薬師(くすし)は生と死の境界上にいる。
それは病魔に冒された人々を助けるから、というだけではない。
投薬に失敗すれば、殺されるかもしれないからだ。歴史をひもとけば、そのような例は枚挙にいとまがない。
さらには失敗しなくても殺されることだってある。人は未知の存在に脅威を感じるものであり、薬師は人々の知らない膨大な知識を貯めこんだ生き物だからだ。かつて毒殺者として、あるいは魔女として殺された薬師の何と多いことか。
これは道を踏み外した薬師が少なくない事実を示すものだが、無実の罪に問われて命を散らした薬師も確かにいたのである。
薬師の看板を立てて生きる者は、この宿命から逃れられない。
他者の命を預かる者は、自身も命を賭けねばならないのだ。
そのせいかどうか、熟練の薬師は一種独特の雰囲気を持つ。この雰囲気は、世の名医とも通じるものがある。
「村長、また世話になる」
「よう来てくだすった、先生。待っとったよ」
軽く頭を下げたテッカンを、老人が両手を広げて迎えた。肌に染み付いた日焼けと深く刻まれた皺が、老人の暮らしぶりを物語る。
「おう、お前らあっちへ行け」
村長が顎鬚を振ると、一行の後を追って騒ぎ立てていた子供達が、口々に文句を言いながら離れていった。
「こんな田舎だで、遠来のお客は珍しいんでな。勘弁してやっとくれ、先生」
「構わないよ。慣れている」
薬師は鷹揚に頷く。
村長はテッカンから駄獣の手綱を預かり、引き始めた。
「今回はどれくらい居てくださるのかね」
「一旬(十日)くらいのつもりだ。急で済まないが、宿の手当てはできるかな」
小さな村である。宿はなく、訪問客はどこかの民家へ泊めてもらう。素性の怪しげな者はどこも受けいれないから、野宿するか別の村へ行くしかない。
「ふむ」
老人は薬師一行を眺め回すと、首を傾げた。
「この別嬪(べっぴん)さんは初顔だが、いつ奥さんを娶ったのかね」
「彼女は私達の護衛だ。勘違いしないで欲しいし、皆にもそう伝えてくれ」
行く先々で訊ねられたのだろう。テッカンの言葉には照れがない。アイも聞き流している。
「ほうほう、先生のお守りか。外はずいぶん物騒になっとるようじゃの」
「まあな」
「ふむ・・・・」
村長は手綱を持たない手で顎鬚を捻った。
「先生と子供だけならウチでもいいいんじゃが、若い女がいるとなるとのう。馬鹿息子が失礼しても困る」
「馬鹿息子などと・・・・カドはいい若者じゃないか」
「ありがとよ、先生。じゃが身内は厳しく見んとな」
「いい言葉だ」
テッカンがわざとらしく頷く。能天気な顔で後ろを歩いていたタジーが、さっと首をすくめた。小妖種の反応を見て、アイが口元に意地悪そうな笑みを浮かべる。
「クフワの家がいいじゃろ。息子夫婦が町に出とるから、空きがある」
「任せる」
案内しようと言って向きを変えた老人に、三人と一匹がついていく。
「やあ、先生。ご無沙汰だね」
「先生、いらっしゃい」
「今度は誰の家に泊まりだい?」
「明日にも行くから、頼むよ先生」
「よう先生、待ってたよ」
通りすがりの村人が次々と声をかける。村長がいなければ、その場で店開きするか、どこかの家に連れ込まれていただろう。これを見越して、わざわざ村長が案内したわけだ。
苦笑いして頭を下げる村長に、テッカンも軽い笑みで応じた。いつものことである。
「なんで、こんな冴えない野郎が人気なのかね・・・」
アイが首を傾げた。どこか機嫌が悪そうなのは、慣れてるとはいえ不躾な村人から何度も奥さんかと聞かれたからだろう。
「それが師匠の人徳だよ」
タジーがえっへんと胸をはる。
「んむ。こんだけ村のモンに好かれるお客は、他にいないわなあ」
村長が肯き、タジーが誇らしげににこりとする。
しかしテッカンは喜ぶ風もなく、村長へわずかに頭を下げるだけだ。
「まったく、この愛想なしがねえ」
「薬師に必要なのは知識、求められるのは安心な薬、必須のものは信頼だ。愛想が欲しければ商売人に頼むんだな」
テッカンがぶっきらぼうに応じる。アイは黙って肩をすくめた。
彼はわかっているのである。薬師の立場がいかに脆いものか。そして(文字通り)匙加減一つで、状況はいとも簡単にひっくり返ってしまうことを。
「そうだ、村長。ゴシューのお婆は息災かな」
「む」
老人の顔が曇る。
テッカンはそれだけで察した。
「長くないのか」
「もう一季以上、寝台から降りないのう。ほとんど眠っとる」
テッカンは瞠目した。
「・・・・・そうか」
「村で一番の長生きだでな。よう頑張ってると思う」
「会わせてもらえるかな」
「もちろんじゃとも。婆も喜ぶ」
「ありがとう」
重くなった雰囲気に、アイが怪訝な表情を浮かべる。タジーが小声でアイに告げた。
「ゴシューのおっかさんは、この村で最初に師匠の薬を買ってくれた人だよ」
「私の、恩人だ」
テッカンは遠くを見つめた。
薬師は、生と死の境界上にいる。
常に。