「まこと、物を知らぬとはすさまじ。村ごとオッカイカムイとメノコクワ(男女の墓標)に化けるところであった」
「仕方ないじゃん! キノコ狩りなんて初めてだったんだからーっ」
「さは言ったとて、リョウよ。いかな素人とて一つや二つ見誤ることこそあれ、獲たもの全て毒キノコなど、ありえようか」
「うふふふふ。それは凄いわねえ」
「一本占地(シメジ)、紅茸、痺れ茸、月夜茸、天狗茸・・・・いずれも見事な毒キノコであったな」
「む〜〜〜〜・・・・・」
「だからりょーちゃん、今でもキノコが苦手なのね?」
「そーだよっ。あの時は僕だってビックリしたんだもん!」
「くっくっくっ。だがウタリよ、我らは感謝しておるのだぞ」
「・・・・なんでさ」
「悪しきキノコの素性を、皆が目と手で確かめたおかげでな。我がコタンは久しく毒に中(あた)った者がない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そういう事だ」
「さすがりょーちゃん、偉いわあ〜♪ 偉い子だから、明日からマッシュルームとピーマンも残さず食べましょうね?」
「どーしてそこにピーマンが出てくるわけ!?」
「ふ〜〜〜〜〜っ」
肩まで湯に浸かると、自然に息が漏れる。
正面に旭川の夜景が広がっていた。
僕たちの街とは空気が違うのだろうか。大きなガラス窓から見下ろす街の灯は、あまり瞬かない。
抑制されたバスルームの照明は、景色を楽しんで欲しいというホテルの配慮だろう。
緩やかに曲がったバスタブに身を任せ、屋外のパノラマを眺める。
(慌しい一日だったなあ)
今日の出来事を思い返しながら、名も知らない星々を見るともなく眺める。
ふいに傍らで水音が弾けた。
「湯を使いながら景色も楽しむとは乙なもの。人も稀には良きことを考える」
バスタブの近くに置いた、銅の洗面器。
顔が映るほどピカピカのそれから、コロポックルがひょこっと顔を出した。
水面から少しだけ出た細い肩は、お湯に当てられてほんのり朱に染まっている。透明な雫が珠になってころころと落ち、たゆたう湯船に波紋をつくる。
しっとり濡れた黒髪をかきあげて、イヨ君はくつろいだ顔を外に向けた。
「リョウの古き住処はどこかのう」
「うーん。あの辺・・・・・かなあ?」
なにしろ十年近く前のことだから、正確な場所なんてわからない。
当てずっぽうで指さすと、イヨ君が首を傾げる。
「我が眼をもってしても見えぬか・・・・」
ちなみにコロポックルは昼でも星が見えるし、夜の森も無灯火で駆け抜けるらしい。
「他の建物の陰になってるかもね」
「ふむ」
イヨ君が洗面器の縁に肘を預け、細い足でお湯を蹴る。
細かな飛沫(しぶき)がぴちぴちと跳ねた。
「ふふ・・・・人界は厄介のみ多かれど、湯浴みの楽しみだけは別よな」
「コロポックルでもそう思うんだ」
「我らは本性、清きを尊ぶ民ぞ。なればこそカムイ・モシリの道を預かるのだ。
だが湯浴みは奢侈ゆえ、コタンの風(ふう)に合わぬ」
イヨ君は水面を蹴りながら、「我とてウタリと逢わねば湯を使うことも知らなかったであろ」と付け加えた。
「奢侈ってゼイタクのことだっけ? ・・・・まあ、このお風呂は贅沢だよね」
四、五人並んで入れる広々としたバスタブを見回した。
美守さんが自腹をきって予約したという”1104S”号室は、末尾のSが示す通り”スイートルーム”だった。
どこもかしこもピカピカ、たしかにスイートの名に恥じない豪華さを備えてる。・・・・・・こういう場所に慣れない僕は、少し居心地が悪いけどね。
今いるバスルームにも、ジャグジーとかジェットマッサージとか、たくさんの機能があるんだろう。もっとも、使い方がわからないから僕は触っていない。
「時にウタリよ、美守殿はどうしたのだ? ひどく急(せ)いていたな」
「んー?」
小首を傾げるコロポックルに、何でもないと手を振った。
「美守さんは消灯前の点呼と明日の打ち合わせ・・・・お仕事だよ」
「左様であったか」
美守さん、自分の立場も仕事もすっかり忘れてたみたいだ。呼び出しの電話をもらってから、急いで着替えてた。
どれらい急いでたかというと、僕の真ん前でいきなりバスローブを脱ぎ落としたくらい。
どうしようかと思ったよ、ほんと。
・・・・・・・いや、とっさに目を瞑ったけどね。
一瞬だけ真っ白な”何か”が視界に入ったけど、目の錯覚ということにしておこう。
さらに「りょーちゃんと思い出に残る素敵な一夜を過ごすはずだったのに〜」とか物騒な言葉が飛んで来たのも、きっと聞き間違いだ。
うん、気のせい気のせい。
寝室が二つあることに、僕は心から安堵の息を吐いた。さすがスイートルーム。
そして部屋のカギを決してかけ忘れまいと、堅く誓う。
え?
美守さんと一緒に寝るのが嫌なのかって?
そんなの決まってるじゃん。
何も知らない連中なら、美守さんと一緒のベッドに入ることを夢見るかもね。
でも僕には論外。
だって命が惜しいもん。
ちゃぷっと水音がした。
イヨ君が汗の浮いた額にお湯を当ててる。
小さな顔をふるふる振って水気を飛ばすと、紅い唇に笑みを浮かべた。
「美守殿は真実ウタリを想っておるな。喜ばしきぞ」
・・・・・・どこが?
「めちゃくちゃイジり倒されてる気がするけど」
イヨ君と美守さんの暴露合戦を思い出して、口を尖らす。
僕の恥ずかしい思い出をずらっと並べて、何が喜ばしいのやら。
「なればこそ」
小さな友は洗面器の縁(ふち)に両手を置き、顎を乗せた。目を細めて僕を見つめる。
「思い出の多きは想いの深きよ。汲めども尽きぬ話の泉は、我らの心の宝であるぞ」
「あんまりイイ宝じゃなさそうなんだけど・・・・・・・・」
イヨ君は喉を鳴らした。
「くっくっく・・・モノの価値は見る者により変わるもの。心するがよい」
「ふぅん・・・・」
何だかなあ・・・?
「えっと、イヨ君」
「何ぞ?」
「明日はどうする? 僕たちは札幌へ行くんだけどさ」
「サッポロか。無論、同道せん。我ら十年の空隙を埋めるに、わずか一昼夜ではとても足りぬ」
したり顔で頷くイヨ君だけど、サッポロがどこにあるかわかってんのかな。
「ここから遠いけど、大丈夫?」
問いかけると、イヨ君が洗面器の中で立ち上がった。
両手を腰に当て、胸を張って僕を見る。
「心配無用。我を誰と考えておる。イヨイタクトゥイェは門の宰(つかさ)なるコタンの一の狩人ぞ」
自信満々に言い切るコロポックルは、たしかに見た目よりずっと大人だ。
本人が問題ないと言うなら、心配することじゃないだろう。
「・・・・わかった。僕もイヨ君と一緒にいられるなら嬉しいよ」
「さもあろう。我らはウタリ(同胞)なれば、近くに在ってこそ安んずるというもの」
イヨ君がどこか嬉しそうに何度も頷いた。
「・・・・・・そろそろ出よっか?」
「よかろう」
イヨ君は身軽に洗面器から飛び出した。僕はつるつるの床が怖いから、慎重に。
ひんやりした床を踏みしめ、備え付けのタオルを手に取る。
並んで下げられた大小数枚のタオルは、どれもスイートルームに相応しく肌触りのよい高級品だった。
とりあえずバスタオルを腰に巻き、ハンドタオルでイヨ君を拭く。
柔らかなタオルで小さな体をくるむと、
「リョウとの湯浴みは至れり尽くせりであるな。なにか貴人の心持ちがするぞ」
イヨ君が火照った頬に、満足気な笑みを浮かべた。
パジャマ代わりのTシャツとハーフパンツを身に着けて、一人でバスルームを出た。
イヨ君は支度に時間がかかるそうで、バスルームに残ってる。
光を落とした室内は、セピア色にくすんで見えた。
広い部屋はしんとして、耳に残るのはかすかな空調の音だけ。
美守さんはまだ戻ってないようだ。
どことなく寂しげな空気の漂う部屋の片隅で、赤い輝きが点滅していた。
それが何かはすぐわかった。
ケータイの着信ランプだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何とはなしにケータイを取り上げ、液晶を見る。
次の瞬間、凍りついた。
風呂上りの体が北極海レベルまで急速冷却される。
”着信履歴17 とおか くぅ”
”着信履歴16 とおか くぅ”
・
・
・
・
・
・
”着信履歴2 とおか くぅ”
”着信履歴1 とおか くぅ”
五分と置かず記録された履歴は、全て同一人物を示していた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やっば〜ぃ」
ばたばたしてて、すっかり忘れてた。
空さんと『おやすみトーク』するって約束してたんだ。
「怒るかなあ・・・・怒るだろうなあ・・・・・」
頬をぷくっとふくらませた彼女の姿が脳裏に浮かんだ。
そんな表情なのに可愛く見えちゃう空さん。
でもやっぱり、怖いものは怖い。
ちらりと「このまま電源切っちゃおうか」と思ったけど、そんな考えはすぐに消した。
逃げやごまかしの通用する彼女じゃない。
時計の針が二周するだけ考えて、僕は覚悟を決めた。
ともかく謝ろう、うん。
微妙に震える指先で、呼び出しボタンを押す。
ピッピッピッ...
プルル・・・
ピッ!!
「反応はやっ!?」
かけた途端に通じた空さんのケータイ。
あまりの速さに戸惑いながら、受話器を耳に当てると−
「このウスラボケ!」
「はい!?」
「電話おそいよ、何やってんの!?
もっと早くかけて来なさい!」
予想してた言葉より乱暴で、予想外の声が届いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと−
「誰?」