イヨ君の言う「界(かい)を結ばれた」場所に立つ、僕ら。 まるで札幌という大きな都市に僕らしか存在しないかのように虚ろで、風の流れや雑音もない。 広さは十メートル四方あるかどうか。 僕らを閉じ込めたのは、二十歳くらいの青年だった。 精悍な顔立ちで、背筋が伸びて身なりもいい。 ただし外見はともかく、頭の中身はアレだった。
「だーかーらーっ」
苛立ち半分、諦観半分で言う。
「僕はニンゲンだってば!」
「戯言(たわごと)を。人がそれほど濃厚な妖気を放つものか」
言下に否定されました。
「”これ”は僕のじゃないから! モノノケじゃないから!」
「フン」
さらに鼻で笑われましたよ。
「使い魔を堂々と召し出しながら、よく言ったものだ」
青年が素人目にも隙のない所作で一歩近づく。
「「・・・・・」」
僕を挟んで立つ二人・・・・空さんとイヨ君が、ぴりっとした気配を放つ。
「イヨ君は使い魔じゃない」
二人の考えを僕が代弁した。
「僕のウタリ(同胞)だ」
視界の隅でイヨ君が頷く。 く、く、く・・・と青年が笑った。
「それみろ」
イヨ君と似た、くぐもった低い笑い声だけど、それは酷く気に障った。
「自ら妖怪と認めたな」
「違ーう!」
「人ならざるものが同胞ならば、貴様も人であるはずがない」
「そんなの偏見だよ。モノノケだって友達にも家族にもなれるんだから」
現にウチの家族はモノノケ率が50%を超えてるし。
青年が、灰色がかった瞳に哀れむような色を浮かべた。
「人間(じんかん)の温もりに憧れて人と交わるうち、我が身の出自も忘れたか。 何と言う頭の弱さ。これも人外の悲しさよ・・・・」
「・・・・・・・・」
もう、偏見とか誤解とかを通り越してるなあ、この人。
「そしてそこに居る名も知らぬ少女よ。可哀そうだが、君が頼みとする男は人に似て人ではないぞ」
「・・・・はい?」
いきなり話を振られて、空さんがきょとんとした。
「唐突な話で信じられないだろうが、事実だ。君の友人は人間ではない。 その証拠に、そのモノの体から妖気というものが染み出している」
「はあ・・・・・」
彼女が僕と視線を交わすのをどう受け取ったのか、相手は噛み砕くようにゆっくりと話す。 向こうは気遣ってるつもりかもしれないけど、僕らにしてみればすっごく間抜けな発言だ。
「と、口で言っても信じてはもらえまい。真実は目に見せて証(あかし)立てよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えーと」
一人合点する青年が鷹揚に頷いてみせる。 もう一度傍らの空さんと目が合うと、彼女はかすかに肩をすくめた。
「いいか、そこのアヤカシ。お前の原形はわからないが、しょせんは器物か畜生の成れの果て。 どうやっても人間という高等生物には生(な)りきれんのだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あのー」
「貴様の境遇に一抹の同情を抱かないこともないが、我が聖なる任務の前に私情の入る余地はない。やはりこの場で処分せざるをえん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・もしもーし、聞いてますかー?」
「少し話しすぎた。言い逃れと時間稼ぎは終わりだ」
あくまでも言いたいことだけ話し終わると、青年が肩幅に足を開いた。
「行くぞ、名もなきアヤカシよ。我と対決したことを誇りとして無に還るがいい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(せんせ〜、コミュニケーションが成立しませ〜ん)
思わず嘆息して空を仰ぐ。 耳元でイヨ君が呟いた。
「ウタリよ。良い加減に彼奴(あやつ)の蒙を啓(ひら)いてやらぬか」
「んー・・・」
いまにも襲い掛かってきそうな青年と、すっきり晴れ上がったら空を交互に見る。
「要らないと思うよ?」
「何故に」
不服そうな色を滲ませたイヨ君に、僕は答えた。
「それはあの人の仕事みたい」
ガキッ!
僕が言い終わるかどうか− 天からハイヒールが降って来た。 細長いヒールの与える衝撃が、着地点にいた人間の頭頂から足までを垂直に貫く。 振動が空気を振るわせ、砂埃が軽く舞い上がった。
「・・・・ね?」
「なるほど」
歩道のタイルに頭をめりこませた青年を見下ろして、イヨ君が納得した。 顔に優越感を浮かべたまま、気絶した青年が手足を痙攣させている。 それを下敷きに、たぐい稀な美女がすっくと立っていた。
「はぁ〜い。りょーちゃん☆」
「美守さん・・・・」
「お待たせ〜♪」
華やいだ笑顔を僕に向けながら、美守さんが人体の上から地面に降りる。 離れ際、ヒールが後頭部をねじり、青年の四肢がびくんと跳ねた(絶対、わざとだ)。
「ありがと、美守さん」
美守さんの目を見て礼を言う。彼女は温かな眼差しで僕を捉え、紅い唇に笑みを浮かべた。
「いいのよ〜。 私のりょーちゃんを守っただけだもの。 それとも、手出しの必要なんてなかったかしら?」
「・・・・・」
一部イントネーションが強調されてるのは気のせいですか。
空さんとイヨ君が何か言いたそうな顔になる。でも二人とも沈黙を保った。
「あー、えっと、それはともかく」
微妙な雰囲気になりかけたので、僕は話を変えた。
「美守さん、その人を知ってる? モノノケを知ってそうな口振りだったけど」
「見たことないわ。だけど関係者なのは間違いないわね」
美守さんは背後でノビてる青年をちらっと見やると、目を細めた。
「コレは私が片付けるから。あなた達は忘れていいわ」
「・・・・・・・・・・美守さん」
「なぁに? りょーちゃん」
「食べちゃダメだよ」
「あら、残念」
僕の心配に対して、どこまで本気かわからない口調で応じると、美守さんは青年の襟首を摘み上げた。
「集合時間は四時半だから、あなた達、遅れちゃダメよ〜?」
「はーい」
「うん、いい返事♪ ご褒美〜」
「へ?」
ちゅっ☆
まさに瞬きする間。 気がついたら息の届く場所に美守さんの白い顔があった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「うふっ。また後でね、りょーちゃん」(はぁと)
まるで幻像だったみたいに、美守さんの姿が掻き消える。 取り残されたように立ち尽くす僕ら。 残ったのはかぐわしい香水の香り。 そして、口元にほのかに感じる湿り気。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「うむ、見事な手際」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「まこと透き(隙)なき女性(にょしょう)であるな」
イヨ君が賛嘆を込めて頷く。
「お・・・・・お・・・・・・・お・・・・・・!」
やがて自失から立ち直った空さんが−
「大上先生ぇ−ッ!!!」
天に届けとばかりに大声を放つ。 いつの間にか人気の戻ってきた街路で、往来の人々が何事かと僕らを注視した。
窓の下に、雪祭りで有名な大通り公園を見下ろせる。
新緑の目に鮮やかな木立の向こうに、様々な官庁の合同庁舎が立ち並んでいる。
梅雨を知らない街に相応しい、清清しい青空。
昼食を終えた職員たちが、それぞれの机で仕事と向き合っている。
窓を通して入り込む陽光の温もり。
電子機器のキーボードを叩く音、空調の控えめな作動音。
眠気を誘われた事務の若い女性が、先輩につつかれてはっとする。
苦笑する同僚たち、恥じ入って頬を染める事務員。
どこにでも見られそうな、オフィスの光景。
そんな昼下がり。
キィ・・・・
密閉型のドアが開閉時に立てる、かすかな軋み。
僅かな音。
それが全てを一変させた。
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全員一斉に立ち上がった。 直立でなく、腰を落とした「構え」の姿勢。それぞれ胸元やスボンのポケットに手を差している。 つい先ほどまでの穏やかな空気が、嘘のように吹き飛んでいた。 老若男女関係なく瞳に宿る、強い警戒の色。殺気と言い切ってもいい。 皆の視線が向けられたのは、何の変哲もない扉。 しかし、ただのドアではない。 このオフィスは、特殊な組織が特別な目的で使用しており、格別の警備システムが構築されている。誰もが気軽に出入りできる空間ではない。 個人認証を登録した要員でなければ、入り口の電子ロックを解除できない。 その上に室内全体を結界とする霊的防護が働いている。精神的に弱い者が入室すれば、圧迫感で心神喪失に陥ってしまうだろう。 常人が何の準備もなくして、この空間に立ち入ることは不可能だ。
にも関わらず。
”彼女”はそこにいた。
「・・・・責任者は?」
彼らの何人かは、数日前に”彼女”を見ていた。 その時は「特別待遇の客」として、ずば抜けた美女であるが、普通の人間として振舞っていたはずだ。 だが、今そこにいるのは全くの別モノだった。 どんな名工、優秀な造型家でも作ることのできない、凄絶なまでの美貌。 人類の理想を凝縮したかの如きプロポーション。 四方を圧倒する濃密な存在感。 しっとりと濡れた唇から発せられた硬質の声音。 そして居並ぶ者達へ針のように突き刺さる、峻厳な空気。 多かれ少なかれ荒事に慣れた彼らの勘が、最大級の警鐘を打ち鳴らしていた。 彼らの感覚を証明するものが、相手の足元にあった。 優秀だが一番若く経験の乏しい新入りが、正体をなくして崩折れている。 生殺与奪の権が誰にあるか、あまりに明白だった。 「責任者」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 窓際で中年の男が両手を挙げた。降参、敵意を持たない、という意思表示だ。 男は相手から視線を逸らさないまま、低い声で周囲に命じた。
「全員、敵意を消して法具呪具から手を放せ。喰われるぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
上司の言葉に、そろそろと部下たちが従う。 室内を見渡して、”彼女”はわずかに顎をそらした。まるで上流夫人のような、優雅と言っていい動きで足元の青年を摘み上げる。
くいっ。
彼女が細い手首を振っただけで、青年の長躯が軽々と宙を舞った。 放物線を描いて部屋を横断し、上司の前に生ゴミのように落ちる。 中年男は足元に目をやり、何が起きたかを即座に悟った。 表情をいっそう硬くし、口元を引き締める。
「言ったわよね? よしなに頼むと」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
堅苦しいスーツ姿の上からでもわかる、すらりとした足が繰り出され、ハイヒールが音もなく床を進む。
「それで、この不始末はいったいどういう事かしら・・・?」
中年男の前に進んだ女が、静かに問いかける。 豊かな胸を張り腰に手を当てる様は一幅の絵画か、ポーズをとったスーパーモデルのよう。 全てが惚れ惚れするほど決まっていた。 だがその場に居る全員が感じていた。 大地震か大津波の前兆の如き、底知れない不気味な感覚。 それは一片も余念の入る隙がない、純粋な恐怖。 上司の男が、唸るように言葉を搾り出した。
「遺憾、だ」
「ふぅん・・・?」
小バカにするように、女が首を傾げる。
「この者、一人だけの、独断行動、だ・・・・・ 我々は、いっ、さい、指示、を・・・」
蛇に睨まれた蛙の気持ちがよくわかる。 ”彼女”の視線を受けるだけで、体中の神経が断線を起こし、筋肉が悲鳴を上げる。 健康診断で指摘された胃潰瘍の痛みが、ぶくぶくと泡立てるように男の内臓を掻き回した。
「信じると思うの?」
「信じて、もらう、しか、ない」
女の瞳が爛々と光を放った。 額に浮かんだ汗が男の目に流れ込む。それでも視線は女から外せない。眼を外せば首が飛ぶと直感が告げていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
どたっ。
緊張感に耐え切れなくなった男性が一人、その場に昏倒した。 女は視界の隅でそれを捉え、口の端にあるかなきかの笑みを浮かべる。
「・・・・それで、落とし前はどうつけるつもり・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
男の口から、歯を食いしばる音が漏れた。 机の天板を掴んだ指の骨が、皮を破りそうなほどくっきりと浮かびだしている。
「私の、首を、持って、いけ」
「・・・・・・!」 周囲の空気がはっとなった。
「あなたの首一つだけ・・・? コレは?」
女はつまらなそうに呟き、床に転がる青年をつま先で小突く。
「好きに、しろ・・・・だが、他の、者は・・・・っ」
ごほっ!
よほど息が詰まったのだろう。男の言葉は途中で咳に変わってしまった。
「そう・・・・」
咳き込む男を見下ろす彼女の前髪が、パラリと垂れた。目線と表情が隠れる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
人間たちがまんじりともせず注視する中、女の体がわずかに揺れた。それが「肩をすくめる」行為だと、極度の緊張を強いられた彼らは気付かなかったが。
「まあ、いいわ」
彼女は腕を上げると、しなやかな動きで前髪をかき上げた。露になった顔からは、すでに苛立ちの気配は消えていた。
「未遂だし、あの子に怪我もなかったから・・・・今回だけ多めに見てあげる」
「!」
さらに彼女は独り言のように、「あの子が血を望んでないものね」と付け加えた。 中年男が、肩の骨が抜けるほど脱力した。 一同の間にほっとした空気が広がる。 そこに”彼女”が付け足した。
「ただし、二度目はないわ」
女の体から冷たい圧力が放散される。
「同じ過ちは決して許さない。
ふたたび私の子に敵意を向けたら、その時は−」
冷気が奔流となって部屋全体に充満した。
「お前たち全員
地の果てまで追いかけて」
骨 も 残 さ ず 喰 ら い 尽 く す !!
「じゃあね。それと、もう少しまともな御守りを使いなさい」
キィ・・・
入ってきた時と同じように、かすかな軋みを立ててドアが閉じていく。
音もなく扉が閉まった瞬間−
部屋を守護する108枚の霊符が、1つ残らず消し飛んだ。
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