俺は戸口に向かった。
押し殺した声で向こう側の人物に声をかける。
「・・・・・・・誰だ?」
声に応じたのは・・・・・・・・・
「ごしゅじんさま、よろしうござりましょうや・・・・?」
どういうわけか、さくらまるだった。
「珍しいな、その格好」
「はい。妾(わたくし)も近頃はすっかり"めいどふく"に慣らひまして、少しく惑ひてござります」
するするとさくらまるが進む。
着てるのは、本来の衣服である肩むき出しの和装。ただ、いつも佩(は)いてる帯がなく、重ね着してる着物もいつもより少ない。夏向けの略装かもしれない。
裾の長さのわりに衣擦れの音がしないということは、たぶん歩かず浮いているのだろう。
月明かりがほとんどない夜。
頼りになるのは俺の手元にある懐中電灯だけだ。
防風林の間を抜けて浜辺に降り立つ。
言うまでもないけど、人っ子一人いない。
さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ。
ざぁ・・・・・・・・・・・・・・・ん。
聞こえるのはただ波の音と風の声だけ。
何を載せているのか、遥か沖合いを、夜間照明を灯した船がゆっくりすべっていく。
「で、見て欲しいものって?」
歩みを止めたさくらまるに話しかけた。
こんな時間に砂浜まで来たのは、見てもらいたいものがあると、さくらまるが言ったからだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「さくらまる」
少し焦(じ)れた。
「あの、お手間をとらせて申し訳ござりませぬ。ごしゅじんさま」
「いや、いいけどね。眠れなかったことだし・・・・・・・それで?」
「はい・・・・・」
さくらまるは俺に背中を向けたまま、両手を結い髪にあてた。
朱色の髪留めをほどくと、深緑の髪が舞い降りる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
「ごしゅじんさまにはお知らせいたしておりませぬが、真(まこと)には妾も、沐浴の衣(水着)を用意いたしてござります・・・・」
するする。
「・・・・・・・・・・・・・」
「ですが、あのやうな所で肌を晒すは、忍ぶべからざる恥ぢがましきこと」
するっ。
「・・・・・・・・・・・・・」
「さりとてせっかく母御前(ははごぜ)様より賜りました沐浴の衣でござりますし、ごしゅじんさまには一目なりとご覧頂きたく・・・・・」
ぱさっ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・あー、さくらまる?」
「はい、ごしゅじんさま」
「つまりお前・・・・・・・・・
俺に水着姿を見て欲しくてここまで引っ張り出したわけか」
「左様(さやう)にござります」(にっこり)
はらり。
「にっこり笑って服を脱ぐな〜っ!!」
懐中電灯の丸い光輪の中に、さくらまるの衣が重なっていく。
知らない奴が見たらぜったい勘違いするぞ、この光景。
たとえどんな勘違いをするにしても、正解にたどり着かないことだけはわかる。
だいたい、これだけ思い切りよく脱ぎ捨てといて"恥ぢがまし"もないだろう。
女の・・・・いや、コイツの考えることだけは理解不能だ・・・・・
頭を抱えてると、さくさく砂を踏む音が近付いてきた。
「ごしゅじんさま、長うお待たせいたしました」
待ってない。
お待ちしてません。
「どうぞ御心に入るまでご見分くださりませ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・ごしゅじんさま?」
「あのさ、さくらまる・・・・・・・」
「はい」
「真面目に訊きたいんだけど、
夜中に女の子を脱がして懐中電灯で観察する男
って、どうよ?」
そりゃヘンタイだろう。
お前は自分の主人をヘンタイにしたいのか。
「をう・・・・・・・・・・・・・・・・
ごしゅじんさまは妾をご見分されるのがお嫌にござりまするか」
闇の中から聞こえてくる、ちょっと悲しそうなさくらまるの言葉。
少しだけ心が痛む。
「いや、見たくないわけじゃないけどさ。
懐中電灯一つきりで「見て」と言われても・・・・・」
さくらまるの肢体なら、不可抗力で(←ここ強調)何度か見たことがある。
出るところは出てるし腰も足も細いし、肌はきれいだし髪もツヤツヤでさらさら・・・・・・
ルックスもプロポーションも最高にイイ。並のレベルじゃない。
水着姿を見せてくれるなら、素直に見たいと思う。
でも、でもでもっ、
こんなヘンタイちっくなシチュエーションは嫌だーっ!!
「それはそれは・・・・・・妾の思慮が及ばず、まことに申し訳ござりませぬ」
「・・・・・・へ?」
俺の心の声が届いたのか、本当にすまなさそうな声が聞こえた。
見えないけど、おそらく頭も下げてるだろう。
「ごしゅじんさま。今しばらくお待ち下さりませ」
「・・・・・・・・・・・・・・・ん、うん」
少なからず困惑を抱いたまま、暗闇で待ち続ける。
懐中電灯は下に向けたままだ。
ぽぅ・・・・・
と、目の前に青白い・・・いや、エメラルドのような緑がかった光がともった。
全てを透き通っていくようで、全てを包み込む温かい輝き。
その光はさくらまるの首飾りから発していた。
「夜光明珠(イェーコァン・ミンチュー)・・・・光る玉に少しく力を与へてござります」
ぱあっ!
「うわ!?」
首飾りの輝きが急激に増した。と同時に視野も広がる。
いきなりさくらまるが現れたような錯覚を覚える。
そして次の瞬間、思わず息をのんだ。
「ごしゅじんさま、如何にござりましょうや」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ごしゅじんさま・・・・?」
「・・・・・・・・・すごい・・・・・・・・・・」
それしか言えなかった。
翠玉の光に浮かびあがる、さくらまる。
煌く瞳、微笑をたたえた美しい顔、軽やかにたなびく髪。
ほれぼれする肢体を光のグラデーションが幾重にも飾りたてる。
大胆なカットのビキニはかえって邪魔、むしろ野暮ったく見えてしまう。
まさしく人間離れした、神秘的な美しさ。
たぶん俺は、すごく間の抜けた顔をしてただろう。
さくらまるに魂をすべて奪われていたから。
「ごしゅじんさま・・・・・・・・・・・・・・・・」
「さくらまる・・・・・・・・・・・・・・・・きれいだ・・・・・・・・・・・・・
信じられないくらい・・・・・・・・・・・・・・」
「あ・・・・・・・・・・・」
小さな唇に浮かんでいた微笑が、ゆっくりと満面の笑みに変わる。
「ありがとう・・・・・・・・・ござりまする・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
それ以上の言葉は不用だった。
踊る光の波の中に、時間の流れは存在しない。
俺達はいつまでも、飽きることなく見つめあっていた・・・・・