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時の話題2002-6
LAST UPDATE 2002-08-22
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今月の目次
◇印は《日々雑感》より転載
生きる意欲(02/6/19) ◇対教師暴力(02/6/13) ◇個人情報保護法案(2002/6/7) ◇人権を考えるつどい(2002/6/4) ◇スポーツに願う(2002/6/1・25)


【生きる意欲】vol.62《日々雑感より》
◆面白くなければ面白くしてやろう!〜人任せの人生は真っ平だ、という高校時代以来のkurochanの生き方だが、これを内面にもあてはめたい。無理に元気を装う必要もないし、誰かに対して強がってみせる必要もない。ただ、自分自身に対してはちょっと強がりたいじゃないか。浮かばれなくても、孤独を感じても、自分自身の存在の証を自分だけでも感じていたいじゃないか。他人がどう思うかより、自分は自分が好きでいたいじゃないか。自分のしようと思うことを好きでいたいじゃないか。さて、俺は他人の生きる意欲を奪っていないか。力を与え合う関係を結べているのか。(210、02/6/19)[→6月目次]


【対教師暴力】vol.61《日々雑感より》
◆対教師暴力には退学勧告というのが「一線」だと言う教師や保護者がいる。すぐに警察・マスコミに連絡すべきだという人もいる。教師に限らず他の生徒に危害を及ぼす生徒は学校にはおけないだろう。
◆しかし反省とやり直しのチャンスがあるから人は成長する。少なくともそう願う生徒に応えたい。だが、退学処分もまた人生勉強だという人もいる。
◆kurochanは以前「生徒にどつかれたら一発だけどつき返せ」と言われたことがある。こちらも手を出すことでその生徒が退学せずにすむというのだ。もちろんどんなことがあっても生徒に手を上げることは許されない。しかし、その言葉の意味するところ、つまり対教師暴力をする生徒であっても、向き合い受け止め抱えて包んで守って、しゃんとさせて育てて卒業させるんだ!という熱さは、大切にしたいと思うのだが、そんなのはもう古いんだろうか?間違っているんだろうか?教育労働の職務を越え過ぎているので無理なんだろうか?
◆個々のケースにもよるかもしれないが、自分を見つめ、職場を見つめる時、日々是不測の事態という日常の職務のなかでは重大な選択と決意に関わるのだ。皆さんはどう思われますか?(208、02/6/13)[→6月目次]


【個人情報保護法案】vol.60《日々雑感より》
◆個人情報保護法案が廃案になる見通しだという。美名に潜む言論封鎖・報道規制の牙は新聞協会の見解を裏切るナベツネの暗躍をもってしても覆い隠せなかったとみえる。しかし、電子部落地名総鑑や虚実取り混ぜたプライバシーの暴露にまみれた昨今のインターネット事情や、キルケゴールのコルサール事件から何等進歩していないかのような日本の大衆雑誌の低次元の醜態と、何よりそれらを支える視聴者・消費者・市民モラルの未熟さを思うとき、「メディア規制反対」などというだけでは釈然としないし、法案不成立だけでは素直に喜べないと思うのだが。(204、02/6/7)[→6月目次]


【人権を考えるつどい】vol.59《日々雑感より》
◆肩の荷が重かった「仕事」が一つ片付いた。校内人権を考えるつどいでのピアノ弾き語りだ。
◆校内解放奨学生集会の拡大版として開催されてきた本校の「人権を考えるつどい」だが、生徒たちの集まりがよくなく、kurochanが転勤してきた昨年から、前同和教育部長の提案でアトラクションを取り入れたのだ。もっとも昨年のkurochanは、会場準備を手伝っただけだったが、ギター弾き語りをした前部長が転出になり、kurochanの出番と相成ったのである。去年に続き、手話で歌おうコーナーやアマチュア落語家の本校教員による高座もあり、クラリネットやギターまで登場となった。
◆当HP掲示板などでもいろいろとアドバイスいただいたが、結局kurochanは、THE BLUE HEARTS「青空」のギター弾き語りと、小田和正「風のように」のピアノ弾き語りをしました。といってもギターもピアノも下手くそなので格好いいものではなかったんですけどね。
◆この集会は、放課後の任意参加だが、より多くの生徒たちが参加しやすく、より生徒が主体の集会になるべく、工夫を重ねたいものだ。(230、02/6/4)[→6月目次]


【スポーツに願う】vol.58《日々雑感より》
◆古代ローマのユウェナーリスの原典を引くまでもなく、「健全な精神は健全な肉体に宿る」のではなく、「そうあって欲しい」というのが、kurochanの願うところでもある。陸上競技インターハイ県予選の審判をしていて思うのは、彼女・彼らが、日々の練習や試合経験を自己への自信と他者への敬意という人間としての豊かさに繋げていってほしいということだ。結果と勝敗に重きをおきすぎると、歪んだ優劣感を生み、スポーツ利権構造の温存に協力してしまうことになりかねない。
◆世界陸連のネビオロやIOCのサマランチと並び悪評高かったFIFAのアヴェランジェからブラッターが引き継いだものは、スポーツの可能性を歪め、世界規模の搾取構造を利用するものではないのか。
◆スポーツのあり方・楽しみ方はいろいろであっていいと思うが、看過しえない歪みや犠牲は許したくないものだ。(202、02/6/1)
◆韓国がドイツに負けたソウルでの準決勝が先程終った。横浜でのワールドカップサッカー決勝でドイツと対戦するのはブラジルかトルコか、明日の埼玉がまた楽しみだ。様々な立場の人々が勇気づけられ、子どもたちが夢を膨らませたことだろう。それだけに、きな臭い国威発揚やスポーツマフィアの利権に利用させたくないものだ。(212、02/6/25)[→6月目次]



























<アンカージャンプ用の画面余白です>