「おはよーっ!」
ダイニングに入ると、三つの顔が同時にこっちを向いた。
「おはよう、りょーちゃん。今日は早いわね」
「にゃ〜す、リョー。無駄に気合入ってんじゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おはよう」
三者三様に返事がかえってくる。
経済紙をめくりながら言う美女は、大上 美守(おおがみ みもり)さん。
朝いきなりの憎まれ口を叩いたのは、一つ学年下の淡雪 珠緒(あわゆき たまお)。
最後に小っちゃな声で挨拶してくれたのが、小学生に見える文(ふみ)ちゃんだ。
美守さんの横に腰を下ろす。
フローリングの床がきしりと鳴り、後ろから足音が近づいてきた。
「おはよーございます、屋鳴(やなり)さん」
”・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”
挨拶に返事はなく、気配はそのまま遠ざかっていった。
入れ替わるように、メアリーがダイニングに顔を見せる。
彼女はわずかに腰を折り、ほど良く温まった牛乳を僕の前に置いた。
絹のワンピースからほんのり漂う花の香りが、鼻をくすぐる。
「ご主人様、どうぞ」
「ありがと、メアリー」
「いえ」
さっきの話の余韻がまだ残ってるのか、僕と目が合ったメアリーは、心持ち頬を紅くした。つやつやした唇が緩み、卵型の顔に温かな微笑が浮かぶ。
(う・・・・か、かわいいかも・・・・)
人間じゃないけど。
「あの、ご主人様・・・・いつもより早い時間ですが、パンをお焼きしてよろしいでしょうか」
「うん・・・・・お願い。みんなもいいの?」
「はいはーい! あたしフレンチでーっ」
テーブルの向こうで珠緒がさっと手を上げた。
美守さんは新聞に目を向けたまま。
「私はノーマルにトースト。ベーコンの焼き加減はレアで」
二人の賛成を得て、最後はふみちゃんだ。
ふみちゃんはじいっとメアリーを見つめ、ぽそりと呟く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごはん」
「ライスとミソ・スープとピクルス(お漬物)ですね。かしこまりました」
メアリーは頷き返すように軽く頭を下げた。
ふみちゃんは頑固な和食派で、みんながパンでもふみちゃんだけはご飯を食べる。
メアリーは出入り口で一礼し、キッチンへ戻っていった。
衣擦れの音が遠ざかる。
「よおよお、リョー」
「んー?」
テーブルの下、珠緒がつま先で僕のスネをつついた。
「例のカノジョ。マジで今日、コクるわけ?」
「うん」
きっぱり頷く僕。
ず〜っと考えて、ようやく決心したんだから、もう迷いはない。
力強い返事に、珠緒は少しだけ言葉をなくした。
琥珀色の瞳が落ち着きなく揺れる。
「そっか〜・・・・・・・・・ま、がんば」
「ありがと」
「残念会の用意しとくから、安心して逝ってきな」
「不吉なコト言うなよー!」
「あははははーっ」
からっと笑う珠緒はいつもに増して小憎らしい。
「美守〜。リョーが狙ってるのって、どんな子?」
「そうねぇ」
美守さんは経済紙から目を離し、畳み始めた。きちんと折った新聞をショルダーバッグの脇に置く。続きは学校で読むつもりだろう。
「可愛い子よ、外岡さんは。明るくて、優しくて、笑顔も素敵」
それだけじゃないよ、美守さん。
この一年、彼女を見続けてきた僕は知ってる。
真面目で落ち着いてるようにみえて、意外とお茶目な所とか、
何でもできそうなのに、実は制服のリボンや靴紐を結ぶのが苦手とか、
女の子なのにケーキよりお寿司が好きだとか、
近くにいる人が自然とくつろげる雰囲気を作り出せるところとか、
そういう所を全部含めて、彼女が好きになったんだから・・・・
「変な噂も聞かないし。競争率は高いわね」
「ふぅ〜ん・・・・・・」
美守さん、最後の言葉はこっちを見ながら言った。僕の決心を、言外に反対してるようだ。
話を聞き終えた珠緒は納得したように深く頷いた。ぽんと僕の肩を叩くのはともかく、ちょっと待て珠緒。その顔はなんじゃ?
「リョー」
「何だよ」
「盛大な残念会にしよーぜ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しよう」
「だから不吉なコト言うなってー! って、ふみちゃんも、何でそこだけ賛成するの!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よげん?」
「座敷童(ざしきわらし)は未来視なんてできないでしょ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だんげん」
「断言しないでよ〜」
僕はがくっとうな垂れた。
珠緒が哀れむような顔でフッと笑う。
「身のほどをわきまえろっての。そんなにイイ子が、本気でお前みたいな凡人を好きになると思うか?」
「う、うるさいや!」
「あたしは親切で言ってやってんだぞ」
「ウソつけーっ」
絶対その顔はからかってる。
ふられるのを期待してる。
楽しむつもり満々だ。
「確かにりょーちゃんじゃ、難しいかもしれないわねぇ〜」
「美守さんまで何を言うんですか!」
「なにしろりょーちゃんはニブイから・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・きょうりゅうなみ」
「そーだよなーっ、みんなもそう思うだろ?」
「ええ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いぬかいりょーさうるす?」
勝手に新種を作るな。
「あのねぇ・・・・」
勝手な言い草にうんざりしてると、美守さんがしなだれかかってきた。
「怒っちゃダーメ。りょーちゃんが悪いのよぉ?
すぐ近くにこーんな美人がいるのに、コドモなんかに目を向けるんだもの。
ホントにお姉さん、理解に苦しむわあ・・・・」
言いながら、流し目を送ってくる美守さん。
成熟した女性の身体から、匂うような色気が滲み出る。
見事な膨らみを成す胸の谷間から、麝香(じゃこう)の香りがたち上る。
・・・・・・・一瞬、頭がくらっとした。
(お、落ち着け! 今日は絶対、美守さんのホルモン攻撃に負けないぞ!)
心ではそう思っても体は麻痺したようで、年上の女性のなすがまま状態。
と、正面にいた珠緒が勢い良く立ち上がった。派手な音を立ててダイニングテーブルを叩く。
「美守ッ、どさくさまぎれに迫るなーっ! つか、アンタから見ればリョーだってコドモだろ!」
その声と大きな音で、僕は正気を取り戻した。
珠緒の粗暴さに今だけ感謝。
(あ、珠緒のやつ、スカートから二本とも尻尾が出てる)
あいつの悪いクセで、気を抜くと尻尾やら耳やらがピンピン飛び出してしまう。
対する美守さんは慣れたものだ。珠緒の怒りを軽く受け流し、ウェーブのかかった髪をしなやかな指でかき上げる。
「大人だろうと子供だろうと、愛があれば歳の差なんて関係ないでしょう?」
「九百年の差はとてつもなく大きいと思いますが」
「あら、りょーちゃん、知らないの? 愛はね・・・・障害があるほど燃え上がるものよ♪」
艶やかな笑顔で言い切る美守さんは、健全な男なら誰でも一目惚れするほど魅力的だった。僕は頭を抱えたけど。
(またからかってるー! 美守さん、すごく楽しそうだよ!?)
「でもね・・・・りょーちゃん。女の子の年齢を口にするなんて、私はマナー違反だと思うの」
「平家の落武者を道案内した人が”女の子”とか自称しないでください」
「じゃあ徳川家康にしとく? でも本能寺の時は私、見てただけよ。
案内したのは服部半蔵。私だったら食べちゃってたもの」
誰が何を食べるんですか。
いいかげんツッコミ疲れしてきた時、咳払いが聞こえた。
入り口に目をやると、メアリーが立っている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
誰が言うともなく、全員すみやかに居住まいを正した。
メアリーは”紳士と淑女の国”イギリス出身で、けっこうマナーにうるさいんだ。
・・・・そして態度が悪いと、ご飯をもらえない。
「お待たせしました・・・・・ご主人様、いかがなされましたか」
「何でもない」
背すじを伸ばして、大きな長方形のトレーから熱々のパンやジャムが移されるのを待つ。
正直、話が中断されてほっとしていた。
朝から三人がかりで遊ばれては、疲れて告白に回す気力がなくなってしまう。
しばらくダイニングを沈黙が支配する。
最年長者の席にメアリーが回ったときだった。
美守さんが目を細めてメアリーに微笑した。
「実はね・・・・・今日、りょーちゃんが仲良しの女の子に愛を伝えるんですって。それで応援していたところだったの」
「!?」
メアリーが息を呑んだ。
「美守さん、さっきの話のどこが応援なんですか・・・・」
「もちろん、私を応援していたのよ♪」
「それって単に遊んでるだけじゃ−」
ぎしっ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
異音が響いた。
メアリーの左手に載せたトレーが、ごく一部分だけいびつに曲がっている。
「・・・・・・・ご学友に・・・・・・・・愛・・・・・・・・・・」
彼女の呟きは、いつもの温かさから十光年くらいかけ離れていた。表情はいつもと変わらないのが、どこか寒々しい。
「りょーちゃんも思春期の男の子だもの。恋人が欲しいお年頃なのねえ」
ぎしっ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
またしても異音。
僕は不自然に歪んだトレーから目を反らした。とゆーか、メアリーを見ちゃいけない気がする。
見ると珠緒まで、尻尾を奇妙な角度に曲げたまま硬直してる。
異様なまでに静まり返るダイニングで、メアリーが音も立てずにお皿を並べていく。
パンとご飯が全員に行き渡ると、メアリーは僕に歩み寄った。
「・・・・・・・・・・・ご主人様」
「な、なに?」
「ネクタイが曲がっておられるようですので、直させていただきます」
返答するより先に彼女の腕が伸びる。
問答無用で絞められた。
ぎゅ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−っ!!
「ぐぇっ!」
「あら」
「うわあ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なむあみだぶつ」
窒息して視界が真っ白になる寸前、僕は思った。
そりゃもう切実に。
やっぱり女の子は・・・・・・・・
人間がいい!!