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ついんLEAVES

第六回 7








 俺は少し考えてから、戸口に向かった。

 押し殺した声で向こう側の人物に声をかける。


「・・・・・・・誰だ?」


 声に応じたのは・・・・・・・・・




「ちょっと、外に出ない?」


 フー子が囁いた。








 ざぁ・・・・・・・・・・ん・・・・・・・・


 ざざ・・・・・・・・・・


 近く、遠く、途切れることなく波は歌い続ける。


 子守唄と呼ぶには大きめの歌を聞きながら、フー子と俺は波打ち際を歩く。

 ゆっくりと、あてどもなく。


「あんたが寝てなくてよかったわ。一人じゃ怖いし」


「フー子にも怖いものがあるのか?」


「ばか」


 懐中電灯のつくりだす光が不安定に揺れる。


「昼間はありがとね」


「え゛」


 いきなり持ち出された話題に、俺はまともな返事をすることができなかった。


 昼間・・・・・?


「おキヨのこと。チンピラから守ってくれたでしょ」


「あぁ、そのことか・・・・

 守ったのは俺じゃなくて、ほとんど玉城屋のおじさんだけどな」


「おじさんには礼を言ったけど、日枝には言ってなかったから」


「律儀なこった」


「当たり前じゃない」


 三、四歩先を進んでいたフー子が振り向いた。


「あたしの親友のことだもん」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 明かりはほとんどなく、唯一の懐中電灯はフー子の手にある。

 だから俺には、今のフー子がどんな顔をしてるかわからない。


 九重さんのため、か。


「お前、いい奴だな」


「当たり前・・・・じゃない」


 プイっと顔を背けて、フー子はまた歩き出す。

 俺も黙ってついていく。


「・・・・・・・・・ねぇ」


 ふいにフー子が立ち止まった。


「ん・・・・・・って、懐中電灯はどうした」


 なに考えてるのか、フー子はスイッチを切ってしまった。


「一つ聞きたいんだけど、いい?」


「いいけど、懐中電灯」


 これじゃ右も左もわからない。


「日枝が質問に答えたら、点けるわ」


 闇の中、フー子の輪郭だけがかすかに浮き上がって見える。

 それは今の彼女の声と同じくらい、頼りなげだった。


「わかった・・・・・・・・・・・・・・

 答えられる事なら、答える」


「ウン」


 少しの間、俺は闇の中で待った。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「フー子−」

「もしも・・・・もしもの事だけどさ・・・・・」


「あ、あぁ」


「今日のおキヨみたいにあたしが困ってたら・・・・・



 日枝は、助けてくれる?」


「へ・・・・・・」


 我ながら間の抜けた声だったと思う。


 こいつ、いきなり何言ってんだ。


 困惑が露骨に表れていた。


「日枝はあたしを、助けてくれる?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 いまさらっていうか、変な質問だ。


 でも・・・・・・・


 いい加減な返事はできない、と感じた。


 正直、どうしてそんな質問をするのか、本当は何を言いたいのか、さっぱりわからない。


 それでも彼女の揺れる声から、茶化しちゃいけないのはわかった。


「ねぇ、日枝・・・・・・」


「当たり前、だろ」

「!」


「お前は友達だからな」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 次の沈黙は、さっきより長かった。

 あまりにそれが重かったから、俺は「でもお前が困る状況なんて想像つかないけどな」と軽い口調で付け加えた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フー子?」


「うん。ありがと、日枝」

 

「え、あ、いや・・・・」


 硬い音がして、懐中電灯のスイッチが入れられた。


「ちょっと遠くまできちゃったね。そろそろ帰ろっか」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだな」


 懐中電灯のかすかな光に照らされたフー子の顔は、こっちが戸惑うほどいつも通りだった。


「どうかした? 日枝」


「・・・・・・・・・・・いや」


 どうかしたのはお前だろ、というセリフが喉まで出ている。

 それくらい、さっきのフー子は普通じゃなかった。


「はいはい、足元に気をつけましょうね〜♪」


「お前、俺を幼稚園のガキ扱いしてないか」


「まさか。そんな失礼なことしないわよ」


「・・・・どうせ"幼稚園児に失礼"とか言うんだろ」


「ご名答〜♪」


「ったく・・・」


 懐中電灯をぶらぶら揺らして、フー子が歩き出した。

 離されるとこっちの足元が全く見えなくなる。

 ちょっと足を速めた。

 

 と、その時−


「痛っ!」


 いきなりフー子がしゃがみこんだ。


「・・・・どうした」


 ほんの数歩で追いついて、フー子の足元を覗き込む。


「流木か」


 湿った木が転がっていた。

 足元を照らさなかったせいで、まともに蹴飛ばしたらしい。


「大丈夫か?」


「つま先、切っちゃった」


「なにー? ちょっと見せてみろ」


 フー子の足に懐中電灯を向けると、ビーチサンダルの脱げた左足、親指と中指に血が滲んでいた。


「あちゃー、血が出てるなぁ」


「平気よ、これくらい」


「あ、バカ!」


 立ち上がろうとしたフー子の肩を、俺は押さえつけた。


「なにすんの。それにバカって何!?」


「こんな所を歩いたらバイ菌が入るぞ」


「そんなの大丈夫よ」


「アウトドアの怪我を甘く見ると、あとで泣くぞ。

 トゲが刺さってるかもしれないし、化膿したらどうすんだ」


「う・・・・・・・・・・・・・・・」


「ったく、しょうがねぇなあ・・・・・・・ほら」


「え?」


 フー子に背中を向けてしゃがみこんだ。


「・・・・・・・・・何のマネ?」


「民宿まで背負ってってやる」


「え、ええ〜〜〜!?」


 声だけで、フー子の困惑ぶりは容易にわかった。


「イヤよ、恥ずかしい!」


「恥ずかしいって誰が見てるよ。それとも、宿までずっと片足跳びで行くのか」


 そんな事してたら、朝までかかるかもしれないな。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「ほれ」


「んも〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


 牛そっくりの呻き声をあげて、フー子は俺の首に両腕を回した。

 背中に加わる、暖かくて柔らかい重み。


「立ち上がるぞ。つま先をぶつけないようにしろ」


「う、うん・・・・」


 左足をぶつけないようにゆっくりと持ち上げる。

 小柄なフー子は、思っていたよりずっと軽かった。

 言葉より拳にものを言わせる男女(オトコオンナ)でも、こういう時だけは女の子だと思える。


「いい? 皆にはナイショだからねっ」


「わかってる」


 誰が言うか、こんな恥ずかしい事。


「ぜったいぜったいぜったいナイショだよ!」


「わかってるって」


「二人だけの・・・・・・・・秘密、ね」


 くンっ。


 フー子の両腕と両ももが、俺の体を強く挟む。

 二人の体が吸い付くように重なった。

 首にかかる吐息がこそばゆい。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日枝」


「んー」


「ありがと・・・・・・・」


「ん」


「困ったあたしを助けてくれて・・・・・・・・・・

 ありがとう・・・・・・・・・・・」


 さっきより強く上半身が押し付けられる。

 もちろん彼女の、ふわふわの胸も。


「ね。あたし・・・・・・・・・・重くない?」


 おずおずとした口調に、俺は笑い声を漏らした。


「全然。このまま走っていけるぜ」


「わっ、ヤダ、やめてよ!」


「やらねーって」


 走るなんてもったいない。


 こんな気持ちいい荷物なら、ずっと背負ってても・・・・・


 なんて、ちょっと不純な考えを抱きながら、俺は宿に向かって歩き出した。









 



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