俺は少し考えてから、戸口に向かった。
押し殺した声で向こう側の人物に声をかける。
「誰だ・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・日枝くん」
不安そうに答えたのは、九重さんだった。
「ごめんね、日枝君。付き合わせちゃって」
「いや、寝付けないでゴロゴロしてたくらいだから、気にしないでいいよ」
「・・・・ウン」
緩やかなカーブを描く道を、九重さんと並んで歩く。
明かりは、宿から持ち出した懐中電灯だけ。
弱い光がゆっくりと道端をなぞっていく。
「そのキーホルダー、こっち来た時に落としたのは確か?」
「ええ。海から戻った時にはあったから」
「じゃあ、集会所までの往復を調べて見つからなきゃ、民宿のどっかだね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
九重さん、ポーチに付けていたキーホルダーを落としてしまったそうだ。
泣きそうな顔の九重さんに「明日探せば」と言ったら、彼女らしからぬ激しさで首をぶんぶん振った。
よほど大切なものらしい。
放っといたら一人でも行きそうだったから、俺も同行することにした。
場所にもよるけど、海岸で吹く風は時間によって決まってる。
昼は海から風が来て、夜は陸から海へ吹く。海風陸風っていうんだってさ。
んで、今は陸風の時間。
ゆるやかな風が頬をなで、道をわたって海に流れていく。
虫の声と波の音の合奏を聴きながら、暗い夜道をゆっくりゆっくり歩く。
九重さんと二人きりで。
こんな事、滅多にない。
「そのキーホルダー、どんな形?」
「怪獣のマスコット」
・・・・・・・・・はい?
「怪獣って・・・・」
九重さんが?
「あちこち色が落ちてるけど、真っ赤で可愛い怪獣のマスコットなの」
彼女は、俺達が子供のころ流行った特撮ヒーローの名をあげた。
「ああ、あれに出てきた怪獣か。その番組なら俺もよく覚えてる。大好きだったなぁ」
「わたしも・・・・・」
へえ〜。
「小さい頃はそういうの好きな子だったんだ、九重さん?」
「ええ」
今の"お嬢様〜"な雰囲気とずいぶんギャップがある。
「正確には、そのキーホルダーをもらって好きになったの」
「あ、そうなんだ」
九重さんの意外な一面を知った気がした。
話してるうちに、集会所に到着。ここまでそれらしい物は落ちてなかった。
「広場も調べてみるか・・・・・・
九重さん、そこの段差、気をつけて」
「はい」
入り口のところ、中途半端にブロックが浮き上がっている。
夕方も地元の子がここで靴を引っかけた。
で、びっくりした子供が九重さんの腕にしがみついて・・・・・・
「ああっ!」
九重さんが急にしゃがみこんだ。
懐中電灯の光が一点に固定される。
ブロックの隙間に、赤いマスコットが挟まっていた。
なるほど、その時に落っことしたのか。
「心配したんだよ・・・・・・・・」
マスコットにこびりついた土を払って、九重さんは頬を寄せた。
「日枝君、ありがとう!」
「いや、俺は別に」
「よかった・・・・・・・・」
年季の入った怪獣キーホルダー。
色あせて、プラスチックの地の色がのぞいてる。鎖もところどころ茶色くなってる。
良い物だね、なんてお世辞にも言えないけど、それだけに九重さんの思い入れが伝わってくる。
「いつもはポーチの中にたくしこんでるんだけど・・・・もう金具が弛んでダメみたい」
掌のマスコットを優しく見つめて、「お家に帰ったら、鎖を変えてもらいましょうね」と九重さんは怪獣に話し掛けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ。
「ん〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
何か、頭の奥のほうがモヤモヤする。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
似たようなことをどっかで・・・・・・・・・・
「う〜〜〜〜ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
九重さんが、キーホルダーから俺に視線を移した。
「日枝君?」
「なんかそれ、見覚えが・・・・・・・・・・・」
「思い出したの!?」
暗闇の中、九重さんの声が少し弾んだ。
ん〜〜〜〜〜〜〜〜っ。
「日枝君・・・・・・・・・・・」
何だっけなぁ。
「九重さん」
「は、はいっ!」
「なんて名前だったっけ、その怪獣」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
尋ねた途端、なぜか九重さんは肩を落とした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・やっぱり・・・・・・・・・・・」
「え?」
「あ、何でもないの。この怪獣の名前?」
「あぁ。覚えてる?」
九重さんはマスコットを両手で包み込んだ。
「もちろん覚えてるわ・・・・・・・・・・・・でも」
一呼吸おいて、彼女は俺を見つめる。
「教えて、あげない♪」
「・・・・・・・・・・・・へ」
思わずぽかんとしてしまった。
「教えてあげないって、なんで」
「なんでも、どーしてもっ☆」
長い黒髪を波打たせ、九重さんが体を返した。ブロックをすいっと跨いで、道路に降り立つ。
彼女は後ろ手を組むと、ふっと肩越しに一言つぶやいた。
明るいようで、沈んでるような、不思議な口調で。
「思い出して・・・・・・・欲しいから・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
彼女はそれ以上言葉を重ねず、キーホルダーをスカートのポケットにしまいこんだ。
「どうもありがとう、日枝君。帰りましょう?」
さっきまでの話をすっぱり断ち切るように、九重さんは一際明るい声を出す。
そんな彼女に、俺はただ頷くことしかできなかった・・・・・・・