ハガリの熾火(おきび)が再燃していた。
怒号と罵声が城壁に反響し、悲鳴と重なって聞くに堪えない交響曲を奏でる。
罵声を放つのはハガリ人民。そして悲鳴の主は占領軍の兵卒だった。
「北門とテンギ門は駄目だ。戦列が崩壊した」
王城の物見台。
城下を見渡す高所に、ものものしく戎装(じゅうそう)した幹部が集まっていた。
台の下には伝令兵が並び、市街各所との連絡に備えている。
「あそこはノルフの管轄だろう。奴が諦めるとは思えんが」
「真っ先に殺されたとよ。いま五番大隊はシュメが指揮してる」
居並ぶ者が舌打ちした。ノルフは勇猛で知られる大隊長で、貴重な戦闘力だった。
「ったく、ハガリの畜生ども。将軍のいない時にかぎって・・・」
「将軍がいないからだろう」
余計なツッコミをいれた男がジロリと睨まれた。
テッカン将軍は、急きょ出席命令の届いた祝勝記念会へ顔を出すため、先日から城を空けている。山と戦利品を積んだ荷車と共に出立する姿は、多くのハガリ人に見られていた。後にタシュルガンが「視線で人を殺せるなら、あの野蛮人はハガリ人民の数だけ死んでいた」と書き残したくらい、一身に憎悪を浴びながら。
口元を歪めた小男が額の汗をぬぐった。
「どうするね、ファラインザの旦那」
「うむぅ・・」
漆黒の凶悪な鎧武者は、赤熱する市街を睨め付けて唸る。
「ホローン街の拠点に北面の兵を集める。秩序を取り戻せば、烏合の衆など我等の敵ではない。とにかく集まることだ」
「あいよ。おい、トボリク隊からニン隊まで走れ! 北面はホローン陣地に撤収だ!」
ジナのダミ声に数名の伝令が走り出す。
幹部の誰よりも横幅のある男が、禿頭に手拭いをあてた。
「西面を抑える坊主どもは平気かの?」
「さて」
赤髭のがっしりした男が投げやりに言う。
王城の西側は、王国直属の兵士で固められたネンネデー隊が守っている。
彼らは将軍の指揮下にあるが、非常時には隊長独自の判断で行動することもある。暴走しがちな傭兵軍団における、いわば督戦隊だった。
兵卒の間では、王国直属として傭兵を見下すネンネデー隊は評判が良くない。
「ワナブーとカンジだからな。二人ならそう脆くも崩されまい」
好意的な評価を下したのはダァド・ハ隊長だ。二人の青年隊長は、実直な仕事ぶりで幹部の中にも目をかける者がいた。
「ジナ様ーっ」
「おうっ。どうした?」
下からかろうじて届いた細い声に、情報士官の小男が身を乗り出す。
「ザムザ、南の様子はどうだ」
ファラインザの問いかけに、赤髭が眉をひそめた。
「分断されかけとる。兄貴が必死にまとめてるがな」
「むう・・・南も引かせるか」
「おい、今の状況で撤退命令を出せば、潰走しかねんぞ」
ダァド・ハが口を挟む。
「くそっ」
赤髭がいらだたしげに石の壁を叩いた。
「おい、みんな」
報告を聞き終えたジナが、暗い顔を皆に向けた。
「悪い報せだ」
幹部の視線が小妖種に集まる。
「西面の拠点はもぬけのから。誰もいねえとさ」
ジナは一同をぎらぎらした眼で見回し、吐き捨てた。
「ネンネデーのバカども、みんなで仲良く逃げやがった」
絶望と憤怒のうめき声が台上を満たした。
深夜に始まったハガリの反乱は、わずか一夜で占領軍を追い出すことに成功した。
これは市街を知り尽くした住民と、占領軍の弱点を的確に見抜いた指導者の双方が、存分の活躍を示したことによる。
自由を取り戻したハガリは「国王の忘れ形見」とされた女性を主君に戴き、国土再建に乗り出す。女王の後見には、長く友好を保っていた東方のクラク王国がつき、軍を派遣してカーネの逆襲に備えることとなる。
カーネの占領軍は壊滅し、幹部の多くが討ち取られたという。雇われ兵は逃げ散り、勇壮で知られた軍団は儚くも消えうせた。
そして−
運良く(または悪く)反乱の災厄を逃れたテッカン将軍だが。
彼もまた部下と同様、死地に陥っていたのであった。