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 青年は、不本意だった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・むーっ」


 物を噛むという行為にどれほど多大な労を要するか、彼は生まれて始めて学んでいた。


「んぐ・・・・・ぐぅっ・・・!」


 病院の不味い流動食を飲み込むのが、いや、口を開くことにさえ激しい痛みを伴う。

 いわんや顎を動かし、喉に食べ物を通す行為の辛さといったら。常に側頭部を万力で締め付けられ、アッパーカットを喰らい続けているようなものだ。おまけに首もギプスでがっちり固定され、左右を見ることもままならない。


「むふーっ!」



 頭部亀裂骨折。

 下顎粉砕骨折。

 頚椎捻挫。

 その他打撲多数。



 それがモノノケとの戦いによって得た戦果だった。

 とはいえ、戦いと言うのもおこがましいほど一方的に打ちのめされたわけだが。


「んがっ! ふぐーっ」


 遠慮のない唸り声に、左右のベッドから非難の視線が飛んで来る。しかし青年は気にも留めず眼前の食事と格闘する。


「ふーっ、ふーっ!」

(この私が・・・この私が敗北するとはっ)


「ぐむ・・・・ぐぐっ」

(いかに惰弱といえど、やはりモノノケはモノノケということか・・・卑怯にも飛び道具を使用するなどっ)


 ちなみに青年は、自分がカエルのように踏み潰されたことを知らない。気がついた時には病院に運ばれていたから。


「んぐんぐ・・・・ぶふー!」

(だが、二度と同じ失態は繰り返さんぞ! 今度は私が打ちのめす番だ!)


 興奮のあまり震えたスプーンから、生ぬるい粥が飛び散った。ショッキングピンクのパジャマに米粒がぺちゃりと垂れる。よく見ると、青年のパジャマは白い米でマダラ模様になっている。

 対面のベッドで食事していた患者が、憂鬱そうに目をそらした。


「ぐほーっ!うっほうっほ!」

(見ていろモノノケども! 次に私と会った時が、貴様らの最期だ!)


「ふーふー、むふーっ!」

(泣いて私に許しを請う姿が目に浮かぶぞ! もちろん容赦などしないがなっ!)


「ぶふふふふふふふ!!」

(ふわーっはははははははははははは!!!)



 全身を使って青年が唸る。

 がたがたと寝台が揺れ、倒れた牛乳パックから白い液体がだらだらと零れる。

 相部屋の患者達は、ネジの外れた同室患者を割り当てられた不運を呪いつつ、誰がナースコールするか目で押し付けあっていた。









「・・・・と、新入りは順調に回復してるようです」


「何で生きてるんだ、あの野郎」


「担当医は『顎がほとんどの衝撃を吸収したようだ』と」


「これだから口から生まれた奴は・・・・」


「困ったものです。それで、どうしましょうか?」


「決まってる。あの阿呆が退院したら即刻、奥道場へ放り込め」


「わかりました」


「で、問題の連中は?」


「今朝09時20分に函館空港から発ちました。青森の仲間が見てくれましたが、特にトラブルはなかったと」


「ならいい。青森には私から礼を言っておこう・・・・・それとあの新入りだが」


「はい」


「十年は里に降ろすなよ」


「了解しました、ボス」
















 四日ぶりに見る町並みは、どことなく新鮮だった。

 見慣れたスーパーや角の信号にすら目線が引き寄せられる。

 それに空気だ。

 空気が違う。

 北海道の涼やかな風と、こっちの湿り気のある風。両者の差にいやでも旅をしてきたと実感させられた。

 街路樹のポプラが頭上で低く葉音をたてている。




 肩に感じる荷物の重みに、ちょっとだけ立ち止まった。




 ふと−


 一人きりだと思った。


 この五日間ずっと傍にいた空さんもいないし、美守さんもいない(先生っていう立場上、旅行後の反省会議は抜けられないんだって)。

 もちろんイヨ君もいない。


「・・・・・・・・・・・・・・・・イヨ君、は」


 古い友達の名を呟く。

 

 あのコロボックルは今、遠い空の下で何をしてるんだろう。

 狩りか釣りをしてるのか。

 それともコタンの皆に、僕と過ごした日々を話してるのか。

 どちらも有りそうだ。


 そこまで考えて、一人じゃないと思い至った。

 イヨ君は言っていた。イワエツゥンナイ・・・空飛ぶ目玉が僕の近くにいるって。

 それはつまり、高い山にどっしり構えるイワポソインカラの爺さんも僕を見てるという事。


 気がつくと、口元が弛んでいた。



 うん、大丈夫。

 僕は一人じゃない。

 昔とは違う。



 十年前は、いつも一人ぼっちだった。

 学校に友達がなく、両親は仕事に忙しくて子供と遊ぶ余裕がなかった。


 だから寂しくて。


 彼らの好意が嬉しくて。


 イヨ君と遊ぶことが楽しくて。


 失うのが怖くなって。


 だから−








「そもやそも、十歳も前の決定(けつぢゃう)を−」






「何(いず)れイヨイタクトゥイェはシソに並び食を分ける者ぞ」







「我も期待しておるぞ、ウタリよ」












「忘れてたわけじゃないけど・・・・ね」


 もう子供じゃないから、”忘れた”で済まないのはわかる。

 それでも先のことは予想できないし、そもそも”時”が来てどうなるのか・・・・正直いって想像もつかない。



 結局−







「明日は明日の風が吹く・・・・か」


 見上げた空は乳白色。やっぱり北の青空と違う。

 肩の違和感が大きくなってきた。

 ずれかけたカバンのベルトを掛けなおす。

 車から吹き付けられる排気ガスに煽られるように、僕は歩みを再開した。



 はやく帰って荷物を降ろそう。シャワーを浴びて、今日はのんびりしよう。


 昼寝でもしよっかな。疲れたし。


 よし、そうしよう。



 歩調を速める。














 ガチャッ


「ただいまー」


「おかえりー!!」


「おかえりなさいまし。ご主人様」


「・・・・・・・・・・・・おかえり」


「うわっ、みんな勢ぞろいしてるし!」













 結局−



 僕は受け入れるのだろう。



 ゆっくりと。



 ヒトでないものを受け入れた、今の日常と同じように。



 その時を。











「にぅにぅ。リョーの匂い〜♪」(むきゅ〜っ)


「ちょっ、珠緒くっつくなって・・・・・・・って、文ちゃんまで何してるのさ!?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・ふみも」(ぎゅっ)


「ああ、もうっ。二人ともカバンくらい下ろさせてよぉ」


「・・・・ご主人様。お荷物をお預かりいたします」


「え、メアリー? コレ重いけど、だいじょうぶ・・・ぅっ!?」


「ご主人様・・・・・・・・ご無事のお帰りを心よりお喜び申し上げます」(むぎゅっ)


「あうっ・・・・め、メアリー・・・・あの、苦しいし当たってるよ? 当たってるからっ」←何が?


「みゅ〜? メアリー、ちょっとリョーにくっつきすぎじゃん?」


「そういう珠緒さんこそ、少しはご自重なさって下さいまし。はぁ・・・ご主人様ぁ・・・・」


「うひゃっ。首筋に息を吹きかけるのはやめてー!」


「・・・・・・・・・・・・・・かんじる?」


「だから文ちゃんはどこでそんな言葉をっ」


「・・・・・・・・・・・・・おとめの、ひみつ」


「それはもういいからっ、ちょっと三人とも離れて! 僕、汗かいてるしシャワー浴びたい!」


(きらん!)×3


「一緒に入る!」

「お背中を流させていただきます」

「・・・・・・・・ふみも」


「いや、いいから! 全力で遠慮するから! 気持ちだけ受け取っとくから!」


「遠慮すんなって、なぁ、リョー!」

「ご主人様、どうぞこちらへ・・・・♪」

「・・・・・・・・・・・・・・・・うふふふふふふふふふ」


「えっ!? ちょっ、それマジで!? シャレになってないよ!?」










 ギャ−−−−−−−ス!!! 









(終わり)










<あとがき>



 はい、おしまい!


 ラストが駆け足でしたけど、作者的には12ページ(イヨ君が帰る所)で終わりで、それからは後始末みたいなものなので。
(単純に構成ミスとも言えます)

 読後に何も残らないのが神有屋の物語ですが、少しでもご無聊をお慰めできたら幸いです。

 なんだかんだで一年以上続いたこの話。お付き合いいただきました皆様、ありがとうございましたーっ。



 なお”すうぃ〜てぃ〜”シリーズは、ひとまずこれで終了となります。

 よろしければ、また別の物語でお会いしましょう。

 では。




 次こそは・・・次こそは神も人外も出ない話を・・・・!



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