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観測史上有数の、遅ーい梅雨明けから数日。
今日も今日とて、俺ん家の玄関が叩かれる。
「おら日枝、時間だぞーっ」
「お兄ちゃん、まだぁ?」
「無駄な抵抗をやめて出てこーい!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何十年前のネタだ、それは。
溜息まじりにナップザックを背負い直した。
ドアノブを回すと強烈な陽光が差し込んだ。
さらに扉を押すと、目の前に日焼けしたフー子とつばさ。
そして押し寄せる、喉を圧迫する熱気。
くらっ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰る」
パタン。
「お、お兄ちゃん!?」
「帰るって、家から出てないでしょーがっ!」
ガンガンガン!
フー子の鉄拳に玄関が揺らぐ。
「うるせーぞ、フー子!」
「うるさくしてんのよ! なに考えてんの、アンタ!?」
「暑苦しいのは嫌なんだ・・・・・・」
「夏は暑くて当たり前でしょーが」
「ンな事わかってる。暑いのは耐えられるけど、"暑苦しい"のがヤなんだって」
「え・・・・?」
音がやんだ。
「それ、どういう意味?」
「だから、扉を開けたとたんフー子の顔が−」
「ブッ殺−−−−−−−−−−す!!!」
皆まで言う前に玄関が蹴り開けられた。
ごげん!!!
「はおっっ!?」
「道行(みちゆき)き ずっと反省しなさい!」
「・・・・・・・・・お兄ちゃ〜ん・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ずるずるずる・・・・・・・・
そうして今日も、つばさとフー子に休みを奪われる俺だった。
頭にできたタンコブをさすりながら、入場料200円の市営プールに到着。
設備も衛生面もなってない、安さだけが魅力の施設だ。
でも水に慣れるだけなら、これで十分だったりする。
ここで泳ぐのは予行練習にすぎないから。
「・・・・・あれ?」
入場券売り場の左、藤棚の下に見知った顔がいた。
目が合うと、ぺこりと頭を下げる。
「おキヨちゃん、おっはよー」
「おはよ」
「おはようございます」
定番のつば広帽を被った九重さん、今日は生成(きな)りの麻のシャツに、珍しいパンツルックだ。
「今日は九重さんも泳ぐんだ?」
「うん。やっぱり、ぶっつけ本番は怖いから」
「いや、普通はぶっつけ本番だと思うけど」
少なくとも俺は、海水浴の前にプールで練習する奴の話なんて、フー子の他に聞いたことがない。
と、いきなり背中を叩かれた。
「なに言ってんの! そんな生ぬるい気持ちで行くからあいつらに負けんのよ?」
「勝ち負け以前の問題だろ」
相手は生粋の海育ち、ほとんど半魚人みたいな奴らだぞ。
「ビーチバレーに海育ちも山育ちもないでしょーが!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なによ」
「フー子さんや」
「だから、なに?」
「ビーチバレーに勝ちたかったら、プールに来ないで体育館でも行くべきじゃないのか」
泳ぐよりバレーボールのほうがよっぽど役に立つだろう。
俺のしごく真っ当な指摘にフー子は鼻を鳴らした。
「あんたバカじゃないの? 体育館なんて暑くていらんないわよ!」
バカはお前だ。
つか、誰でもいいから、暑さでネジの飛んだこの女をどーにかして下さい(泣)
心の中で涙してると、袖をくいっと引かれた。
「ねーねー、早くプールはいろ?」
「そうね。日枝の相手してても始まらないし」
「お前がゆーなーっ!」
九重さんが困ったような顔で笑った。
プールサイドでつばさのバタ足に付き合って四往復。
一休みしようと上がった所で町内の加賀井さんから声がかかり、つばさを子供プールに引っ張っていった。
(何故か50mプールの監視員が減って子供プールのが増えた気もするけど、深くは追求すまい・・・・)
膝下だけ水に浸け、ぼーっとする。
強い陽射し、そよぐ風、冷たい水−
暑すぎず、冷えすぎず、ちょうど良い感じ。
うむ、それなりに快適だ。
ぱしゃっ。
水音と同時に飛沫(しぶき)が顔にかかる。
すぐ傍に、コバルトブルーの水着を着た女の子が、水中から飛び上がるように現れた。
スレンダーな肢体に、流水をモチーフにした競泳用水着がよく似合ってる。
その子は手で顔を拭うと、俺に向かって白い歯を見せた。
「日ー枝くん☆」
え。
「・・・・・・・・・・・・・・九重さん?」
「うん♪ 横、いいかな」
「ああ」
水泳帽のせいで見違えたけど、九重さんだった。
細い腕で体を引き上げ、俺の横にぺたりと座る。
「つばさちゃんはどうしたの?」
「加賀井さん−近所の人に頼まれて、ちょっと子供と遊んでる」
遊ばれてる、かもしれないが。
「ふぅん」
「フー子は?」
九重さんと競争してたはずだけど。
彼女は苦笑した。
「小学生がムネ触ったって、真っ赤になって追いかけていっちゃった」
「あははははははは!」
「もう、日枝くん、笑ったらかわいそうよ」
「どっちが」
「え?」
「だから、フー子と、フー子にタコ殴りされるガキと」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・えっと、どっちかなぁ・・・?」
俺はもう一度、声をあげて笑った。
困り顔だった九重さんも、やがてつられるようにくすくすと笑った。
長い髪を水泳帽に収めた九重さんは、いつもより活発そうな雰囲気。
(ところで、あの長い髪をどうやって水泳帽にしまってるんだろう)
笑いが収まると、九重さんは小首を傾げてこっちを見た。
「そういえば日枝くん、来週の海水浴なんだけど・・・・」
「ん?」
「日枝くんのお身内だから宿泊費いらないって、本当?」
「俺の身内っていうか、美乃里さんの実家が民宿なんだ。それで、条件付でタダ」
「条件付?」
「少しは手伝いをしろってこと」
盆前の今の時期に一日三食(&昼寝)がきちっとついてその条件なら、文句はないと思う。
「民宿のお手伝い・・・・私にできるかしら」
心配そうな九重さんに笑ってみせた。
「できることでいいんだって。俺は廊下掃除と荷物運び、つばさはたしか野菜の皮むきやったな」
「皮むき・・・・」
「んで、俺の友達は毎朝、庭掃除とか玄関の水まきやってた」
「あ、それなら私もできそう」
「伯父さん達だって、遊びに来た俺らをいじめようなんて思ってないから、心配しないでいいよ」
九重さんは胸をなでおろし・・・・途中で止まった。
「・・・・・・あの、日枝くん」
「ん」
「フー子ちゃんもその民宿に行ったこと、あるんでしょう?」
「あいつは常連だからな」
「フー子ちゃんは何をしてるの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・プッ」
思わず口を押さえた。
「日枝くん?」
「それは−」
「あーっ!」
俺の答えは背後の大声にかき消された。
振り返ると、プンスカおかんむりのフー子が見下ろしている。
「人が走り回ってる間になに和(なご)んでんのよ!」
「フー子ちゃん」
「よー、フー子。痴漢は捕まったか?」
「あったり前! あのエロガキ、バスタオルで簀巻(すま)きにして子供プールに放り込んでやったわよっっっ」
「おいおい・・・・・・・・・」
やり過ぎじゃないか?
「文句あんの!!」(ギロン!)
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや」
反論しようものなら、こっちまで簀巻きにしかねない。
この直後、子供プールで「わーっ。お兄ちゃん、土佐エ門(どざえもん)さんがいるよ〜っ!」という声が上がったとか上がらなかったとか・・・・・
そんなこんなで水泳三昧の日が過ぎて、いよいよ出発となるのだった。