Essay#9-2 |
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海外、国内を問わず、旅に出ると言うことは、自分自身を諸々の日常の因縛 から解き放ち、少し異なった視点で物事を見つめ直すよい機会を与えてくれる。 日頃のルーティーンワークから離れ、非日常的な環境に身を置くことによって、 頭も心も体も、今までとは異なった部分が活性化し、新たな発想や潜在的エネル ギーが、知的好奇心と共に表出する。今回参加したこの「中国客家土楼の旅」も また一つ、私自身に多くのものを与えてくれた有意義な旅となった。 4月2日早朝、小雨の中を建築家有志他、大学の先生を含めた15名と添乗員 1名の総勢16名が関西空港に集合。午前10時過ぎ、みんなの期待をのせて、 JAS JD-011便は、一路広州へ向けて飛び立った。広州まで約3時間半。そこか ら中国国内航空にて廈門(アモイ)まで約1時間。以後、廈門→龍岩→永定→南 靖と内陸山間部へ「客家土楼」を求めての旅が始まった。
■「客家」とは? この魅力ある土着集合住宅を築き上げた「客家」という民族はいかなる人々で あったのか。茂木計一郎氏の資料によれば「客家」は、漢語の一方言である客家 語を話す漢族の一系と言われる。古くは4〜5世紀に、中原(黄河中流域)から 南支へ異民族の支配を嫌って南下し始め、ついで9〜10世紀、そして宋代の12〜 13世紀に第3段階の南下でほぼ現在の地に大半が遷移し、さらに17〜19世紀明・ 清代に一部南西地域の広い範囲に広がり定着したと考えられている。 その「客家」の主たる居住地が、広東省、福建省、江西省の省域で、そこから 中国本土だけではなく広く東南アジアへ華僑として流出し、活動している人々も 多いと言われている。現在、客家の人口は約3500万人以上と想定されている。 *(初出 1998年7月 「JIA NEWS 近畿」 掲載分より筆者抜粋後 一部加筆) TOPへ 前へ 次へ |