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時の話題2004-7
LAST UPDATE 2004-08-03
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◇印は《日々雑感》より転載
福井・新潟豪雨災害(04/7/24) ◇「バカの壁」と規範意識〜つながり合うために(04/7/21〜24 ) ◇養護学校(04/7/19) ◇開放病棟(04/7/18〜19) ◇障害は個性か(04/7/18〜20) ◇「ゆとり教育」と「反動教育」の危険(04/7/15) ◇プロ野球再編とナベツネ(04/7/15) ◇参院選2004(04/6/20〜7/13)


【福井・新潟豪雨災害】vol.212《日々雑感より》
◆宝くじの2億円当たり券が、豪雨被害への見舞金として匿名で送られてきたというのは、驚きだし感動だ。たった一人の行為とはいえ、どれだけの人々の救いとなり、僕も含めて、どれだけの人々に人間への信頼を思いださせるか計り知れないと思う。単に金額に目を奪われるのではなく、そうした面を嬉しく受けとめたい。匿名というのが、さらに胸をすく。同じ匿名でも、差別落書きや差別投稿とは大違い。しかし、被災者への支援は国の責務だし、無償の奉仕が奨励されるのは、きな臭さに結び付きかねない。何もできずにいる自分を恥じるとともに、社会に目を向け、自分にできることをさりげなく実践していける人になりたいものだ。(527、04/7/24)[→7月目次]

【「バカの壁」と規範意識〜つながり合うために】vol.211《新掲示板レスより》
◆抵抗勢力を「バカの壁」だと切り捨てる小泉さんこそ「バカの壁」を自覚できない「おバカさん」だと思いますが、靖国参拝訴訟敗訴や参院選惨敗に対しても、彼の無自覚ぶりをさらす事になりました。安易に分かったつもりになるんじゃなく、分かりあえるわけがないとあきらめることもせず、なるべく壁を低くして、より分かろうとする努力と伝えようとする努力を丁寧に続けたいですよね。よく「克己復礼」といいますが、繋がりあうための努力は惜しんではいけませんね。(しおんさんへの掲示板レス、04/7/21)
◆我が家のすぐ近くにある中学の担任が酒に酔い、西大寺駅で醜態をさらした事件は、昨夕・今朝の新聞に載っていましたが、数日前に報道された、長年にわたる小学生の恐喝を、相談を受けた教員が長らく放置していた問題も、あまりにもひどい話です。この手の事件には頻発する背景にある教員の規範意識の乏しさは、子どもや地域の方々への直接の被害にとどまらず、日常的に接している子どもたちへのマイナスの教育効果という深刻な側面がありますから、極めて深刻な事態だとうけとめねばなりません。というとすぐに、綱紀粛正だの官製研修だのということになるのですが、間違っても、みせかけのスタイル(卒業式の式次第など)の強調なんかでは、人として身につけるべき自他尊重の意識はとうてい身につきませんからね。憲法を守らずに憲法をけなし、靖国参拝違憲判決を「わからないね」と聞き流し、公約を破っても「たいしたことない」と開き直り、年金のウソがばれても「人生いろいろ」と無責任にごまかす小泉さんは、人間教育にとってもあまりにマイナスの教材なんですけどね。世間に広がる、「少々ずるくて当然」という風潮の「少々」がますます増幅し、人としての在り方までが崩れゆく時代を、なんとか楔をうちこまねばね。決して国家主義の愚に走らずにね。ホント、迷惑メールはますますひどくなり、ワンギリもまたもや激化しているようす。規範意識のない連中に携帯やPCもたせちゃいけないね。車内も非謗中傷系BBSなどもね。(ようちゃんへの掲示板レス、04/7/24)
◆規範意識を守ろうとする気持ちは、ともに豊かに生きたいという心がないと湧いてきませんし、ともに豊かに生きたいという心は、自分が大切にされる経験があって、他人を大切にする喜びに気づいて初めて育まれるんだと思います。そんなあたりから、丁寧に立て直していかないと、本当に成り行かなくなりそうですね。(掲示板レスの枕、04/7/24)[→7月目次]


【養護学校】vol.210《新掲示板レス》
◆僕のふるさとは、介護が必要な老人も精神障害者も、同居するように暮らしていた町だったように思います(vol.209参照)。みながちゃんと差別を乗りこえていたかというと、決してそうではないと思いますが、日常的に接していたということが、大切だったんだと思いますね。そして、元学級保障の取組も、「養護学校義務化反対運動」も、障害児の専門教育そのものを否定するものではなく、障害児を「隔離」して非日常的な存在にしてしまう危険性と、摩擦を起こしぶつかり合いながらも共に生きる力を育てることの大切さを子どもたちに時間をかけて身につけさせる実践を訴えるものだと思いますからね。(eatyhiroさんへの掲示板レス、04/7/19)
◆老人介護施設の増設には、専門性が求められている反面、社会的隔離の論理がちらほら見えてしまうんですよ。それは、養護学校にも言えます。座敷牢や就学猶予の時代からすれば、養護学校の障害児専門教育は画期的なものだったと思うんですが、それは新たな「隔離」の危険性も合わせ持っていたと思うんです。乙武洋匡さんも、幼稚園から地域の学校に通っていますよね。養護学校ではなく、地域の学校に通えるように、彼の両親が熱心に、「前例がない」という教育委員会と協議を重ねた結果です。養護学校でも、内側から壁を壊さねばと、様々な試みをされていますしね。(neko.さんへの掲示板レス、04/7/19)[→7月目次]


【開放病棟】vol.209《新掲示板レスより》
◆精神障害者の処遇問題は、「社会的入院」と言われるように、社会のあり方が入院を余儀なくさせているとの批判がありますが、知的障害者についても「社会的入所」というべき社会の実態がありますね。障害者を家族にもつ者の意識をしばる歴史的課題や、精神病院の経営や医療保険点数制度の問題など、克服すべき課題がたくさんありますね。(neko.さんへの掲示板レス、04/7/18)
◆精神科の開放病棟については、母が奈良医大の看護婦を長年していましたので、僕自身が高校でノーマライゼーションについて考えはじめたり、大学で精神医療の現状や社会防衛的な法制度について明確に怒りをもつ以前から、時々聞かされていました。しかし、母にすれば、鍵をかけないことだけで人権擁護になるのか?という疑問があったようで、その理想と現実についても、中学生の僕に語っていたように思います。いや、それ以前かもしれません。僕の生家は寺ですが、キツネに憑かれた(いわゆる憑依現象)という近所のおばあさんが、よく隠れに来ていましたし、分裂症(現在は統合失調症といいます)の方やヒロポン中毒の方なども、地域でともに暮らしていましたので、子どもの僕の素朴な質問に母はあれこれ答えてくれていたように思うからです。そうした僕のふるさとでも、やはり心ない差別的中傷があったのでしょうが、「隔離」してしまえば、排除から共生への学びもまた失われてしまうのだろうと、思います。(eatyhiroさんへの掲示板レス、04/7/19)[→7月目次]


【障害は個性か】vol.208《新掲示板レスより》
◆「こてこての同和教育はリアリティーを失った」というようなことがいわれ出して、もう何年たったでしょうか。僕がどうなのかは分かりませんが、「すっきりスマートな人権教育」へ移行する流れに、上辺だけのっかる「実践無き言い訳野郎」が、おっしゃる「めんどくさがり」なのでしょうね。さて、まず障害の表記ですが障害者問題のページに、次のような断りを書いてあります。
《「 」無しで漢字の障害とします。この語句への抵抗(障害者への抵抗ではありません)を示すため、「 」をつけたり、ひらがな表記をする場合があります。限定された場面では、個々のこだわりの表現でいいと思いますが、文書上の語句として説明なしに使われる場合、そうした抵抗の意図が伝わらない場合があり、さらには「自分たちとは違う特別な存在」との印象や、「個性の無い一律の存在」としての障害者像を与えかねません。また、形式に堕すことは「単なる抵抗のポーズ」とのそしりも必然です。kurochanとしては、原則として「 」無し・漢字表記をすることにしています。(2003/3/13)》
また、障害の三側面(機能的・能力的・社会的障害)とよく言われますね。例えば、僕に左手の小指がないとします。まず機能的に障害をもつことになります。ところが、そのことで、実際にどれほどの能力的不都合があるかといえば、それは人によって違ってきます。指の欠損はピアニストなどにとっては、重大な能力的障害ということになります。ところが、左手小指の欠損が、社会的人物評価での不都合をもたらすとすれば、それは社会的障害ということになりますね。基本的には、障害を「個性」ととらえたいkurochanなんですが、「機能的なやっかいさ」はついて回りますし、「能力的な制約」であることにも変わりありません。そうしたハンディを引きうけて生きるその障害者のアイデンティティを深く尊重することのない、「上辺でスマート」な「個性」視には、やはり抵抗を覚えます。(eatyhiroさんへの掲示板レス、04/7/18)
◆「金と権力がすべての目的でしかないブッシュや小泉、金と権力のためには手段・結果を問わない連中が普通に扱われるこの社会こそ異常(病気)なのだと思う」という、ご指摘には全くもって僕も同意します。さて、その戦争国家化をもくろむ連中にまんまと絡め取られた河合隼雄ですが、彼もそうであるユング派精神分析では、「分裂」症の方によく見られる「幻覚・妄想」と、世界的宗教で語られるシンボリックな宇宙観、そして、世界各地に共通する代表的童話や神話には、共通するパターンが見られるとされています。これを普遍的無意識における元型といいますが、つまり、「分裂」症者は、人間がもつ根元的なイメージをストレートに感じることができるピュアな精神の持ち主とも言えるわけです。「感受性の鋭さ」は、直感的に本質を捉えることができるためだと言えるのかもしれません。そして、「分裂」症者とそれ以外の者は、どこで「線」が引かれるかというと、そうしたピュアさや、直感の鋭さが、群を抜いているために、畏れの裏返しとしての「排除」がまずあり、そこに様々な症状を関係づけて「枠」をつくっているようにも思えます。心の風邪ともいわれる「躁鬱」症についても、「心の鈍感さ」を保てないが故の反応なのかもしれませんね。そもそも、「障害とは少数派のことである」との見方があり、何が「健常」で、何が「障害」であるかは、多数派か少数派であるかの違いでしかない、という見方で、僕もそう思います。例えば、右手の指が6本の人がいるとしても、それが障害かどうかは、他の人々の右手の指の数で決まってくるというわけです。「5本向け」の様々な社会的仕組みが、「6本」の人の障害になるわけですから。また、「平均並みに物事が処理できない」または、「平均以上に物事を処理できてしまう」ことを障害とするのは、人間を道具に見立てた悲しき陥穽(落とし穴)だと思います。ナチス支配の軍事体制下では、障害者も民族的マイノリティーも性的マイノリティーも、そして反戦思想を持つ者も、排除・攻撃の対象になりましたよね。河合隼雄は、「元型」の研究として「童話」の分析にも取り組んできましたが、「差別や平和」の問題には、「鈍感」すぎるように思うkurochanです。医者が人権意識を持たないことは、恐ろしい事態を招くのだということも、歴史に学ばねばと思っています。(RAさんへの掲示板レス、04/7/20)
◆「五体満足でない人は、確かに様々な困難を引き受けなければならないが、五体満足でないことが不幸せになるのは、五体満足でない人を不幸せだと思う人がいるからだ」ということを、確認しておきたいと思います。(neko.さんへの掲示板レス、04/7/20)[→7月目次]


【「ゆとり教育」と「反動教育」の危険】vol.207《新掲示板レスより》
◆人の心も削り取ろうとするかのごとき「合理化の嵐」。警察の「公金横領」など聞いてあきれる「我田引道公共事業&国債乱発&天下り公益法人」という「子孫・税金泥棒」。球団も銀行も合併・リストラで、「ゆとり教育」と「反動教育」で、管理しやすい少数エリートと従順で大量の切り捨て労働者の養成。「反動教育」と言えば、石原都知事はいうに及ばず、安部幹事長や河村文科相に東京都の横山教育長までが、歴史歪曲国粋化団体「新しい教科書をつくる会」を支持する集会で賛同の言葉を述べているんですから、本当に危機的な状況だと思います。某ライオンは、「人生いろいろ、そんなことは大したこと無い」と、どんどん悪夢に引きずり込む気のようですね。(neko.さんへの掲示板レス、04/7/15)[→7月目次]

【プロ野球再編とナベツネ】vol.206《新掲示板レスより》
◆僕もかねてからナベツネが大嫌いなんですよ。プロ野球の再編縮小について、水面下で根回しされていたのは見え見えですが、これだけ批判がでてくれば、いったん話を引っ込めざるをえないでしょうね。それもまた根回しの演出かもしれませんが。古田選手会長を始めとする選手会の奮闘と、プロ野球ファンの頑張りに期待したいです。所詮、ナベツネはプロ野球もプロサッカーも大相撲も、スポーツとして大切にする気などさらさら無く、新聞協会も日本国憲法も、さらに最近では教育基本法さえナメきった、どうしようもなく有害な人物だとkurochanは思っています。(ようちゃんへの掲示板レス、04/7/15)
◆世界最大とも言われる部数を誇る日刊紙のドンが、反民主的な独裁野郎なんですから、あきれてばかりはいられませんね。きっちり批判をぶつけていかないと、日本のマードックにもなりかねませんからね。ナベツネの思うがママにさせてはいけません。(eatyhiroさんへの掲示板レス、04/7/15)
◆僕も長嶋がかつては大好きだったのですが、結局ナベツネのいい操り人形でもありました。その長嶋にキチンと喧嘩を売れたのは星野か誰かしかしませんでしたね。さっすが星野さんです。(neko.さんへの掲示板レス、04/7/15
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【参院選2004】vol.205《日々雑感新掲示板より》
◆与党は言うに及ばず野党においても、理念と実態のあまりのズレは、有権者・納税者を欺き裏切るものと断ぜざるをえませんね。社会民主主義の路線は、現実的理想追求の潮流だと思っていますし、日本でも各党が政策化しているといえますが、それを党名として標榜する社民が、国労の不採用問題で四党合意に組したり、秘書給与の問題で永田町の論理に絡めとられていたのは実に残念です。しかし、石原や小泉のような輩を長期間権力の座につかせている側も反省すべきですよね。(ようちゃんへの掲示板レス、04/6/20)
◆ジェンキンスさんも、小泉のいい加減な口約束では、渡日するわけにはいかないよね。ロクな努力もせず(しているかのようにだけ見せかけて)年金問題をはぐらかしての訪朝。武器商売に役立てようと、家族会を利用したかと思いきや、「かわいそうな小泉」を演出するために家族会逆利用(いわゆる家族会バッシング)のマスコミ対策。飯島秘書官の見事な演出で、すべては選挙対策のための操作でしょうね。曽我さんが9日に家族と再会すれば、10日にはマスコミの大報道があり、11日の選挙に間に合うというのは、あまりに見え透いた筋書き。同じ9日、米国上院情報特別委員会が「イラクの大量破壊兵器の保有や核開発との情報は誤りだった」と、ブッシュやCIAを断罪する報告書を出したけど、そんなブッシュを手放しで支持した小泉の責任追求を、10日に、きっちり展開するマスコミがあっただろうか?選挙に行こう!(RAさんへの掲示板レス、04/7/11)
◆あまりに見え透いた小泉自民党の選挙対策で、今回の参院選は与党惨敗。では躍進した民主党に期待できるかというと、不安と不信がつきまとう。みどりや社民がもっと頑張らないと、独善日共だけでは政治腐敗への切り込みに幅ができない。携帯ゲームやメールをしているか、さもなくば居眠りしている、という輩が目立つという審議中の国会議員も、軍産化関連法案には起立するというのだから、有権者は舐められきっているのに、マスコミが的確な批判を分かりやすく展開できないところが悲劇だ。表層だけがうつろいゆく政治世相があまりに虚しい。政党のコピーじゃなくて、本当の民主政治を納税者が闘いとらねば、と思うのだが。(545、04/7/11)
◆奈良選挙区各候補の市町村別得票数をみると、保守王国奈良にどのように逆転化が進んでいるかが分かりますね。しかし、市町村別投票率を見比べると、逆転というより政治的無関心の拡大のような気もします。ところが当選した民主党候補は改憲派ですよね。個々の政策には期待もしたいんですが、複雑な心境です。それよりkurochanとしては、中村敦夫さんに入れときゃよかったと悔いてもいます。紋次郎こと中村敦夫議員は、安保容認派ではありますが、政治腐敗への追求においては貴重な一匹狼だったと思うからです。2大政党制への楔を打ちこむ期待も持っていたんですが。自民支持者にも小泉を引きずり降ろせの声があるようですが、その真意はともかく、あのヒトラー同様、不景気のポピュリストはますます悪夢をもたらすのでしょうね。ピアノに見立てられた大衆は、瞬間芸のパフォーマンスに振り回されていくのでしょう。考える力を育てまいとする教育施策と、自ら牙を抜き迎合する教科書会社と教員によって、それが一層進む予感がしてならないkurochanなんです。「戦争中毒」(ジョエル=アンドレアス著、合同出版)を改めて読んでいますが、「英知」を尽くした「世界侵略」は面々と繰り広げられ続けているとの感を強くしています。(RAさんへの掲示板レス、04/7/13)
◆民主党首も官房長官も辞任したのに、はぐらかして逃げ続ける小泉さんは、しばらくはないだろう次の衆院選まで、軍産国家化をおし進めるつもりなのでしょうね。しかし、参院はこの勢力状態で3年はいくわけですから、いまこそ「良識の府」の存在意義を示してもらいたいものです。とはいっても、時代を作っていくのは我々市民です。身近な問題から世界の課題まで、広い視野と社会参加の自覚をもって、すべきことを堅実に為していきましょう。それがまた、いくら歪められるとはいえ民意に逆らうわけにはいかない選挙やマスコミを変えていくことにもつながるはずですよね。(neko.さんへの掲示板レス、04/7/13)[→7月目次]



























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