そろそろ太陽がビルに隠れるかという、札幌の中心街。
立ち並ぶ高層建築物と延々と続く公園の緑、対照的な姿が平行して進む印象的な大通り。
騒然としていた。
ガラス張りのオフィスビルを、多くの人々が取り囲んでいる。
エントランスの前に、赤色灯を回転させた自動車が何台も並ぶ。
白、橙、藍など様々な制服を着込んだ者達が忙しなく行き交う。
ビルから吐き出される担架は速やかに救急車へ吸い込まれ、けたたましいサイレンと共にいずこかの病院へ消えていった。
野次馬たちは運び出される者を見ては勝手な妄想を膨らませ、自他を納得させられる原因を探して言葉を交わしている。
もちろん彼らの誰一人として正答を導きだせない。事実は常人の想像を遥かに超えるところにあった。
そんな非日常的な光景を、女が一人、車道を挟んで眺めている。
他の野次馬のようなギラギラした目付きではない、もっと醒めた視線で。
ウェーブした金色の髪が眩しい華やかな女性だが、身にまとう独特の空気が彼女を他の者から隔てていた。
玄関からまた一人、中年の男が担ぎ出された。
手指と腕を鉤形に捻じ折り、泡を吹いて痙攣している。
野次馬がどっと歓声を上げ、携帯電話のデジカメを連写した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
浅ましい景色を、女が人の輪の外から観じている。美貌の口元が僅かに歪んでいるのは、どんな心情の表れだろう。
「喰らわなんだか」
女が発する拒絶のオーラも知らぬ気に、声をかけた者がいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
美女が一瞥する。
声の主は五十絡みの小男だった。囁きが声が届く程の距離をとり、横に並ぶ。
奇妙にのっぺりした人物だった。小さな目は不自然に離れ、鼻が低くて口が大きい。禿げ上がった頭がてらてらと光っている。が、よく見ると、脂ぎっているのではない。肌は瑞々しく頭頂まで潤っている。
少し丸まった肩に柄物のシャツを羽織り、カーキ色のスラックスは滑稽なほど短い。
全体の雰囲気と個々の印象がチグハグな、捉えどころのない男。
「どなた?」
棘を含んだ誰何(すいか)に、小男が平たい頭をぴょこんと下げる。
「失敬。儂はポロパロっちゅーしがない果物売りさ」
「ポロパロ・・・・」
女は鼻をひくりとさせた。紅い唇を薄く開く。
「カエルが果物を売るの」
「カエルじゃないやね。ま、人外が人の師となる世の中さ。細かい事は気にするない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ポロパロと名乗った男は、女の沈黙を気にも留めず、飄々とした様子で人垣の向こうを眺めた。顔の下半分を占めていそうな口は、何もなくても薄笑いを浮かべているように見える。
およそ人間の考える美的要素といっさい無縁の小男だが、ただ居るだけでユーモラスだ。サービス業を営む存在としては得かもしれない。
「用件は?」
「別に。ちゅーか、儂の用をお主が足してしまったんでな。見物するしかなくなった」
他人の仕事を取ったんだから話くらい聞け、と丸まった肩を揺する。
「・・・・・・・・コロボックルの縁の者ね」
「いんや。縁があるのはお主と同じ、あの小僧だわ。
十歳(とおとせ)ぶりの帰郷を、遠巻きながら迎えておった」
「そう・・・・旭川からずっと水の臭いがしてたのは、貴方だったのね」
「いかにも。さすが狼は鼻が効く」
女の目が細められ、傍らに向く。
ポロパロがにんまりとした。やっとこっちを向いた、という心情だろうか。
「それで、ご執心の子から離れてここに来た訳は?」
「それもお主と同じさね。リョウに仇なす者をな、岩屋ごと一呑みにしてやろうとな?」
「手遅れね」
「つまらん事をしてくれた」
「ふふ。お生憎さま」
女の含み笑いに、男が顎を上げた。小さな鼻の穴からしゅっと息が漏れる。
「邪魔をした。リョウの傍に戻るとするよ」
ポロパロが踵を返した。
女は視線を前に戻す。
「ああ、そうだ。一つ言伝(ことづて)を頼めんか」
「知り合いなら直に言えばいいでしょう」
「リョウは今の儂の姿を知らないんでな。惑わすも驚かすも気が引ける」
「奥ゆかしいこと」
小男の目元がひくついたが、女の言葉に嘲弄の気がないと知り、再び視線を前に向けた。
「なに、大した話じゃない」
男が肩を揺する。さくりと芝を踏む音が立った。
「良き夫婦(めおと)に末永く幸あれ、とな」
「・・・・気が早すぎるんじゃなくて?」
「そうかもな。じゃが儂の時は彼等(あれら)と違う。致し方なし、さ。
それに地と人の理が通じぬ仲じゃ・・・」
「え?」
女がここに来て初めて顔に色を見せた。
怪訝な面持ちで振り返るが、既に彼女の周りに人影はない。
ただポロパロの言葉だけが、夕刻の気配を運ぶ涼やかな大気と共に残された。
「此方では早すぎ、彼方では遅すぎる−」
時計を見ると、そろそろ集合時間が気になる頃合だった。
バスで行けるけど、僕たちは歩いていくことにした。
というか、バスに乗るのは恥ずかしくて無理。
・・・・空さんが離れてくれないんだもん。
美守さん、次に会ったら文句を言わないと。
あの人が別れ際に僕にした事のせいで、さっきから空さんがおかんむりだ。
一時も放さないとばかりに、僕にしがみついてる。
イヨ君が唐突に言った。
「帰るぞ」
「・・・・え?」
「帰る、と言った」
「へ?」
道端で立ち止まる。
間の抜けた顔と声の僕を、イヨ君が小さな掌でぺちぺち叩いた。
「そのような呆け面をするでない。我はコタン(村)へ帰るのだ。
別れ際には確(しか)とせい、ウタリよ」
「えっと・・・いや、何で? 僕たち、明日の朝までこの街にいるよ」
「我とて務めがあるのでな」
イヨ君が紅い唇を尖らせた。
「十歳ぶりの逢瀬、頃丈(これだけ)で別れるは我とて心足らず。
さりとて私事でコタンを長く離れるわけにもいかぬ。一の狩人は二の者三の者の鑑(かがみ)なれば」
さらにイヨ君は、今宵は学友の目があろ、と付け足した。
「・・・・・・・そっかあ」
たしかに今日は(というか普通は)四人で相部屋だ。いくらイヨ君が姿隠しの名人でも居辛いだろうし、一言も話せないのでは気詰まりだろう。
あらためてイヨ君の澄まし顔を見る。もうお別れかと思うと、少し胸が痛くなった。
イヨ君がまた、僕の頬をぺちっと叩いた。
「これ、そのような顔はやめよ。別れ際には確とせいと言うたばかりではないか」
「う、うん・・・」
イヨ君に強い眼差しで見られ、頷く僕。
「それに、だ」
「?」
「リョウには為すべき事があろ」
イヨ君は空気に乗るようにふわりと宙を跳んだ。
両足を揃えて空さんの細い肩に降り立つ。
「空殿」
「え、あ・・・はい」
空さんは間近に見るコロボックルに、少し目を見開いた。
「妬心も可愛げのうちだが、程を超ゆると嫌気を招く。心せよ」
「サポさん・・・・・」
「なに、案ずることはない。度を弁えれば良いのだ。ウタリは易々と心を変えたりせぬぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
空さんは表情のないまま、イヨ君を見つめた。
「空殿」
呼びかけて、コロボックルが笑みを浮かべる。
それは単純な笑顔でも皮肉混じりの苦笑でもない、慈しみを含んだ微笑。
「そなたは今、リョウの傍に在る。先ずは其を多とせよ。重々承知であろうが−」
コロボックルが一瞬だけ僕に顔を向けた。笑みの中で黒い瞳が煌く。
「此方は短く、彼方は永い。そして時はペツの如く過ぎ去って帰らぬ。
そなたの抱く宝・・・それを磨くも擲(なげう)つも、全てはそなた次第ぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」
空さんが噛みしめるように、イヨ君は満足そうに、二人とも頷いた。
「えっと・・・イヨ君?」
「如何にした、ウタリよ」
「ぜんぜん話の流れが見えないんだけど・・・・」
するとイヨ君はくくく・・・と甲高い含み笑いをした。
「お互いウタリの為に苦労する・・・とな、慰め合うたのだ」
「はあ?」
ますます訳がわからない。
「よいよい、只の戯れよ。それよりウタリ」
イヨ君は再び僕の肩に移ると、超近距離でイナウ(神錫)を突き出した。
「イヨ君、それ怖いって」
ヒトの使うイナウは棒切れと同じだけど、コロボックルの神錫は岩をも打ち貫くんだよ。
「安心(あんじん)せよ。何れイヨイタクトゥイェはシソに並び食を分ける者ぞ。
髪一筋ほどといえどリョウを傷つけるものか」
そういう問題じゃないんだけど・・・
「我はこれにて辞するが、父御(ててご)と母御にも健勝にと伝えてたもれ。そして彼の女(め)ども・・・・女童、伴天連、猫にもな」
「・・・わかったよ」
いつも通りの自己完結型コロボックルに了解の意を示す。
イヨ君が白い歯を見せて笑った。
「いつなりと望む時にコタンへ帰るがよい。其処は既にそなた達の故郷だ!
また会おう!」
ひゅうっ。
街を流れる人の波。
上層を軽やかな風が吹き通る。
瞬きするほどの間に、小さな友達は姿を消していた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
街のざわめきが耳に戻ってくる。
どうやら別れ際の一時だけ、イヨ君は僕らにも姿隠しをかけていたらしい。
ふっと息を吐いて、空さんが呟いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・行っちゃった」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだね」
「なんか・・・・・呆気ない」
「相変わらず、だね」
「相変わらず?」
空さんの視線を感じながら、僕は北東の空を眺めた。コタンは確かあの方角のはず。
僕はいま、どんな顔をしてるんだろう。わからないけど話を続ける。
「『”男”は別れ際に心身を乱さぬものぞ』ってね。イヨ君は十年前のお別れもあんな感じだったよ」
苦笑したつもりだけど、口から漏れたのは溜息だった。
空さんが得心したように首を振るのが、視界の隅でわかった。
ホントにイヨ君てば”男”らしくしてるんだな・・・
昔と変わらず真っ直ぐで、頭が良くて、頼もしい僕の友達。
イヨ君はそのままを貫いてコタンで一番の狩人になった。
・・・・僕はどうだろう。
この十年でどこが変わり、どこが変わらなかったのか。
歳や外見じゃなく、それ以外の部分で。
僕はイヨ君のように伸びられたのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ふと気付くと。
空さんの手が、そっと僕の手を握っていた。
「だいじょうぶ」
「・・・・空さん」
空さんが僕に笑みをくれる。
それは先ほどまでのイヨ君に似た、慈しみのある笑顔。
「だいじょうぶだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・うん」
軽く空さんの手を握り返すと、彼女は笑みを深くした。
「ありがと」
「・・・ん」
往来する人々からぽつんと浮いているように立ち止まっている僕たち。
どこからか来たサイレンの音が、ビルの谷間を渡って行く。
「良くん」
「うん」
もう一度、コロボックル達の住む彼方を見る。
薄く雲の引かれた青空は、イヨ君の歩む道を示すように、どこまでも透き通っていた。
「ねえ、良くん」
「ん? なに、空さん」
「二人っきりだよね?」
「え、いやまあ、そうだけど」
「大上先生としたんだから、私にもして欲しいな〜」
「して欲しいって何を・・・うわっ!?」
「ん〜♪」
「く、空さんっ、ここ街のド真ん中! 恥ずかしいから!」
「い・い・の♪」
「良くないっt・・・んp※%$◆ゞ†∂★△!!!」