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お話ししたいことがあります

屋上で待ってます

 外岡 空





 メモを握り締めて、僕は階段を駆け上がった。

 四階の上。

 屋上へ−


 ゴゴン!


 うっとおしい鉄の扉が、今日に限って紙のように軽く感じた。

 一気に入り口を開け放つ。

 春の日差しが僕の全身を照らし、視界を白く染めあげた。


「ハァ・・・・・ハァ・・・・・ハァッ・・・・!」


 目が光に慣れるのを待つのももどかしく、屋上を見回す。

 高い金網に囲まれた、細長い広場。

 陽光で温められたベンチ。

 隅に横たわる空き缶。

 背後で蝶番(ちょうつがい)のきしむ音がした。

 そして−


 ガチャーン!


「ひゃっ」


 重い扉が派手な音を立てて閉じる。

 ちょっとビックリ。

 その時だった。


「うふふふふふ」


 聞こえたのは、女の子の忍び笑い。

 すぐ後ろ。

 ゆっくり振り返ると・・・・

 彼女がいた。

 目と鼻の先に。


「い・ぬ・か・い・君!」


「うわあっ!?」


 今度は声だけじゃなく体も反応した。足をもつれさせながら飛び下がる。

「あはははは! すごいビックリしてる〜っ」


 声を上げて笑う彼女は、目を細めて本当に愉快そうだ。


「と、外岡さん・・・・」


 そうだった。

 彼女にはこういうイタズラ好きな所もあるんだっけ。


「うふふふふふ」


 外岡さんは口元を押さえてクスクスと笑っている。

 どんな表情をしても可愛いのは、ある意味、犯罪的かも・・・・

 半ば見とれながら、外岡さんの笑いが収まるのを待った。


「来るの遅いよ〜。待ち疲れちゃった」


 責める言葉も、笑いをこらえながらでは迫力がない。

 僕は苦笑いで応じた。

 たぶん僕を驚かせたい一心で、ず〜っとドアの影に居たのだろう。

 僕以外の人が来ていたら、どうするつもりだったのか。ちょっと聞いてみたい気もする。

 もちろん、もっと大事な話があるのだから、訊いたりはしないけど。

 外岡さんはしばらくして笑いが収まると、屋上の一角を指した。


「あっち行こ」


「うん」


 彼女の後を追って南側へ進んだ。





 学校の南方はゴミゴミした町並みのない、郊外の風景が広がっている。

 田植えを待つ田んぼと様々な野菜を植えられた畑。縦横に走る細い農道。

 農家の高い屋根の向こうには、里山がうずくまる。

 十年くらい前、あの山の向こうでかなり古い古墳が見つかった。あたり構わず学者が掘り返したり、野次馬に山を荒らされたりで、警察が来る騒ぎだったそうだ。

 今はすっかり元の通り、ただの山に見える。

 そんな、親から以前に聞いた話を思い出しながら、外岡さんの言葉を待った。


「急に呼んじゃって、迷惑じゃなかった?」


「ううん。ぜんぜん」


「よかった」


 外岡さんはほっとしたように肩の力を抜いた。金網に指を絡めてフェンスの向こうを見る。

 僕からは表情が見えない。

 微風が外岡さんの栗色の髪を撫でた。光の破片がきらきらと踊る。


「朝はごめんね」


 彼女の声は少し小さかった。


「え?」


「朝は・・・・ごめんなさい。変なこと言っちゃった」


「あぁ・・・・いや、気にしてないから」


「・・・・そう。よかった」


 むしろ謝るべきなのは美守さんだと思う。みんなが見てる所で、あんな突拍子もない行動をとるんだから。


「学校、今日までなのに・・・・

 あのまま、お休みに入っちゃったら気まずかったから」


「そっか・・・・・わざわざ、ありがとう」


「ううん」


 外岡さんの心遣いがすごく嬉しかった。ぜんぜん彼女に落ち度のない事で、僕なんかに時間を割いて、こうして話してくれる。

 やっぱり好きだなあ・・・・外岡さん。


「おかしいの」


「・・・・・ふぇ?」


 間抜けな反応をしてしまった僕は、少し焦って口を押さえた。

 幸い、外岡さんは笑わないでいてくれた。


「前にクラスの子に教えてもらったの・・・犬養くんと大上先生て、家族なんでしょう?」


「うん。一緒に住んでる、僕のお姉さんみたいな人だよ」


 血は繋がってなくても、何年も暮らしてるから自然とそういう風になっている。


「そうだよね。わかってるんだけど・・・・おかしいの」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 少し首をひねった。

 外岡さん、何を言いたいんだろう?

 話が見えない。


「二人は家族って知ってるんだけど、知ってるんだけど・・・・・

 おかしいってわかってるんだけど・・・・どうしようもないの」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「犬養くんと大上先生が並んで歩くのを見ると・・・胸の中がもやもやするの。

 二人が仲良くしてると、どうしても平気でいられなくって・・・・・・」


「外岡さん・・・・・」


 ひょっとして、それって−


 知らず頬が熱くなっていた。

 心臓がドキドキしてくる。


(まさか・・・・・・・)


「だから朝もあんな風になっちゃって・・・・・ごめんなさい」


「う、うん・・・・・」


 俯く彼女の髪が流れる。

 その時、僕は見逃さなかった。

 真っ赤に染まった外岡さんの耳を。


 ホントにまさかだけど・・・・・・もしかして・・・・・・

 

 相変わらず彼女の表情はわからない。

 俯いたまま、僕を見ようとしない外岡さん。

 彼女の声がもっとよく聞こえるようにと、僕は一歩踏み出した。


「でもね、私、わかったの・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 いつの間にか口に溜まってしまったつばきを飲み込む。

 喉が、恥ずかしくなるほど大きな音を立てた。


「犬養くん、私ね」


 ますます俯く外岡さん。


「私・・・・・きっと、犬養くんのことが−」


「待って!」


「!?」


 思ったより大きな声になってしまった。

 外岡さんがびくりとする。自分でも少しびっくり。

 ちょっとマズかったかな・・・と思いつつも、話を続けた。


「僕も、外岡さんに言いたいことがあるんだ」


「え・・・・・」


 彼女の言いかけた事はわかった・・・・と思う。

 それはきっと、僕と同じ。


 きっとそうだ。


 そう信じたい。


 だったら−


 男だったら・・・・


 女の子の話をただ聞いてるなんてダメだ。


 自分からハッキリ言わなきゃ!


 待ってるだけじゃエロゲーの主人公みたいでカッコ悪いもん!


(作者注 未成年者がアダルト向けゲームを遊んではいけません)





 どきどきする胸に手を当てた。

 落ち着け、落ち着けと強く念じながら。


「犬養くん・・・・・?」


 僕に背を向けたままの彼女。

 蜜のように甘い声。

 今は心なし、陽炎のように揺れて聞こえる。

 きらきらと光る髪が眩しい。


「外岡さん」


「はい」


「外岡 空さん」


「・・・・・・はい」


 嫌になるほど乱打している僕の鼓動。頬が、頭が、体中が熱い。


(がんばれ! 気合と度胸だ! 行け、犬養 良!)


「ずっと、ずっと好きでした! 僕と付き合ってください!」


(言った−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−!!)


 晴れ渡る空の下。

 僕はありったけの勇気を振り絞って、告白した。

 高空を渡る鳥が、僕と合わせるように甲高く啼く。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ありがとう」


 彼女が頷いた。肩にかかる髪が音もなく流れる。


「私も・・・・犬養君が好き」


「!!」


 かすれるほど小さな声だったけど、確かに聞こえた。


「好きです・・・・・犬養くん」


 驚き。


 感激。


 喜び。


 心臓が止まりそうだ。

 震える手をぎゅっと握り締めて、勝利のガッツポーズ。


(うおおおおおおおおおお!!!!!)


 天にも昇る心地って、こんな感じ!?


「こんな私だけど・・・・・・・・・・」


 さらりとセミロングの髪が揺れ、彼女がゆっくりと振り向く。

 きれいに切りそろえられた髪は、陽の光で白銀に輝いて−


(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)


 白銀?


「こんな私でよかったら・・・・・・彼女にしてください」


 はにかみながら言う彼女は、後光と見まがうほど見事な煌きを戴いていた。


 頭のてっぺんには、ぴょこんと飛び出した二つの突起。


 さらに、すらりとした白い脚の向こうで揺れる、ふさふさした毛の塊・・・・



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シッポ」


「・・・・・・・え?」



 銀髪。



 獣耳(ケモミミ)



 尻尾(しっぽ)



「犬養・・・・くん?」




「正夢だったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」




 僕は卒倒した。
















「うあああああああああああああ!!!!」


 毛布を跳ね上げて飛び起きた。


「はあっ・・・・はあっ・・・・・はあっ・・・・・・・・!」


 目がチカチカする。


「ふぅ・・・・・っ!」


 激しい動悸に胸をおさえると、汗でぐっしょりと濡れている。

 ごくりと唾を飲む。乾ききった喉がひりひりした。


「夢・・・・・・・・・・・・・・?」


 起きたのは、見慣れないベッドの上だった。

 額に浮かんだ汗を、ワイシャツの袖口で拭う。


「犬養くん・・・・・・」


 声が聞こえた。

 透きとおって、心細そうに揺れる声が。


「夢、のわけ・・・・・・ないよね・・・・・・・・」


 すぐ近くにいた女の子に顔を向ける。

 黄金色の、潤んだ瞳と目が合った。


「外岡さん−」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 俯いて頭を下げる彼女。

 銀の髪がしなやかに流れ−

 二つの尖った獣耳が、萎れるように頭に張り付いていた。








「ごめんなさい。こんなにビックリすると思わなくて・・・・」


「え・・・・あぁ、うん。外岡さんが運んで来てくれたの?」


 自分の寝ている周辺を見回した。

 真っ白なパイプベッドに真っ白なシーツ。クリーム色の衝立(ついたて)

 日差しとそよ風を受けるカーテンが、不規則な模様を描き続ける。

 消毒薬の匂いが少しツンとする、保健室。

 外岡さんは丈の低い丸椅子に座り−

 僕はベッドの一つに寝かされていた。


「犬養君を運んだのは、大上先生。驚いちゃった・・・犬養君が倒れてすぐ、校舎の外から飛び上がってきたのよ」


 いかにもビックリしたように、外岡さんが目を丸くして見せた。

 姿は変わっても、その仕草はいつもの彼女で、僕は少しだけほっとする。

 でも美守さん、ずいぶん大胆なことしたなあ。


「校舎の外から・・・・ね。美守さんのこと、わかっちゃった?」


「ヒトが一階から屋上までジャンプできるわけないもの。私を見る目も、ヒトのものじゃなかったし」


「そっか」


 これで外岡さんも美守さんも、お互いの正体を知ったわけだ。


「美守さんは?」


「犬養くんをここに連れてきてすぐに、呼び出しがあったの。たぶん職員室」


「そう・・・・・」


「あと、保健の市浦先生もいなかったよ。たぶん先生たち、年度末の職員会議じゃないかな。

 校内を歩くときは私も姿を変えたから大丈夫。それにみんな下校したから、犬養君も誰にも見られてないと思う−」


 外岡さんは沈黙を恐れるかのように、矢継ぎ早に言葉を繰り出した。丸椅子の向こうで、銀色の尻尾がパタパタする。 

 だけど彼女は僕と目が合うと、ふいに口を閉ざした。

 上向きかけていた獣耳が、再びぺたりと倒れる。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの・・・・・・・・・・」


「うん?」


「ホントに、ごめんなさい」


「あぁ・・・・もう気にしなくていいよ、その事は。てゆーか、むしろ忘れてくんない?」


 女の子の前で気絶したなんて、恥ずかしいったらない。


「でも・・・・・・」


「いいからさ。それより聞きたい事があるんだけど」


「なぁに?」


 外岡さんが首を傾げる。


「どうして僕に、その姿を見せてくれたの」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 それが謎だった。

 人間とモノノケは根本的に違う存在だ。モノノケたち自身が、その事を一番よくわきまえてる。だから人間に化けてるモノノケも、おいそれと正体を明かさない。

 昔話でも、本当の姿を見られたモノノケは相手を殺すか逃げ出すか、だ。

 なのに、外岡さんは正体を見せてくれた・・・・・

 僕の問いかけに、彼女は急にもじもじした。


「あのね・・・・・・・・・」


「うん」


「実はね、わたし・・・・・犬養君も”仲間”だと思ってたの」


「は!?」


 ”仲間”ってモノノケのこと?

 僕がモノノケ?

 モノノケに見えたの!?


 僕の表情から考えを悟ったのか、彼女はますます縮こまった。

 ふさふさの尻尾だけが忙(せわ)しなく振られる。


「だってだってっ、あんなに妖気を振りまいてたし、大上先生の家族だしーっ。

 モノノケの弟ならやっぱりモノノケって思うじゃないっ?」


(はいー!?)


「ちょいタンマ! すとっぷ!」


「・・・・・・?」


 思わず待ったをかけた。

 家がモノノケの溜まり場だから、僕にも多少妖気が移ってるのは知ってる。

 でも−


「美守さんのこと、前から知ってた・・・?」


「うん。入学してすぐ」


 うわあ。


「なんでっ」


「だってほら、犬養くん去年の春、大上先生が原因でリンチされたじゃない?」


「あ、ああ」


 そういえば、そんな事があったなあ。

 美守さんの美貌にのぼせ上がった上級生が、美人教師にべったりの新入生(つまり僕)を排除しようとしたんだ。

 十人以上の上級生に囲まれたんだけど、こっちの被害は腹部にキツめの一発をもらっただけ。二発目をくらう前に美守さんが駆けつけて、全員を叩きのめした。


「あの時に偶然見たの。牙を剥き出しにして校庭を疾走する大上・・・じゃなくて、”狼”を、ね」


 速すぎて人の目じゃ追えなかったはずだけど、と付け加えて、外岡さんはくすりと笑った。

 唖然とする僕。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


(美守さん、「私の変化(へんげ)はカンペキよ〜」って・・・・・)


 入学していきなりバレてますが。


「ねえ、犬養くん・・・・・」


「う、うん」


「わたし−」


 彼女がふっと息を吐いた。それまで俯き加減だった顔を上げる。

 金の瞳が僕の眼と出会った瞬間、わずかに揺れ・・・・でも逸らさずに、しっかりと固定された。

 まるで瞳に吸い込まれそうな、錯覚。


「私、モノノケだけど・・・・・・・犬飼くんが好き」


 白くみずみずしい外岡さんの頬が、じんわりと朱に染まった。


「好きなの」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「偽りのない、私の本当の気持ち・・・・・です」


 胸に手を当てて微笑する、白銀の少女。

 その含羞(はにかみ)の表情に、僕は呼吸を忘れるほど魅せられた。


「外岡さん・・・・・・・・・・・・・」


 風が流れる。

 カーテンの隙間から数条の光が差し込む。

 細い光線が幾度かの反射を重ね、虹のように彼女を照らす。

 踊るきらめきの中、真っ直ぐに僕を見つめる少女は−

 言葉にできないくらい、きれいだった。


「・・・・・・・外岡さん」


「はい」


「僕は−」









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