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 聞き覚えのあるメロディーがかすかに流れる。これはショパンの・・・何だっけ? とにかく何か。

 優雅な楽曲にくるまれたシャンデリアは、見上げるほど高い場所に在る。

 教室だったら耳を塞ぎたくなるような学生の賑わいが、三階ぶち抜きのホールに吸い上げられて揮発していた。

 百人以上が食事しているのに空疎な雰囲気が漂っているのは、やっぱりこの部屋の贅沢な広さのせいだろう。

 日頃は遠来のビジネスマンや地元の有力者で賑わうバンケットスペースが、学生食堂みたいになってる。


 今日の宿舎は、札幌駅から徒歩圏内にあるシティホテルだった。

 先生がどんな交渉をしたのか知らないけど、修学旅行で泊まるには充分すぎる施設だ。

 一流どころとあって部屋が清潔なのはもちろん、ベッドもふかふかイイ感じ。トレーに並べた夕食も、見た目、味とも悪くない。未成年者が相手でも粗末なものを出さないという、高級ホテルの意地を感じられる。


 歓声が耳に届いた。

 声に眼を向けると、制服姿の男女が人だかりを作っている。追加のメニューが来たらしい。

 皆が囲んでるのは、ピカピカの銀食器に盛られた色とりどりの料理だ。ご飯とパンから始まって、肉魚野菜にスープに味噌汁、デザートや食後のお茶まで、和洋中のフルコースができるほど取り揃えてある。

 食べ盛りの高校生に、バイキング形式はとっても嬉しいシステムだね。

 それほど食べない女の子でも、好きな物を好きなだけピックアップできるのは好評らしい。こすれば「きゅっ」と音を立てそうな純白のお皿にフルーツとプチケーキを盛り上げて、女子たちがきゃいきゃいとはしゃいでる。夕食とは到底思えない光景だけど・・・


 それにしても広いホールだ。

 これだけの人数が詰め込まれて、窮屈さを少しも感じさせない。

 感じさせないはずなのに−


(何かここだけ、ミョーに圧迫感を感じるんですがっっっ!?)


「良君、どうしたの?」


「う、ううん。何でもない」


「ふぅん・・・?」


 空さんは傾げた小首を直すと、再び箸を使い出した。細い指を器用に動かして焼き魚の腹を開く。

 そして彼女の向こうに、野獣の眼をした同級生達がいた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


(あせあせあせあせあせ)


 楽に二桁を超える男子が、さっきから血走った目で僕を見据え、無言のプレッシャーをかけ続けている。

 一日中札幌を駆け回って、僕を捕まえられなかった事が不機嫌の原因らしい。

 イヨ君という姿隠しの名人がいたのだから見つかるわけなかったんだけど、学校のみんなはそんな事知らないからね。

 そんな連中でも、空さんの手前では露骨に変なことは言わない。それに彼女の視線が他所(よそ)へ向くと、見事に統一のとれた動きで視線を解除する。「ダルマサンが転んだ」じゃないんだから・・・

 いずれにしろ僕の食欲を奪うこと夥(おびただ)しい。

 シーフードサラダに盛られたシュリンプを突ついてると、また空さんが小首を傾げた。


「良君、サラダは美味しくない?」


「え・・・う、ううん。美味しいよ」


「そお?」


「空さんこそ、その魚うまい?」


「うん!」


 彼女は真っ白な身を口に運んで目を細めた。

 空さんが食べてるのは秋刀魚(サンマ)より少し小さめの、見慣れない細身の魚だ。

 焼き魚は注文してから焼くそうで(しかも炭火焼き)、ちょっと待たされたけど、見返りは予想以上のようだ。


「蝦夷岩魚(エゾイワナ)って言ったっけ。家のほうじゃ見かけないね」


「そうね、私たちの町よりずっと北じゃないと住んでないから」


「へぇ〜・・・」


「それに焼き方も上手だし。やっぱり卵と魚は火加減が命ねーっ♪」


 魚をぱくっと口に入れて、空さんが満足そうに笑みを浮かべる。

 子供みたいに愛らしい喜びように、思わず見とれてしまう。


「・・・・・・なぁに?」


「あ、えっと、何でもっ」


 慌てて自分のメニューに目を戻した。

 和食が多い空さんと違って、僕は洋食中心のラインナップだ。 北海道に来たからには牛肉をちゃんと食べたかったから、メインに牛肉のサイコロステーキを選んだ。それでステーキと相性の良さそうな物を揃えたら洋食っぽくなった。けっこう色々とバイキングから取ってきたんだけど・・・


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 やっぱり箸が動かない。


 だって周りに居る人たちが・・・ねえ?

 四方から邪気を注がれながら箸が進む人がいたら、どうやって食欲を湧かせるのか教えて欲しい。

 微妙に震えるフォークで、僕は何とか付け合せの人参ソテーに狙いを定めた。


「良君、はい♪」


「ふぇ?」


 答えた拍子に、半ばまで通っていた人参がフォークから落ちた。


「美味しいよ?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え〜と」


 極上の笑みを向けてくるのは、カワイイカワイイ僕のカノジョ。

 同時に向けられる空さんの手。

 その先には、箸に摘まれた一口分の魚の白身。


「はい♪」


「あ、ありがと・・・・」


 取り皿を彼女のほうに向ける。でも箸は下へ降りることなく、かえって僕に接近してきた。

 そして彼女の口から飛び出す、衝撃的発言。


「あ〜ん♪」




 びきっ!







 一瞬だけど確実に、




 時間が止まった。





「はい、あ〜ん♪」


 衝撃と言うよりニトロ級の爆発力。

 彼女の恐るべき発言から数瞬後−

 周囲の悪意がもりもりと膨れあがる。


(こ、これはっっっ・・・・!)








「あ〜ん☆」


「ぱくっ」


「美味しい?」


「うん、美味しいよ!」


「うふっ。良かった♪」(はぁと)


「あははは」


「うふっ☆」








 なんてゆー甘々ラブラブ時空がーっっっ。



 空さんのキラキラした瞳から、そういう流れになる確信があった。

 さらに言うまでもなく、食後に周りの連中から壮絶な仕置きを受けるだろうことも疑いようがなかった。

 視界の隅では、もはや隠し立てすることなく敵意をむき出しにした連中が牙を見せている。


(いいのか、犬養良!? ラブラブ&デンジャラスのコンボを簡単に受け入れて!)


 一見、空さんの言葉に固まったままに見える僕だけど、頭の中はオーバードライブで全速回転。


(いま口を開いたら終わる! 色んな意味で確実に終わる!)


 そんな内心の葛藤も知らぬ気に、さらにさらに口元へ接近する空さんの箸。


「良君、あ〜ん♪」


 にっこり☆


(うああああああああ!)


 神様助けて!


 彼女ってば可愛すぎます!


 勝てません!!


「はい、あ〜ん♪」


「あ、あーん・・・」


 あっさりと理性が降伏し、僕は口を開いた。


(ぱくっ)


「「「!!!!!!!」」」


 ただ一口で、敵意が殺意に変わった。


 ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・!


(うぎゃあああああああ!!!)


 何か聞きなれない低音と地鳴りが轟いてるのは空耳だよね、うん、きっとそうだ、そうじゃなきゃ僕の繊細な心が無事で済まないじゃないデスカ。


 生きた心地もしない中、全力で咀嚼(そしゃく)し、食道に落とし込む。


「美味しいでしょう?」


「・・・うん」


 ごめんなさい。味なんてワカリマセン。


 心理状態は味覚まで狂わせるらしい。

 ほっこり焼けたはずの魚の身は、溶岩のように熱く、地獄のように苦かった。



「でしょでしょっ。美味しいよね〜っ♪」


 箸を持ったまま、両手を合わせて喜ぶ空さん。

 天使の笑みで頷く彼女と向こうで蠢(うごめ)く鬼の群れ・・・・・

 唐突に、現国の時間に聞いた「春と修羅」というタイトルが脳裏をよぎった。


(天国のお父さんお母さん・・・もうすぐそちらへ逝くことになりそうです・・・)

 ↑
 註:死んでません


 心の中で涙しながらナイフとフォークを持ち直していると−

 唐突に殺気が消えた。

 いきなり消えたプレッシャーに、思わずナイフを取り落とす僕。

 ナイフと食器が衝突し、目立つほど大きな音になった。


「まあ、イケナイ子。食事中に大きな音を立てちゃダメじゃない」


「「!」」


 殺気が消えた理由−


 いつの間に来たのか。


 長い髪の美女が、食卓の対面で婉然と微笑んでいた。

 グラビアモデルにも劣等感を覚えさせそうな抜群のスタイルは、地味なスーツでも隠しようがない。

 我が校一の美人教師にして僕の保護者である、大上美守さん。

 彼女は椅子の背もたれに優美な手をかけ、甘い声でたずねた。 


「ご一緒していいかしら?」


「ど、どうぞ」

「イヤです」


 カーン!



 どこかで誰かが開戦のゴングを鳴らした。












 







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