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Pounding ★ Sweetie






「うあああああああああああああ!!!!」


 喉が裂けるほどの絶叫。

 掛け布団を跳ね上げて飛び起きる。


「はあっ・・・・はあっ・・・・・はあっ・・・・・・・・!」


 目がチカチカした。

 激しい動悸に胸をおさえると、寝汗でぐっしょりと濡れている。

 ごくりと唾を飲む。乾ききった喉がひりひりと痛い。

 

「夢・・・・・・・・・・・・・・・・・?」


 額に浮かんだ汗を、夜着の袖口で拭う。

 そのまま荒い息を整えていると、ドアを叩かれた。


「失礼します」


 ドアノブが静かに回され、薄い合板の扉が開かれる。

 

「ご主人様・・・・?」


 部屋の中を確かめるように見回しながら、女性が入ってくる。

 短めに切りそろえられたブルネットに、エメラルドグリーンのワンピース。

 滑らかな絹の布地が、優しげな衣擦れの音をたてる。

 僕より少し年上に見える、美しい白人女性。

 ハウスキーパーのメアリーだ。

 しずしずと僕の枕元まで歩み寄ると、かすかにフローラルな香水の香りがした。


「おはよう、メアリー」


「おはようございます、ご主人様。いかがなされましたか?

 階下までお声が届きましたが・・・・」


 碧色(あおみどり)の瞳が心配そうに揺れている。

 繊細な美貌に浮かぶ憂いの表情を見て、少し申し訳なく思った。


「ちょっと悪い夢を見ただけだよ。驚かせてごめん」


 無理して笑って見せようとしたけど、苦笑いにしかならなかった。


「真(まこと)でございますか? ご気分がお悪いように見受けられますが・・・・」


「だいじょぶだいじょぶ」


「どうかご無理はなさらないで下さいまし。

 ああ、ご主人様にもしもの事でもございましたら・・・・・私は・・・・・私は・・・・・!」


 ぱちん!


 いきなり、何もない空間が破裂した。

 ・・・・・ラップ音だ。

 机上のエンピツ立てが、かたかたと震えだす。

 窓が開いてないのにカーテンが揺れる。

 カレンダーが勝手にはためく

 危険な兆候だった。


「め、メアリー!」


「はい・・・・ご主人様・・・・・」


 瞳をうるうるさせて、メアリーがぐっと顔を寄せてくる。

 元が綺麗なだけに、この仕草は凶悪。


「ご主人様、お顔が赤くなっておられます。熱がお有りでは・・・」


「え、あ、いやっ、ダイジョーブだから!」


 メアリーみたいな美人に鼻がくっつくほど迫られて、ドキドキしないのはよほどの朴念仁だ。

 服と同じエメラルドの目が、少しの異常も見逃すまいと、強い意思を宿して僕を見つめる。

 内心でため息を吐いた。


(メアリーってば、暴走しかけてるよ・・・・・・・仕方ない。アレをやるか) 


 自分のする事を考えて、さらに頬が紅潮する。

 恥ずかしさを振り切るように、えいやとメリーの両手を掴んだ。

 彼女の細い手を包み込み、僕の胸に当てる。

 最大限の努力を注いで笑い顔を作った。

 メアリーがびくりと震える。


「あ・・・・・ご主人様」


「しんぱいしてくれてありがとー、めありー」


 我ながら見事な棒読みだ。

 だけど僕のいきなりの行動にメアリーは動転して、気付いていない・・・と思う。


「今は本当に大丈夫・・・・・・でも、何かあったら真っ先に君を呼ぶから、どうか僕を助けてね。

 頼むよ、メアリー」


 最初は笑顔で、言葉を進めるにつれて真剣な表情へ。

 この変化がポイントだ。

 ダメ押しにもう一度、彼女の手をきゅっと握る。


(よし、最後はカンペキ)


 自己評価できちゃうくらい、演技に慣れてきたなーと思う。

 いつのまにかラップ音は止んでいた。

 朝の静けさを取り戻した部屋の中、メアリーはしばし言葉を失っている。

 大きな目がぱちぱちと瞬きをした。

 やがて、別の感情で碧(あおみどり)の瞳が潤いを増した。


「は・・・・・はいっ! わかりました、ご主人様!」


 花が開くように笑顔を輝かせるメアリーに、僕も笑顔で頷いた(感情を無視した仕草のせいで、頬の筋肉が引きつってるけど)。


「さ、もう着替えるから部屋から出て。朝食はパンでよろしくね」


「かしこまりましたっ。ただちにご用意いたします!」


 飛び跳ねるほど元気になったメアリーが最敬礼する。


「失礼いたしましたー!」


 彼女は入ってきた時と別人のように、意気揚々と退室した。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ〜〜〜〜〜〜〜」


 そしてがっくりと脱力する僕。

 まるで体力を吸われたかのように、メアリーが元気になった分だけ疲労した僕なのだった。






 僕の名前は犬養 良(いぬかい りょう)

 私立五洋(ごよう)学園に通う高校生。四月から二年生になる。

 建売り一戸建てのこの家で、一人暮らしだ。

 え、メアリーがいるって?

 んー・・・・・・・・

 正確に言うと”人間は一人”・・・かな。

 両親は仕事で出張中。

 世界規模で飛び回ってるから、あまり家に帰ってこない。いまは確か、フランクフルトっていう町にいるはず。

 会えるのは年に数えるほどだけど、実のところ寂しさはあんまりない。

 ほとんど毎日何かが起きるから、寂しがってるヒマがないのが現状。

 僕の周りにはメアリーとか色んな”モノ”が居るしね。

 まあ、それはおいおい話すとして・・・






 しばらく気力の回復を待ち、ベッドから降りた。

 パジャマがわりのスウェットを脱ぐ。しっとり冷たい感触に、こんなにたくさん汗をかいたんだと少し驚いた。

 体を拭きながら時計を見ると、いつもよりずいぶん早い。

 かといって、今さら二度寝する気にもなれなかった。

 ワイシャツを着て襟元のボタンを留めると、沈んだ気分がようやくシャキッとしてくる。

 勢い良くカーテンを開いた。

 外は快晴。どこまでも高く晴れ渡っている。

 窓を開けると、流れ込む空気と共に、力強い羽音が迫ってきた。反射的に体を反らす。

 部屋に飛び込んできたモノは、ドア直前で見事なUの字を描き、窓に舞い戻った。

 翼をはばたかせて窓枠に降りる。


「ライ君、おはよ」


”くるっく〜”


 喉を鳴らしたのは、白と灰色の斑(まだら)模様の鳥。鳩よりすこし小さい。

 首をちょっと傾けたまま、まん丸の目が僕をじっと見つめる。

 僕の親友、ライ君だ。


「はいはい。いま朝ごはんを出すからね」


”くるる〜”


 机の横に置いてあった紙袋を拾い上げ、窓の外にしつらえてある餌台に中身をあける。落花生だ。

 もちろんそのままじゃ食べられないから、僕が割ってあげなきゃいけない。

 ライ君は尾羽をふりふりして待っている。

 落花生の殻をぱきりと割ると、実がこぼれる前にクチバシが差し込まれた。


「あ、こらこら。そんな慌てなくても無くならないよ」


”くっく〜”


 殻を割る乾いた響きと、餌台にクチバシの当たる音。

 毎朝の大切な、心なごむひと時。

 どんな時でも変わらない友達の姿は、本当に僕を癒してくれる。

 ライ君は満足するまで食べると、羽根を拡げて餌台を蹴った。


”くるっく〜! るるっ”


 嬉しそうに喉を鳴らし、天の高みへと翔(か)け上がっていく。


「いってらっしゃーい」


 手を振ると、返事代わりだろう、上空で青みがかった閃光が走った。

 ライ君を見送った僕は、餌台に残った食べカスをきれいに掃除して、部屋のゴミ箱に入れる。

 外に払い落とすと他の鳥が寄ってきて、糞の処理などが面倒になる・・・・と、メアリーに言われている。

 窓を閉め、カレンダーを見る。

 今日の日付のところ、赤丸印がくっきり。

 終業式で授業はなし。カバンは空っぽでOK。


「変な夢を見ちゃったけど・・・・やめないぞ」


 そう。

 今日は終業式なんかより、ずっとずっと大切なイベントがあるのだ。

 

「今日しかないぞ。がんばれ、僕!」


 餌やりの間に入れ替わった新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで、気合を入れる。


「目指せラブラブ春休みーっ!」


 いつもより軽い学生カバンを掴み、部屋から飛び出した。







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