「冬ごもりぃ!?」
銀杏(イチョウ)並木の間を、フー子の素っ頓狂な声が通り抜けた。
雲高い秋空の下。
週末に体育祭を控えた月曜日の放課後。
第三講堂に呼び出されたつばさと九重さんを、玄関で待ってるところ。
「若い木だから、冬は働けないってさ」
「なにそれ」
「よくわかんないけど、桜が葉っぱを落として眠っちゃうと、さくらまるも出てこれなくなるらしい」
「へぇ〜・・・・?」
今イチ納得しきれない様子のフー子に、俺は肩をすくめてみせた。
「恐れ入りまするが、ごしゅじんさまと皆様にお願いがござります」
昨日の夜。
皆が晩飯を食べ終わるのを待って、さくらまるは口を開いた。
彼女が軽く頭を下げると、それに合わせて萌黄色の髪がふわりと揺れる。
今朝のことがあったから、さくらまるの言葉に、俺はすぐピンときた。
さくらまるの話は古語が多すぎて、半分くらいしかわからなかった。
なんとか理解できたことを大まかに言うと、「庭の桜は若いので、力をもらい過ぎると冬を越せなくなる」そうだ。
「器(桜の木)が果てては元も子もござりませぬゆゑ、明くる春まで暇(いとま)をいただきとうござります」
申し訳なさそうに締めくくって、さくらまるは深々とお辞儀した・・・・・・
「で、どーすんの」
「どうしようもないだろ。さくらまるが休むってんなら、休ませるしか」
あいつは命令されて働いてるわけじゃない、いわばボランティアなんだから。
「・・・・・・・・まぁ、そうね」
「そりゃ、少しはびっくりしたけどさ」
でも昨日は、自分が驚いてるヒマがなかった。
つばさが半泣きでゴネまくったから。
「それで今朝、つばさの元気がなかったんだ・・・・」
フー子がつばさのいる第三講堂を仰いだ。
「昨日に比べりゃ落ち着いたけどな。グズるあいつに、さくらまるが一晩中付き合ってたから」
「ふぅん」
フー子にならって玄関に目をおくる。
五段ぽっちの短い階段の上、広い出入り口の左右に、ぶっとい毛筆で書かれた二枚の看板が立っていた。
一枚には黒々とした字で、『双葉学園 合同体育祭 実行委員会 本部』とある。
そしてもう一枚は−
『男女混合 秋季綜合大教練
各軍團 本営』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・どこのトンチキだ、あの立て看板かいたのは。
「日枝、"本営"ってなに?」
「知るか。たぶん、各チームの作戦本部だろ? 去年はそう書いてあったし」
「そういやそうだったわね」
呆れながら看板を見ていると、中からわらわらと生徒が溢れてきた。中高等部の男女が一緒くたの、学園内では珍しい光景だ。
ただし一様に楽しそうな野郎どもと対照的に、女子は喜びと落胆の表情が入り混じってる。
人ごみの中に見知った痩せ顔があった。
「笹木(ささき)!」
「よーっす日枝、久しぶり。涼島(すずしま)さんも」
「や。相変わらず頬がコケてんね」
「ハハハハ」
笹木は乾いた声で苦笑した。こいつは中等部の時の同級生で、フー子の毒舌には慣れてる。
「チームメートなんだからお手柔らかに頼むよー」
「チームメートって・・・・笹木もF組だったか?」
「おーよ。今年のプリンセス賞は俺らがいただきだ」
笹木が自信満々で握りこぶしを突きつける。
俺も拳を固めて、カツンと横に払った。
「あっさり決まったなぁ。今年のF組はそんな不作なのか」
そういえば去年のF組プリンセスは、高等部の三年生だった。
「ちげーよっ。ウチは船本(ふなもと)センセがチーム担当でさ。演劇部のコスチュームを持って来て、候補の子たちに試着してもらう予定だったんだ。
そしたら、最初の一人が似合いすぎてて即決定」
「演劇部のコスチュームって?」
笹木は眉をくいっと動かした。
「当日、見て驚け」
「あーそーですか」
やっぱり、こんな単純な誘導尋問には引っかからないか。
「それで日枝、お前なんでココに・・・・・・って、つばさちゃんを待ってるのか」
「まぁな」
質問から正解まで一人で完結した笹木に、俺は頷いた。
「つばさちゃん、何組だったっけ?」
「2−E・・・・・・イテッ!」
いきなりだった。
ゴツン!と左の肩甲骨に、殴られたような痛み。
続いて、弱々しい悲鳴。
「いっっったぁ〜〜〜・・・・・」
「こっちのセリフだ! ドコ見てやがっ・・・・・・・・・
んぁ? 斗坂(とさか)かよ」
同級生の斗坂が額を押さえてる。痛みで細められた目の端に、涙が浮かんでいた。
「うわっ、日枝!?」
なぜか耳まで赤い斗坂は、俺を目にとめた途端、弾かれるように駆け出した。
「あ、おい!」
「ごっ、ごめ〜〜〜〜〜〜ん!」
顔を朱に染めたまま、斗坂が謝りながら逃げていく。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・誰、あいつ」
笹木が呟く。
「俺の同級生」
「まさかあいつが実行委員なわけ?」
「それこそ、まさか」
俺は鼻を鳴らした。
体育祭は中高等部の男女各クラスが縦割りで1チームをつくる。男女ともA〜I組まであるから、合計9チーム。
で、体育祭の実行委員会は男女合同で運営される。異性と知り合いになれる貴重なチャンスだから、皆が熱烈にやりたがる。
そんな中で実行委員になれるのは、特に押しが強いか腕っ節の強い奴と決まってる。
斗坂はその両方と無縁だし、そもそも今年の実行委員はバスケ部長の村上だ。
あいつ、何しに来たんだろ・・・・?
首をひねってると、笹木に肩を叩かれた。
「んじゃオレ、部活があるから行くわ」
「ああ。またな」
「涼島さん、体育祭ガンバローぜ」
「よろしくー」
笹木は薄っぺらなカバンを肩に担ぎ、男子高等部のグラウンドに走っていった。
あぁ、言い忘れてた。
さっき言ってた「プリンセス(お姫様)」ってのは、体育祭で各チームが担ぐマスコットのこと。
豪奢なアクセサリーと衣装で着飾り、他のプリンセスと妍(けん)を競い、チームの雰囲気を盛り上げる。
プリンセス賞になった女子には3ケタにのぼるラブレターが届くというから、その人気は絶大だ。
とうぜんプリンセス希望の女子は多くて、決めるのは一苦労。決定までには自薦他薦、多数決に抽選と色々あって、決め方はチームの自由だけど、悶着があるのが通例だ(体育祭前日まで決まらなかったこともある)。
F組みたいにあっさり決まるのは、珍しいんじゃないだろうか。
「ほいっと」
フー子が腰掛けてた石段から飛び降りた。
スカートの後ろを軽く叩いてくるりと回る。
「来たわ」
「ん?」
振り向くと、玄関につばさと九重さん。
フー子が手を挙げた。
「こっちこっち!」
九重さんが先に気付いた。
つばさを連れて、ゆっくりしたペースでやって来る。
「二人ともお待たせ」
「お帰り〜」
「お疲れさま」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
つばさはと見ると、俺達の挨拶にこくりと頷いただけ。
さくらまるの件を相当気に病んでるようだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
フー子と九重さんが同時にこっちを見る。
俺は肩をすくめた。
やれやれ。
手間のかかる奴・・・・・・・・・・
「つばさ、帰るぞ」
左手を差し伸べると、つばさがとてとてやって来て、俺の手をきゅっと握った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
さっきと違う眼差しでこっちを見る、フー子と九重さん。
もう一度肩をすくめて、俺は歩きだした。