アメリカ漂流記〜2〜(Kubocchann)
LAST UPDATE 2001-06-18
18:24
投稿日:2001年1月18日(木)
1999年 4月30日(金)
6時過ぎに起きて,食事を済ませ新聞が入っていたのでひととおり眺めて,何気なく天気予報の欄を見ると,南部のアトランタあたりにTh.[Thunder storm]と出ている。『全く関係ないや,の,はずだった。』
9時15分,荷物と一緒にバス(20名定員に20名)で,ワシントンDC(Discrict of Columbia(コロンブスの女性読み))市内観光に出発。ガイドは,昨日空港で待っていた沖縄出身と思われる30歳過ぎのちょっと可愛いお姉ちゃんで,アーリントン墓地・ホワイトハウス・ワシントン記念塔・リンカーン記念館・国会議事堂と見学し,ユニオン駅で昼食となったが,人・人・人で素早く何でも買って食べなければ,昼抜きになってしまう。ガイドが言っていた地下では,とてもダメそうなので2階へと行ってみるとけっこう空いている。「よか,よか。」
食後,再び地下へ下りてアイスクリームタイム(アイスクリームは美味しい)。午後は,最後の見学地となる宇宙航空博物館へ… 見学後,14時15分頃に待ち合わせ場所の入口『のつもり』の階段に座っていると,その辺で遊んでいたアメジャリがサングラスを持って何か言ってくる,知らんふりをしていると次のがネックレスを持ってきた。幾らでもいいから買えと言っている。『やっと,納得して』大きな声でNo,No,No,と連発してやったら,あきらめた。しかし,14時30分[集合時刻]になっても,お姉ちゃんが来ないのでおかしいなと思って,反対の入口を見ると手を振っている。『やはり,まちがっていた。』そこに,ちょっと怖い顔のお兄さんが私を迎えに来ている。お兄さんに案内されて車の所へ移動すると,何とリムジンに近いような車にお客さんは私一人ではないか。(最高やね。…ここまでは)
搭乗予定の,ワシントンダレス空港へと向かう途中,お兄さんが色々と話しかけてくる。「普通渋滞しないのに渋滞していますね」,「こんないい天気ですから飛行機が飛ばないなんてこともないですしねー」とか"小淵君"の話を … 『この国では,日本の首相よりも前の沖縄県知事の方が待遇としては上だったらしい』
15時30分頃ワシントンダレス空港へ到着し,USエアーの窓口近くまで行くと,えらく人が並んでいる。「ちょっと,おかしいですね。話を聞いてきますので待っててください。」と言って,空港職員に尋ねていたが,「どうも飛行機が前の便から飛んでないようですね。」『ふーん,飛んでないものはどうしようもないわ。それより今日中にボストンへ着くのか,泊まって明日の移動になるのか。ここで,慌てたってどうしようもねーし,まっなんとかなるわ。』「とにかく,チェックインしないと先が分からないので,待ってチェックインしましょう。」並んでいる間も,電話で忙しく連絡を取り合っている。『よくやってくれるね,感心・感心。』
待つこと約1時間,やっと順番が廻ってきた。結果,「20時発の便に一席確保してあります。但し,ナショナル空港まで移動してください。」ということらしい。再び,車で約1時間の移動である。悪いと思いつつ,居眠りをしてしまった。17時30分,ナショナル空港へ到着後,再びチェックインのために並び,チェックインできたのが18時20分頃だったか,「後は,出発までうちの係の者がお世話しますので」と話しながら歩いていると,向こうからあの沖縄出身と思われる30歳過ぎのちょっと可愛いお姉ちゃんがやってきて,「ご苦労様でした。あと,出発までお世話させていただきます。」と言われ,お兄さんは「後はうちのKに任せて私はここで失礼します。」ということで2人になった。
約1時間ほどあるので,「お茶でも飲みますか?」と言うと「それもいいですけど,ボストンについて食事の時間がないかもしれないので何か食べておかれた方がよろしいんじゃないですか。」で,パブのようなところでチキンの唐揚げをパクつきながら,色々話した。ここで,分かったのだが先ほどのちょっと怖い顔のお兄さんは,最近独立した旅行社の社長で,彼女はそこの社員だということだ。それに,飛行機が飛べないのは,例のTh. の影響らしく午前中飛んでいった機材が戻れなくなっていたようだ。
彼女の出身は兵庫県らしく,その後東京へ移り… …大使館勤めをしているアメリカ人と知り合って結婚し,旦那の転勤でアメリカに移って6年ほどになるらしいが,子供はできる暇がないとか。私の,彼女を見た第1印象を話すと,「それは,まだ優しい方ですよ。」「あんた,何人?フィリピンからの出稼ぎ?…等々言われるんですから。」と言っていたが,商売柄なかなか話はうまい。『やはり,ちょっと可愛いお姉ちゃんは「あーあ,人の妻ー」』
20時発の飛行機でボストンへひとっ飛び,21時30分頃ボストン・ローガン空港へ到着,そこで待っていたのがM(女性)である。荷物を取りに行くが,出てこない。と思いきや,とんでもない荷物の固まりの中に混じっているではないか。「先に荷物だけ着いたのかもしれませんね。」と言いながらバスまで運んでくれて,ホテルへ向け出発。途中コンビニに寄って食料調達。
ホテルに着くと,ダラスの乗り継ぎの時からワシントン宇宙航空博物館まで一緒だったKさん夫婦が,食事を終えレストランから出てきたところらしく『奥さんの顔が少し赤い』,奥さんが「あなただったの?あっちこっち引っ張り廻されたというのは…」と言いながら部屋へと帰っていった。『他2名を含め,最初からナショナル空港へ行った方が遅れだけで済んだようだ。』それから,チェックインを済ませ部屋へ行こうとすると,Mが「ミールクーポン使用される場所どこにされますか?」と聞くではないか。『クーポンと店の案内書をくれれば済むのに』と思いつつ,それを説明するとどうも違う返事がくる。押し問答してもしょうがないので,とりあえず和食の[都]という店のものをもらって,「このことは,帰ってアンケートに必ず書くから。」と念を押して,その日は別れた。遅くても,19時に着く予定が23時前になってしまった。『食って,寝よ。』
それにしても,少し不親切な気がしてならない。ボストンを起つ日に12時までにチェックアウトして,14時45分にホテルのロビーで待てとは… 荷物はどうすんだよー? ベルマンに言えばいいなどと言っていたが…
私はいいよ,私は… Mちゃん,わかんねー人もいるんじゃーないのかえ?
写真は順に、【ワシントンユニオン駅】【ボストン茶会事件発端船】【無題】【無題】【無題】【無題】【ボストンポリス】【プリマス】(写真撮影:Kubocchann)