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【学校の役割】vol.230《新掲示板レス》
◆学校に期待される役割とは何かと考えた時、まずすぐに思い出すのはアルビン=トフラーの「第三の波」です。ちょうど僕が高校生の時、この本がベストセラーになり、高校生には少々高かったのですが、無理してハードカバーの「第三の波」を買いました。そこで、彼は、資本主義国であろうと社会主義国であろうと、学校に期待されるのは3点であるとしていました。「時間を厳守する」「命令に服従する」「反復に耐える」という、大量生産社会に有用な労働者養成のポイントとして、この3点が、今風の言葉で言えば、「隠れたカリキュラム」として機能しているというわけですね。ところが、コンピューターの発達で、人間の労働は機械的なものから創造的なものへ移行するとし、これを「第三の波」と名づけるのですが、前述の3点教育は「第二の波」である産業革命以降の大量生産システムに対応したものであり、時代遅れになりつつあるというんですね。ところが学校というところは、企業社会に比して変化への対応が鈍く、いわゆる先進国の学校では、すでにそのギャップの大きさから様々な問題を生じていると論じたんですよね。実際には、この3点もまだまだ労働者として必要な資質であるし、かといって創造的な付加価値を生み出す能力もこれからは求められると思うので、僕なんかは、教員になってから生徒に課題を課す時は、「一定の条件をクリアしながらも、創意工夫が不可欠」なものを意識しています。ただし、学校は、生活保障の視点からは労働者としての資質訓練の面を否定しきれないのですが、人格的成長の場としての側面も大切であり、労働者養成という側面だけで考えるわけにはいかないと思っています。様々なことが学校にもとめられ、もとめられていること自体も変化していくわけですから、教員も保護者も、塾にもとめられることも、肥大化していきますよね。クラブ活動をとってみても、いろいろな物語が付加され、金銭が絡んでくると、一体何のためにクラブ活動をするのか?ということになります。「〜ねばならない」と考えるのは、弊害も大きいのですが、翻弄される子どもたちや関係者をみるにつけ、原点って何だったんだろうと思ってしまいます。(塾講師さんへの掲示板レス、04/10/5)[→10月目次]
【歴史社会的偏見】vol.229《新掲示板レス》
◆ユダヤ人や中国人が世界各地に分散しているのは訳あってのこと。「こわい」と評するのは無理解が故だと思います。
「ユダヤの陰謀」に類する偏見は、迫害をはねのけてきたユダヤ人に対する嫉みが主因、中国人と犯罪を結び付けたがる偏見は、歴史認識や犯罪報道の歪みが主因と思います。イスラエルや中国を経済的に利用している国はどこか?ということを考えるべきでしょう。
中世の十字軍を例に出すまでもなく、宗教戦争にしたてられた聖戦とは、兵士を死に駆り立てるために手段として宗教を利用したにすぎないとは、歴史学の基礎です。個々人の歴史認識を操作するために宗教戦争を装ってきた歴史を読み取らねばなりません。
確かに戦争犯罪はアメリカの独占物ではありません。ソ連(ロシア)のえぐさ、イギリスの汚さ、中国の手前勝手さは歴史好きの中学生でも気付くことだし、イスラムの拡大も戦争とともにありましたし、大航海時代以降のヨーロッパ人の罪が、南北アメリカ・アジア・アフリカに今も悪影響を引きずらせている。また、台湾を植民地にしたのは日本だけではないし、朝鮮半島に不幸をもたらしたのも日本だけではない。兵器産業は世界各国に広がっているし、例えばスイスが平和を愛する国などいうのも同国の実態にまったくそぐわない。だいたい戦争と利権が渦巻かない国はほとんどないだろうとも思います。
米国だけを叩けばよいというものではありませんから、もっと視野をひろげねばと思いますが、この日本という国がますます自らの歴史から目をそむけ、史上最強の軍と軍需産業を発達させた米国に追従の度を強めている時に、それを中心的に批判するのはやはり不可欠だと思います。しかし、ネットでは何かと「0:100」になりがちなもの。複眼的かつ広い視野で、世の中を切り取る言葉を選ばないと、これまた「歴史社会的偏見」に組することになりかねませんね。(緊急レス、04/10/3)[→10月目次]