている。私たちの身の回りには、そのような悩みや葛藤を秘めた外国人が多数在住していることに気づきたい。

268 by:kurochan  投稿日:10月24日(木)03時13分25秒
◆公私共々難題山積てんてこまいのkurochanですが、一つ荷がおりました。23日、勤務校で全校人権集会があり、同和教育部長として、少々気を張っていたためです。学校五日制等で行事の精選がどの学校でも課題ですが、勤務校では、昨年までの夏の反戦平和学習会と秋の人権講演会の2つの行事が、今年から全校人権集会という1つの行事になったのです。
◆校長が秀吉と朝鮮の話をした後、解放研・解放委員会から水平社博物館見学のスライド報告があり、「夏の人権作文から」として僕の講話、そして職員劇をして、各クラスホームルームです。僕は、全体司会と3番目の講話が受け持ちで、芝居については名前だけのプロデューサー。
◆約20分の芝居は、同僚の作品で、出演の6名は連日練習を重ねてくれました。ぶつぶつセリフをつぶやきながら廊下を歩いていた教員までいたほどです。車椅子生活の彼との結婚に父親が反対するという大筋に、いろいろな要素を加えて、5人の配役それぞれの悩みへのアドバイスを考えてみようというものです。
◆とても元気な子ども達が多いんですが、さすがに教員劇はしっかりと受け止めてくれたようです。

267 by:kurochan  投稿日:10月22日(火)11時02分18秒
◆「現在の在日朝鮮人=強制連行の被害者」というのが誤解であることは、立場を越えて真面目な研究者の指摘するところです。強制連行被害者の多くは単身「渡日」で、帰国が比較的身軽であったため、その多くは戦後早い時期にかなりの方々が帰国されているようです。「広義の強制連行」に含める考え方もあるんですが、日本による植民地支配等によって経済的に追いつめられた人々が、生活の糧を求めて中国や日本などへ移住された方が多くいました。現在の在日朝鮮人の大半は、戦前・戦中に生活基盤が日本に移動したり、戦争による家族の離散、帰還船の不足、財産持ち出し制限、朝鮮戦争の勃発、等の事情で、帰国がままならなかった方々とその子孫であるといえます。もちろん「狭義の強制連行」被害者も日本には実在します。この点を誤解・混同している人がおり、日本の負の歴史を消し去ろうとする勢力によって、格好の批判対象にされています。真に民主的な社会をめざすためには、科学的で正確な歴史認識が必要であることを示す例の一つでしょう。尚、この種の問題に関する当方掲示板への投稿はご遠慮ください。ご意見は直接kurochanまでお願いします。

266 by:kurochan@携帯  投稿日:10月19日(土)20時42分55秒
◆昨日、カントリー調の可愛いソファーが届いた。妻がリビングの模様替えもしてくれて気分一新。
◆風邪の「ゆうひ」は食欲がなく顔色もさえない。いくらしんどくても食欲だけは衰えなかったkurochanとしては少々心配。
◆中間考査も終わり、成績処理と教材研究と2学期後半の行事の数々の準備に忙しい日々。
◆例の掲示板は今朝閉鎖。しかし歴史歪曲との闘いは地道に続けたい。皆様、ご心配かけました。
◆山野さんは陶芸暦6年という。とてもあそこまで極められないながらも一応多趣味な僕だが、最近は時間に飢えている。ゆとり教育の言葉が虚しい。

(〜265)

home