44年春の布陣は,2回続けて面白くなかった責任を感じてか、秋山たか志が
半年でやめたので、秋にもう一度組分けをすることになりその結果は以下のものである。
桑原和男 |
岡八郎 |
原哲男 |
* |
* |
* |
谷しげる |
船場太郎 |
奥津由三 |
* |
* * |
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泉ひろし |
井上竜夫 |
由利謙 |
菊池大助 |
室谷信雄 |
拔天太郎 |
梅田ひろし |
三輪やすひこ |
青芝フック |
中岡秀樹 |
伴大吾 |
英京介 |
淀川吾郎 |
伊藤哲三 |
速川進 |
* |
* |
大崎隆晴 |
大江将夫 |
高勢ぎん子 |
浜裕二 |
* |
楠本見江子 |
* |
南喜代子 |
安田光子 |
片岡あや子 |
西川洋子 |
* |
藤里美 |
* |
山田スミ子 |
河村節子 |
藤井信子 |
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* |
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中山美保 |
専科 花紀京 平参平
劇団の人気ナンバーワンの岡八郎が、二枚目役を演じることが多くなってきたのも
この頃であり,相手役の山田スミ子や船場太郎の人気も急上昇する。
旧秋山組のメンバーを多く含む原哲男組は、その元気のなさを引きずって
今一歩受けない舞台が続く。
そのため、2回続けて面白くない責任が、副座長格の奥津由三に掛かったのか
吉本をやめて大宝芸能に移籍してしまった。
奥津退団に伴う組分けはなんと岡組をほとんどいじらず
他の二組を混ぜ返して行われた。
役者臭さがまだほとんどなかった岡八郎を
なるべく臭くないまま保とうとする配慮が見られる。
それでは45年体制を以下に記す。
原哲男 |
岡八郎 |
桑原和男 |
* |
* |
* |
谷しげる |
船場太郎 |
泉ひろし |
* |
* |
* |
由利謙 |
井上竜夫 |
浜裕二 |
やなぎ浩二 |
室谷信雄 |
角ともや |
菊池大助 |
三輪やすひこ |
梅田ひろし |
英京介 |
伴大吾 |
横井修平 |
* |
伊藤哲三 |
淀川吾郎 |
河村節子 |
* |
* |
藤里美 |
高勢ぎん子 |
阿吾十朗 |
栗井信子 |
平山のぶ子 |
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西川洋子 |
楠本見江子 |
南喜代子 |
* |
* |
安田光子 |
片岡あや子 |
山田スミ子 |
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中山美保 |
専科 花紀京 平参平
かつての盟友,谷しげると組んで原哲男は元気を取り戻した。
全然面白くない組がないと言う点で、この時期は非常に豪華と言っても良い。
しかし老け役専門の二人,谷しげると井上竜夫は
このままでは永久に座長になれないとの不満から退団し
吉本所属のままで『ざ・どっきんぐ』と言う漫才を結成する。
しかし、これは井上の病弱がたたって長続きしなかった。
ざ・どっきんぐの二人の退団の影響は大きく、原哲男は再び元気がなくなった。
そこで座長を外れて、平参平と交代したのに伴う組分けがこの体制である。
平参平 |
岡八郎 |
桑原和男 |
* |
* |
* |
阿吾十朗 |
船場太郎 |
泉ひろし |
* |
* |
* |
由利謙 |
伊藤哲三 |
浜裕二 |
木村進 |
伴大吾 |
角知行 |
菊池大助 |
室谷信雄 |
淀川吾郎 |
間寛平 |
平野行矩 |
横井修平 |
やなぎ浩二 |
三輪やすひこ |
英京介 |
* |
* |
* |
河村節子 |
高勢ぎん子 |
南喜代子 |
藤里美 |
楠本見江子 |
安田蜜子 |
平山のぶ子 |
西川洋子 |
* |
西川ひかる |
* |
中山美保 |
* |
山田スミ子 |
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片岡あや子 |
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専科 花紀京 原哲男
ここでは、東京で世志凡太と組んで漫才をやっていた阿吾十朗を
次の世代を担う存在にしようとする意図が感じられる。
秋山と組む以前に一度、「冗談はよしてください!」などの流行語を生んで有名になり
秋山の下では押さえた芸風に変わっていた桑原和男は
座長としては,秋山時代の押さえ方がたたったか
ついに岡八郎や財津一郎のような爆発力ある存在感を見せぬまま
人情劇タイプの芝居に終始していた。
41年頃座長になりかけたことがあったが、実現しなかったが
そのとき座長になっていれば,桑原時代が来ていたかもしれないし
そうなれば岡八郎時代は来なかったであろう。
秋山組の副座長経験で立ち腐れてしまったのは惜しまれる。
しかし最後に笑うのは彼だった。
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