【恋愛論】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月12日(月)10時13分58秒 体調が悪く、少し休憩しておりました。皆さんの趣味のお話を見させて頂きうらやましいです。さて、あすなろ流独論、いよいよ「恋愛論」です。ずばり恋愛とは、病気です。原因は恋愛ウィルスです。このウィルスに感染するのは10代からで(個人差はありますが)上は無制限です。潜伏期間も個別で感染と同時に発病する人から何年もかかる人まで多様です。このウィルスは脳細胞に寄生し、その人間の感情をコントロールします。ワクチンはありません。何万年もの昔から存在するのに、未だ誰も特効薬を開発していません。せいぜい哲学者とか作家とかアーティストなどが解明を試みましたが決定打は出ませんでした。このウィルスは知能を持ち、時代や社会の流れに対応し変化を続けているのです。唯一このウィルスの弱点は時間の経過です。(つづく)
【恋愛論 2】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月12日(月)10時37分58秒 恋愛ウィルスは、他人から非難・攻撃を受けたり、社会的制約を受けると活発に活動を始め、暴走することもあります。初期感染のときによくあります。何度か感染し自然治癒を繰り返すたびに免疫が出来、症状も異なってきます。このウィルスには男性に感染するA型と女性に感染するB型と両方に感染するAB型があります。AB型は同性愛とかで感染例が極少ですので、一般型について述べます。(またまたつづく)
【恋愛論 3】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月13日(火)10時54分15秒 10代の恋愛は相手しか見えず、20代のそれは自分を意識し、30代の恋愛は世間体を気にし40代は遊び心が強く、50代は小春日和のような恋愛で、60代以上は茶飲友達というのが、あくまで一般論的あすなろ理論です。ただ、恋愛と結婚は別なものです。恋愛の終着駅を結婚と思いがちですが、あすなろ理論では別物と考えます。人を好きになるのに理由はありません。だから弁解も必要ありません。必要なのは、誰かを好きになったという自分自身への正直な認識です。無理にこじつけて心を押さえ込む必要がどこにあるのでしょう。傷つくことが怖いのは、相手に自分を認めてもらいたいからとの欲望があるからです。私はサザンの歌が好きなのですが、その中に、「恋」と言う字は「心」が下にあるから「恋」には下心があり、「愛」と言う字は「心」が真中にあるので「愛」は真心だという歌詞が好きです。恋愛ウィルスには学習能力があり、失恋のダメージを受けるたび、この次はうまくやろうと考えるのです。(つづく)
【恋愛論 4】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月13日(火)12時51分47秒 恋愛ウィルスによる症状も色々ありますが、一番困るのが内にこもる症状でしょう。1日中相手のことを考え、食欲もなく勉強もなにも手につかない。初期感染によく見られる症状です。でも、その気持ちは大事にすべきです。治療方法はありません。じっと自分の心をみつめることです。時が必ず解決してくれます。感染回数が増えたり年齢を重ねると、そうした「ときめき」感が薄れてくるのです。これは寂しいことですよねぇ。人生論でも言いましたが、恋愛においても失うものと得るものはイコールなのです。相手の全てを得たいという気持ちは解りますが、同時に失うものも同じぐらいにあるのです。それを得るものだけで、失うのは嫌だというところに、恋愛の苦しみが生じるのだと思います。少し前のCMコピーにあった「少し愛して、長−く愛して」というのは、聞こえは良いのですが無理です。「全部愛して、永久に愛して」というのが恋愛の本質ですが、相手にそれを求めて自分は何を与えるのでしょう。価値観は個々に異なり、得るものと失うものの価値観がイコールでなければ恋愛は成立しません。損した、得したの感情が生じ、苦しむだけです。こんなに尽くしたのにあの人は、とか、あんなにあげたのにあいつは、とか、必ず損得感情が最後に生じます。これは本当の恋愛ではありません。本当の恋愛とは、静かに、綺麗に終わったものを後で振り返って気が付くものです。(少し疲れながらつづく)
【恋愛論】 最終項 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月14日(水)11時01分19秒 あすなろ流恋愛論は、もちろん経験から来たもので、独論です。免疫力が弱くて、何度も同じ症状をおこす人もいます。自己愛の強い人にその傾向があるのではないでしょうか。いわゆる恋に恋するというような。人は最終的には自分が一番かわいいと思うように創られていると思います。極端な例ですが愛する人の為に死ななければならない状況になったとしても、そんな自分が好きだからそういう行為を取れるのだと思います。恋愛ウィルスは、その時点で相手に完璧に感染し一生残すのです。(タイタニック) 10代では20歳になることが想像もつかないぐらい遠い先のように思え、20代もまた30歳になることが信じられず30代もしかり、でもなぜか、10代の恋愛は往々にしてまるで明日が無いかのように走り、あせるほど残りの少ない年代ほどじっくり育てようとするのは不思議です。あすなろ流結論です。恋愛はウィルス感染による病気であり、特効薬もなく、どうにもならないものなのです。もし特効薬が見つかれば、そのときは人類が滅びる時だと思います。
【品定めする子供達】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月14日(水)11時36分28秒 大人へのメッセージありがとう。「品定め」確かにありますよね。でも、気がついて欲しいのは、そうやってあなたも大人の「品定め」をしていることを。べつに揚げ足を取るのではなく、物事には見方を変えると同じ事が反対側にもあるのだと思います。あなたは、とても頭が良く感受性の鋭い人なのですね。大人の社会を見て腹立たしいことはずいぶんあるでしょう。そうしたことを理解して、迎合する自分に対しても嫌でしょう。でも、それは認めたくないですよね。昔から「あそこの子とは遊んじゃだめ」というのはありました。おそらく、今以上にひどい、差別的な言葉が自分の親からも、同級生からもあったように記憶しています。そして、自分も他の家で品定めされていることに気がついたこともありました。でもほとんどの親は、皆そうなんですよ。その親が作っている社会もそうなんですよ。それが嫌なら、あなたたちが変えていかなければ。それと、このコーナーもそうですが、人は生まれた環境も、考え方もみんな違い、それぞれの意見がありますよね。自分だけのバリアーを張って、そこから外の世界も人も受け入れないのは、寂しいよ。他の人の意見も聞いてみてください。また書き込みます。
【夢】 投稿者:あすなろ 投稿日: 3月16日(金)11時11分45秒 「夢」について語らせてください。物理的な夢は別にして、夢には「希望」と「願望」の意味合いがあると思います。前にもお話しましたが、不幸の中にあって、いつか来る幸福を「希望」と呼ぶのだと思います。それと、目標を持ち、達成すべく努力することも「夢」と言いますよね。これは「願望」だと思います。そのいずれも先の時間がある人ほど強く大きいものだと思います。だから人間は生きて行かれるのでしょう。だから若い人ほど「夢」を見るのです。若い人が「夢」を持たないことほど辛いものはありません。「夢の時間」というものがあります。遠くにある「夢」ほど生きていく上で充実感を多く味わえ、近くの「夢」は、小さな満足か挫折感の繰り返しとなるでしょう。ほとんどの人はこれです。人間には、個々に与えられた「夢の時間」が決まっており、ほとんどの人はそれに気がつかず無駄遣いしています。最近の若い人にそうした傾向が強いように思えます。例えが悪いかも知れませんが、幕末の新撰組も維新の志士達も皆年若かったと思います。時代が違うという理由だけでは私は納得できません。