青い空。
緑の平原。
涼やかな空気。
真っ直ぐに伸びる灰色の道。
僕こと犬養良(いぬかい りょう)が十年ぶりに踏んだ、麗しの大地。
北海道は-
「「「いーぬーかーいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!」」」
「だから誤解だってぇぇぇぇぇぇっ!!」
「「「信じられるかああああああああああ!!!!!!!!!」」」
・・・・・危険とスリルに満ちていた(泣)
「やれやれ・・・・」
バスの後部座席に収まると、自然にため息が漏れた。
観光シーズンの車内はそれなりに混んでいる。目的地まで三十分かかるそうだから、座れて良かった。それに一時間に一本しか来ないから、すぐ乗れたのも幸運だった。
圧搾空気が吐き出され、車体が震える。
バスが動き出した。
車窓から辺りを確かめ、僕は呟いた。
「無事に撒(ま)けたかな?」
「あは。良くん、人気者だねっ」
「あのねぇ・・・」
「うふふ♪」
じと目で空さんを見ると、邪気のない笑顔が返された。
ディーゼルエンジンの重い響きを感じながら、僕たちは南へ向かう。
肩を並べて。
札幌の街を抜けて−
(・・・・・・・・・・)
僕の膝に乗せたナップザックが、もそりと動いた。
ザックの少し開いたジッパーに顔を近づけ、中を覗き込む。
「イヨ君、苦しい?」
(そうだな。やはり外が楽で良い)
「わかった」
ザックの口をくつろげると、イヨ君が装束をひらめかせて飛び出てきた。
軽やかな身ごなしで、僕の肩に降りる。
(忠告するが、あまり我に話しかけるでないぞ)
「なんでさ?」
(我が姿はおぬし等にしか見えぬゆえな。周りが奇異に思おう)
「・・・・なるほど」
たしかに、”何もない”ところに話しかけてたら、知らない人にはただのアブナイ奴でしかない。
肩にやっていた視線をなるべく自然に窓へ向けると、空さんと目が合った。
「いま思ったんだけどね」
「うん?」
「サポさんの術を解かなきゃ良かったんじゃない?」
「・・・・さっきは僕たち全員にかけたでしょ。解かないとバスに乗れないよ」
「無賃乗車できたのに」
「しないって」
たまに見せるいたずらっ子な表情を浮かべた空さんに、僕はただ苦笑した。
「それに姿を隠したままじゃ、椅子にも座れないよ」
「あ、そっか」
僕はナップザックの口を閉じると、窓の外を眺めた。
光の加減か、不思議に外が白っぽく見えた。
昨晩、僕と美守さんと同じ部屋に泊まったことは、朝食が終る頃に修学旅行の参加者全員が知っていた。
学校の人気者で名物教師でもある大上美守先生。彼女の言動は、常に耳目を集めてる。
その人気先生が修学旅行で、近親(という事になってる)とはいえ男子と同宿したのだから、生徒の騒がないはずがない。
もちろん皆が想像するような事は一切なかったわけだけど、質問尋問その他追及への処理が大変だった。札幌に向かうバスの中でも、ろくに風景を見てない。あまりのしつこさに、ナップザックの中にいたイヨ君がキレかかったくらい(ザックが今にも中から突き破られそうで、同級生への対応よりイヨ君のが心配だった)。
僕には、札幌で自由行動になったら同級生(特に男子生徒)が一斉に牙を剥くのが、簡単に想像できた。
・・・え?
「出発前の騒ぎは何だ」って・・・?
いや、あんなの”準備運動”だし。
ともかく札幌で過ごす時間を考えて気が重かったんだけど、僕の悩みはものすごーくあっさり解決してしまった。
担任の注意を受けてバスから降りた瞬間、同級生が僕たちを見失ってしまったのだ。
「あの二人、どこ行った?」
「いま降りたばっかだろ!?」
「わかんねーっ!」
僕らの眼前にいながら、僕らを探して右往左往するクラスメートの姿は、なかなかの見ものだった。
「私たち、ここにいるのにね?」
「みんな、目がおかしくなったのかな」
「それはないと思う・・・」
ふと空さんが、僕のナップザックに目を向けた。
「サポさん(イヨ君)、何かしました?」
「察しが良いな、空殿」
イヨ君がジッパーの隙間から頭を出した。くくく・・・と低く笑う。
「狩りの待ち伏せの応用よ。我らの気配を断ち、風の流れを少々操る。
賢者か痴愚でもなくば、察知すること叶わぬ」
「イヨ君、自分一人じゃなくて、他の人にも掛けられるようになったんだ」
昔からイヨ君の姿隠しは名人芸だったけど、自分専用だったはずだ。
するとイヨ君は、やれやれと言わんばかりに首を振った。
「ウタリ(同胞)よ。我とてウタリの居らぬ十歳(とおとせ)を無為に過ごしたわけではないぞ。
人の子とて「三日会わざれば刮目せよ」と云うであろ。この程度の術、児戯に等しい」
「へぇ〜・・・って、ちょっと待った」
「如何した」
「そんなに姿隠しが簡単なら、僕のナップザックに隠れる必要ないんじゃないの?」
いくらコロポックルが小さいといっても、ナップザックの中はやっぱり狭いと思う。
「わかっておらぬな、ウタリよ。同胞(はらから)の懐にあって気安にするは、我ら狩人にとり無上の心持ちぞ」
「ふ〜ん・・・・・・・?」
よくわからない。
「いやさ、そのような事はよい。一刻も早く行こうではないか。時は止まらず、今日という日は短いものぞ」
「そうね・・・みんなには悪いけど行きましょ、良くん」
「う、うん」
とはいえ姿を隠す事は意外と神経を使った。それはバス停に向かう短い道のりだけでよくわかった。
何しろ相手はこっちが見えないんだから、平気でぶつかって来る。
空さんやイヨ君はともかく人並みの運動神経しかない僕に、四方から突っ込んでくる人波を避け続けるのはとても難しい。
便利な術かもしれないけど、人間向きじゃないね・・・
というわけで、みんなの追尾を断ち切った僕らは地元の路線バスに乗り、一路郊外へ向かっている。
なお、クラスの連中が騒いでた時、別の組の面倒を見ていた美守さんとばっちり目が合い、肩をすくめていた事を追記しておく。
やっぱり、あの人は誤魔化せない・・・
だらだらと続く坂をバスが上りきると、そこが終点だった。
”羊ヶ丘展望台”。
札幌でも五指に入る観光地だ。
羊ヶ丘は知らなくても「少年よ、大志を抱け」の言葉は聞いたことあるよね? あの言葉を言ったクラーク博士の像がある、と言えばわかるかな。
小高い丘の上にあって、札幌の町並みを南側から一望できる。ちなみに入場料五百円也〜。
自分にだけ「姿隠し」をかけたイヨ君を左肩に載せ、てくてく歩く。
すでに日も高くなっていて、平日でもそこそこ観光客がいた。
人の流れに従っていくと、やがて−
「うわあ〜〜」
「北海道に来たら、一度はここに来たいよね」
「うんっ♪」
歓声を上げる空さんに、僕も楽しい気分になる。
青々とした野原。
すっくと伸びる常緑樹。
麓にどんと構える、銀色の札幌ドーム。
額も眩しいクラーク博士の堂々たる立像。
そして昭和の大芸能人イシハラ様の生首・・・・・・・もとい、頭像。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・なんでイシハラさんなの?」
「なんか、札幌の歌が大ヒットしたからって・・・」
「なんで、プロ野球の記念碑なの?」
「目ざといね、空さん」
いや、生首が目に入ったら、嫌でも気がつくはずだけどさ。
空さんと僕は、三十人くらいの手形が貼り付けられた記念碑を見た。
そして同時に、無言で目を逸らした。
・・・いくら有名な観光地でも、建てればいいってもんじゃないと思うんだけど。
生首と野球チームの記念碑を軽やかにスルーして、僕らはクラーク博士の足元に戻った。
うん。クラーク博士だけのほうが、風景がすっきりしていい。
「良くんっ、あれ羊さん、羊さん!」
「けっこう居るね」
「でも・・・もこもこしてないよ?」
展望台の下に広がる野原には、羊ヶ丘の名前通りに羊が放されていた。観光客の賑わいをよそに、もふもふと草を啄ばんでる。
「五月くらいに刈っちゃったみたい」
たしか観光案内にそんな話が書いてあった。
「う〜・・・モコモコのほうが羊さんらしいのに〜」
「そうだね。でも北海道もこれから夏だし、モコモコのままじゃ暑いんじゃない?」
「そうだけど・・・もこもこ〜」
残念がる空さん。よほど「もこもこ」が好きらしい。
イヨ君が鼻を鳴らした。
「いつ見ても鈍重な獣よの。あれでは狩る楽しみがない」
「イヨ君、根っからの狩人だね・・・・」
「何を今さら。狩りと釣りは”男”の仕事ぞ? 狩りを楽しむは本能と思え」
「はいはい・・・」
ふいに、僕たちの耳に甲高い声が届いた。横に顔を向ける。
子供たちがきゃいきゃい騒ぎながら、クラーク博士の足元で騒いでいた。楽しそうに笑いながら、博士の立ち姿をマネする。ポーズを決めた子供たちを、父親らしい男性がカメラに収めていた。
「たぶん毎日何十人も、あんな風にクラーク博士のマネをしていくんだろうね、空さん・・・・て、いない?」
てゆーか、銅像の足元でクラーク博士のマネしてるし!
撮って撮ってとおねだりする空さんを、ケータイのカメラで撮った。
良くんも〜、とカメラを向けてくる空さんに、僕は丁重にお断りした。
だってイヨ君が映ったら、記念写真じゃなくて心霊写真になっちゃうもん。
それから僕たちは札幌の地図を取り出した。
あれがJRタワー、とか、あそこが北海道大学かな、と指差しながら話す。
「あれ、テレビ塔の展望台に宮藤(みやふじ)さんと松永(まつなが)君がいるよ?」
「宮藤さんて、3班の?」
「うん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
空さんが札幌の街を指差した。その先には・・・たしかにさっぽろテレビ塔がある。
あるけど、ここから何キロ先ですか、アレは。
僕の目には、塔自体が針の先ほどにしか見えないし、ましてや展望台の様子なんてさっぱりだ。
イヨ君が身を乗り出して額に手を当てた。
「ふむ、髪の色の薄い女子(おなご)であるな。空殿と同じ仕着せ・・・せーふくと言ったか? それを着けておる」
「そう、茶髪の女の子ね。松永君と手を繋いで、こっちを見てるの。宮藤さん、わかるかな? やほーっ」
「いや、ぜったい見えないから」
数キロ先の人間を見分けるなんて、フツーの人間には無理デス。
観光客と同じようで、でもちょっとズレた会話を楽しみながら、羊ヶ丘のひとときは過ぎていった。
(・・・・時に空殿、気が付いたか?)
(あ、はい。大上先生・・・美守さんですよね? 向こうの高いビルの屋上でこっちを見てます)
(機嫌が芳しくないように見受けられるが・・・・我の気のせいか?)
(あははは。どうでしょ)
「ん、二人ともどうかした?」
「何でもな〜い♪」
むぎゅっ。
「わっ、わっ、空さん!?」
「ん〜・・良くんて、けっこう腕の筋肉あるんだねぇ〜」
「く、空さんこそ・・・・ム、ムネが(ゴニョゴニョ)」
(空殿。言いたくないが・・・・なにやら向こうで美守殿が髪を逆立てておるぞ)
(んふふ〜。気にしませ〜ん♪)
「空さん・・・歩きにくいんだけど・・・」(あせあせ)
「い・い・の♪」
むぎゅっ。
何故かイヨ君が、肩の上でため息を吐いた。