土曜日。
体育祭前夜。
「美乃里さん、生地ふくらんだよー」
「ありがとう、フー子ちゃん。カスタードの横に置いてちょうだい」
「ほーい。つばさ、型抜きは?」
「もちょっと待ってぇ」
「早くしてよー」
「フー子ちゃん。生地が冷える前に切り分けたいから、お手すきならお鍋みてもらえないかしら?」
「えっ、アタシが!?」
「大丈夫よ。たった四つじゃない」
「美乃里さんみたいにはできないよぉ?」
チーン。
「美乃里ママ、オーブンタイマー鳴ったよー」
「トレーごとぜんぶ出してちょうだい。
ほら、フー子ちゃんっ、寸胴鍋ふきこぼれてる!」
「あーっ!?」
明日の準備で、キッチンは大忙しだ。
今日はフー子も来てるから、いつもに輪をかけてうるさい。
手にしていた体育祭の栞を、小テーブルに投げ出した。
高等部の競技進行表が二色でチェックされてる。
フー子と俺の出場予定だ。
もちろん中等部の表には、つばさの出場予定がチェックしてある。
チェックしたのは美乃里さん。
「マメだなぁ・・・・」
美乃里さん、どれ一つとして見逃すつもりはないらしい。もっとも競技がいくつか被ってるし、フー子はグラウンド種目(ドッジボールとかミニサッカー)が多いから、全部を見ることはできないだろう。
俺の出場種目は、ぜんぶ陸上競技だ。特技(逃げ足)を活かせる種目なんて、それくらいしかない。
あと騎馬戦にも強く誘われたけど、断固として拒否した。
(間違いなくあいつら、俺を囮にする気だった)
キッチンの様子では、晩飯まで時間がかかりそうだ。
特にすることもなく、ぼーっと庭を眺めていると、電話が鳴った。
「はい、日枝です・・・・・・・・・・・・村上?」
村上は今年の体育祭委員だ。
「何だよ、いきなり」
と言いつつも、思い当たるフシはあった。
同級生が体調崩したり仮病したり、いきなり競技変更されることは珍しくない。
そういう時に動かされるのはまず、いてもいなくても大勢に影響しないメンバー・・・・つまり、俺みたいな奴だ。
「誰か逃げたのか」
「・・・・・・・・ん、うーん・・・・そーゆーワケじゃねーけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
村上は、快活さと決断力を買われてバスケ部長に指名された。
その男にして、妙に歯切れが悪い。
嫌な予感がした。
「いちおう言っとくけど、剣道とか柔道なんてムリだぞ」
飛び入り参加で鎖骨を折られた哀れな生徒を見て以来、それだけはかたく決めている。
「いんや、そういう話じゃねえ」
「じゃ、何の話だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あのさぁ、日枝」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ナイトになってくれねーか?」
「何でお前がここにいる」
「こっちのセリフよ」
まだ陽も明けきらない双葉学園、第三講堂(体育祭本部)。
校門でばったり会ったフー子と俺は、肩を並べて入り口に立っていた。
「まさかアンタがナイトとはねぇ〜」
「俺もそう思う」
いきなりの話でびっくりしてる間に、村上に押し切られてしまった。
といっても、チーム一の美女と一日すごせるんだから、断るつもりなんてなかったけど。
「で、どうしてアンタなわけ?」
「俺が知りたい」
「プリンセスと知り合いだったとか−」
「プリンセスが誰かも知らない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
フー子がうさんくさそうにこっちを見た。
「ホントに知らないんだって。今年の実行委員、やたら口が堅くて」
どんな理由かわかんないけど、厳重な緘口令(かんこうれい)が敷かれてるらしい。
「・・・・ふぅん」
フー子はやれやれと溜め息をつき、スポーツバッグを持ち直した。
「少し安心したわ」
「へ?」
「ナイトのあんたがその有り様じゃあ、Aチームはプリンセス賞なんて無理っしょ」
「う、うるせーな」
「まあ、せーぜー頑張ってねー☆」
ぺろっと舌を出して、一足先にフー子が講堂に駆け込んでいく。
俺も舌打ちして後を追った。
「合言葉。"中等部長の髪は"?」
「"横風に弱い"」
「よし、通れ」
・・・・この合言葉を考えた奴、上にバレたら危ないんじゃないか?
なんて、どうでもいい事を考えながら、門番の脇を通ってAチーム本部に入った。
入っていきなり目の前を、横断幕やラッパの積まれた折り畳み机が塞いでいる。
回り込んで中を覗くと、早くも女子が来ていた。一番奥にある衝立(ついたて)の向こうとこっちを、きゃいきゃいと楽しそうに行き来する。
男子部のむさ苦しさに飽きた身には、新鮮な光景だ。
ほけっと見とれてると肩を叩かれた。
「おはよーさん」
「・・・・よ、村上」
短い髪に広い肩、運動部にしては白い顔。
体育祭委員の村上だった。
「わりーな日枝、いきなりで」
「ん、別に」
開口一番で謝る村上に、鷹揚(おうよう)に頷いてみせた。
いや・・・・悪いもなにも、内心ウキウキだし♪
「なあ、村上」
「あン?」
「昨日から気になってたんだけど、どうして俺なんだ?」
「決まってらぁ。"プリンセスのお望み"だ」
「・・・・・・・・だから、何でプリンセスが俺を指名したかって聞いてんだ」
「そりゃ、お前をよく知ってるからだろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
トボけた事を言う村上をじろりと睨む。
村上はしれっとした顔で女子に呼びかけた。
「牧島(まきしま)ー! ナイトが参上したけど、プリンセスの用意できたかあ?」
「ぐったいみ〜ん♪ いま仕上がったトコですよん」
衝立の陰から、ショートカットの女の子が顔を覗かせる。
さらに数人の女子が出てくると、一斉に衝立へ手をさし延べた。
「「「じゃーん!」」」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
しぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・出てこねーじゃん」
俺は無言で頷いた。
「ほぉらっ、お姫様! なに恥ずかしがってんですか」
「そーそ。キレーだよー?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
こつ。
ハイヒールの高い靴音がした。
しゃらり・・・・
次の音は、本物の絹だけが奏でる高めの衣擦れ。
そして俺は、息を呑んだ。
衝立の向こうから現れたのは、目の醒めるような美女だった。
整った顔に完璧な化粧が施されている。
ウエディングドレスをモチーフにした衣装は純白。刺繍は控えめで、清楚さを強調したデザインだ。
薄暗い講堂の中、半透明のベールの上でティアラ(髪飾り)がきらきらと輝いている。
長い髪とベールが揺れ、彼女の顔がゆっくりとこちらに向けられた。
ベールごしに俺を見つめる、憂いを秘めた瞳。
思わずどきりとする。
村上が口笛を吹いた。
「こいつはすげーや。写真は見てたけど、実物はそれ以上だぜ」
女子たちが揃って頷く。
「もう、びっくりですよ」
「この人、大事なトコをぜんぶ自分でやっちゃうんですもん」
「それがスッゴイ上手いの!」
「勉強になったけどさぁ・・・」
「自信なくすよねー?」
そりゃあ自信なくすだろう。
衣装やアクセサリーの力もあるけど、何より素材が違う。
プリンセスと女子が並んだら、"月とスッポン"という言葉しか出てこない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
プリンセスはドレスを摘むと、短い歩幅ですいすいと歩いてきた。その歩き方一つでも、ドレスを着慣れてることがわかる。
俺達の前に来ると、彼女は映画やダンスパーティーでしか見られない、古風な礼をしてみせた。
「おはよーさん」
「ど、どうもっ・・・・・」
慌ててぺこりと頭を下げる。自分でも顔が紅潮してるのがわかる。
俺の焦りようを見てか、プリンセスの口元が緩んだ。
は、恥ずかしーっ!
「おはよう、日枝」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ハ ァ ?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
いまの・・・・・・声・・・・・・・・
「来てくれて嬉しいよ」
プリンセスが目を細める。
「!!」
その声と仕草が、脳内で一人の人物と結びついた。
さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ。
波が引くように、俺の顔から、全身から、血の気が失せていく。
「・・・・・まさか・・・・・お前、まさか・・・・っ」
「・・・・・びっくり?」
Aチームのプリンセス、『斗坂 啓多』(とさか けいた)が、艶やかに微笑んだ。