【運命論 1】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月19日(月)11時15分07秒 皆さんこんにちわ。いよいよあすなろ流「運命論」を述べさせていただきます。過去に述べました4理論は実はこの「運命論」に包括されているのだと考えます。人はよく、結果から運命を持って来ます。その典型が事故・病気・出会い・別れ等々です。自らの意思で成し得ない出来事が運命だと言われます。内容により「幸運」・「不運」と分け喜び・悲しみます。自分の意思でどうしようもないのに、自分は「不運」だと決め付けてしまうのは滑稽です。どんなに努力しても運が無いから駄目だとか、こんなにやったのに駄目だったのは運がないからだとか、考えるのはやめましょう。人は明日の命を計ることが出来ない以上、毎日を精一杯生きるしかないのだと思います。そして毎日を精一杯生きるために「夢」が必要なのだと思います。挫折したときに運がないとよく言いますが、挫折は夢の実現のための「一休み」だと思います。そこから休みッぱなしになるか、また新たに歩き始めるかはその人の意思で、運とは違います。(つづく)
【運命論 2】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月19日(月)11時27分21秒 宝くじとかギャンブルの当たり外れは、運ではなく単なる「確率」です。これで運の有る・無しを判断するのは間違いです。人々は「運命」というと大部分の人が「不運」を指しますが、あすなろ流では、幸運も不運もイコールです。人は不運だけはよく覚えているものです。(つづく)
【運命論 3】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月21日(水)10時51分52秒 宝くじなどは「運」と言われ、「運命」とはなかなか言いません。これは「ツキ」の部類に属するもので、あすなろ流で言う「運命」とは少し違います。あくまで「確率」的に当たった・外れたということで、「運命」とは別物と考えたいのです。では「運命」とは何か、私は字の如く、「命」に関わる事だと考えます。好きな人と出会うことは、新しい命を予見させ、事故・病気は命の消滅を指します。それがいつ起こるのか分からないものだから「運命」なのです。宝くじも当てるだけなら簡単です。全部買えばいいのです。これは「運命」とは言いたくありません。初めに幸運・不運を言いましたが、本当は「運命」に幸・不幸など無いのかもしれません。あとづけでそう言っているだけのことかも知れません。全ての生物は、生と死が既に決まっていてその時代・環境に適合した遺伝子のみが次に引き継がれ続いていくのでしょう。我々の存在自体が、何十万年の時を繋いで残ってきた証しです。明日がわからない以上、今日を精一杯生きるしかないのだと思います。
【ロスタイム】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月21日(水)11時19分01秒 あすなろ流理論(理屈?)も予定通り終了しました。勝手な理屈ばかり述べてごめんなさい。皆さんのやさしさと一縷の寂しさに包まれて、あすなろは幸福でした。何より、この部屋にめぐり合えたことは、最大の「幸運」でした。私は入院患者です。2月の初めに病名を宣告されて友人の事務所の近くの病院に入院したのです。入院当初の悲嘆は、TVドラマによくあるパターンでした。友人の事務所でこの部屋にたどり着きました。友人の好意で好きなようにパソコンを使わせてもらい、皆さんと会えました。毎日、夜が怖いです。もうこれで明日が訪れないかもしれないと考えると、涙が止まらず、眠ることが、怖いのです。でも、明日は皆に会えると思えるようになり少しは気が紛れるようになりました。皆さんありがとうございました。あすなろは、皆さんのおかげで、あすなろとしてこの部屋をあとにできます。そろそろ死神審判がロスタイムの残りを気にして、腕時計を見ています。あしたは檜になりたい、あすなろう。