前へ 次へ
Top 目次










「32,33,34,35・・・・おい」


 玉座にだらしなく腰掛けた男が顎をしゃくる。すかさず、果実酒で満たされた杯が差し出された。

 テッカンはふんぞりかえって杯をもぎ取り、戦陣暮らしで伸び放題の無精髭を酒で濡らす。


「んで、ワナブー。首が一つ足りねえのは、どういうワケだ」


「は。最後まで抵抗した奥の院に、城外へ通じる抜け穴がありました」


「逃げやがったか」


「おそらく」


「くそったれが」

 大男はアルコール臭い悪態を吐いた。血走った目で無造作に並ベられたモノを見下ろす。35の生首が70の澱んだ視線を返した。

 老若男女とりまぜた、苦痛と恐怖に歪む首級。すべてハガリの王族だ。


「逃げたヤツは男か女か。歳は」


「ハガリ王の末娘、リィロ・セムノ姫。年齢は12歳です」


「なんだ、ガキじゃねえか」


 げっぷして、再び杯を突き出すテッカン。側仕えの少年が直ちに酒を注ぐ。


「姿かたちと特徴を城の奴らから聞き出して、この国の者に探させろ。生死は問わねえ。賞金は張り込め」


「追跡隊はどうしますか、閣下」


「いらんよ。放っとけ」


 投げやりな上司の口ぶりを聞いて、手掴みで肉を食らっていた小男が顔を上げた。口を開くと、言葉と肉汁が一緒に吐き出される。


「王族は遺すと厄介だぜ、旦那。一人でも生きてると知れたら、小賢しい連中が騒ぎ出す。たいてい偽者だけどよ、いずれ面倒の種だ」


「ふん」


 テッカンは掌中の酒杯を揺らした。


「じゃ、賞金の件は取り消しだ。あと一人分、どっかから小娘の首を持って来い。んで、36人分ずらっと並べてよ、ハガリの血は絶えたと宣伝しろ」


「身代わりですね。本物はどうしますか」


「小娘一人に軍を動かせるかよ。ハガリ全領に回状を送れ。文面は”死に絶えたハガリ王族を僭称する輩は、一人残らず斬首して広場に晒す”だ」


 長口上を言い終えたテッカンは、深い藍色に染め抜かれた敷き布にタンを飛ばした。

 上司へ忠言した小男が、肉汁の垂れた口元に人の悪い笑みを浮かべる。


「つまり、本物を偽物にしちまうワケか。ズルい旦那だな」


「ゲンジ軍団は世界最強だ。ポリ公のマネなんてさせられっか」


「ぽりこう・・・?」


 皆が聞きなれない言葉に首を傾げた。彼らの上司は、時おり奇妙な外国語を使って戸惑わせる。


「ああ、ここじゃバシバ・シチュカ(捕り方)っつったか。ま、ケチなこそ泥連中を追っかける奴らよ」


 テッカンは血に塗れた玉座から立ち上がった。動作とともに、鎧から赤黒い破片がパラパラと落ちる。乾いた返り血だ。


「三日間、兵どもは好きにさせておけ。お前らも勝手に遊ぶがいい。だが三日目の集合に遅れたヤツは鞭打ちだ」


「閣下のお世話は、誰に申しつけますか」


 酒が入っても行儀の崩れない若者が、生真面目そうに問いかける。

 テッカンは鼻で笑った。


「余計な心配はいらん。お前も命の洗濯をしてくるんだな、カンジ」


 鎧をがちゃがちゃと鳴らして大扉へ歩き出す。皆が慌てて頭が下げた。


「おっと、遊ぶ前に、この生首どもを腐らないようにしておけよ」


「はっ」


 再び頭を下げる一同。

 やがて彼らの耳に、「手前ら! 俺様の獲物も残しておきやがれーっ!」と怒鳴る声が届いた。


















 密度の濃い樹林に開かれた細い道。

 駄獣を引く男の足が止まった。

 停止が急だったらしく、駄獣の背で雑多な荷物が音を立てる。

 先を進んでいた子供と女が振り返ると、男が暗灰色の毛玉の前に腰を屈めるところだった。


”ウフー”


 毛玉が軽く唸る。


「そうか。好きにしろ」


”フーッ”


 再び唸って、毛玉が体の向きを変える。男は強(こわ)い毛に包まれた後頭部を軽く叩いた。

 目付きの鋭い女が横の子供に訊ねた。


「今さらだけどね、タジー。どういう肝っ玉の持ち主だ、あの変人薬売りは?」


「さぁ。肝がデカすぎるか、冷やすような肝を最初から持ってないか、どっちかじゃない?」


「お前たち、陰口だったら聞こえない所で話せ」


 咎める言葉が届くも、二人は肩をすくめるだけだ。


「しばらく下の村に留まるが、あまり遠くへ行くなよ」


”ウーフ!”


 鼻息か唸り声か判別し難い音を立て、牙獣は道端の草むらに潜り込んでいった。

 背の高い下草に毛糸玉が姿を消すのを確かめ、男は呟いた。


「やれやれ。気をつけろ、だと」


 テッカンは腰を伸ばし、皮肉げに口の端を歪める。


「ウルルに注意されるとはな」


 薬師は駄獣の轡(くつわ)を取り直した。

 待っていた二人に追いつき、駄獣のペースでのんびりと歩き出す。


「なあ、タジー。アイ」


 呼びかけられた二人が視線で先を促す。


「そんなに危なっかしいか、私は?」

 小妖種の子供、タジーが頷く。


「師匠は隙だらけ」


 護衛の女、アイも言う。


「時々、死にたがってんじゃないかと思うよ」


「・・・・・」


 不本意な顔のテッカンを見て、アイが薄く笑った。


「くくく・・・アンタのそういう馬鹿な所がアタシの飯の種さ」


 ますます憮然とする男だが、女は気に留めず歩みを再開する。牙獣と並んで眠りこけるような無謀な野郎は、死にたがりと言われて当然なのだ。




 森の王と敬う者もいれば、山の神と畏れる者もいる。魔神の手先と恐れる者もいる。見た目から単純に毛玉と呼ぶ物知らずもいる。

 牙獣(ウル)は一見、愛嬌のある生き物だ。

 四つ足をつけば、人の腰丈ほど。手は深い毛に覆われてモップのよう、体格もずんぐりむっくり。のそのそと前進する姿は歩くというより、毛の塊が這う感じ。体毛の薄い頭部すら丸く、子供が泥ダンゴで簡単に似姿を造れるくらい。

 だが、もし人里に牙獣が現れたら、住民は先を争って逃げ出すだろう。「牙獣」の名は伊達ではない。ぱっくりと口を開け、鋭い牙がずらりと並んだ様子を見れば、万人が納得するだろう。もっとも、牙獣に牙を剥かれて生き延びられるかどうかは別問題だが。

 牙獣の頑丈な顎は分厚い木板を噛み砕き、板金鎧すら貫通する。さらに丸っこく短い腕も見た目を遥かに超える膂力を発揮する。それは駄獣の頭を易々と粉砕し、家屋の壁を打ち抜く。山狩りで遭遇した牙獣が、取り囲んだ雑兵10人を一撃で薙ぎ払ったという記録もある。

 諺で「牙獣に血は無し」と言う。これは牙獣に血が流れていないという意味ではない。

「牙獣の前では、親子の血の繋がりなど存在しないも同然」

 つまり親は子を見捨て、子が親を省みず、必死で遁走する・・・・牙獣はそれほど危険な存在なのだ。




「無防備にも程があるってんだ」


 今でこそ少しは慣れたが、彼女にとっても、チビの弟子にとっても、牙獣は圧倒的な暴力と逃れられない死の象徴であることに変わりない。この恐怖は種族や民族を超えた、本能とまで言えるほど根深いものである。

 狗獣(ジュヤート・リカ)じゃあるまいし、とアイは思う。テッカンが櫛で牙獣の毛づくろいを手伝うのを見た時は、気でも違ってるのかと疑った(今でも多少うたがっている)。

 この冴えない貧乏薬師が牙獣と出会った経緯は聞いたものの、社会経験の乏しい彼女でも、いかにあり得ない話かくらいはわかる。怪我を治してやったら後を付いて来るようになったなどと・・・

 牙獣は人とどこまでも相容れない、まつろわぬ孤高の猛獣だ。だからこそ王とも神とも呼ばれるのである。

 男がおかしいのか、あの牙獣が異常なのか。それとも双方が変なのか。

 女は軽く首を振った。


「先生、村が見えたよー!」


 小さな弟子が声を弾ませた。

 道の先で森が切れ、踏みしめられた地面が陽光に照らされている。


「やれやれ、今夜は寝台で眠れるといいけど」


「それよりご飯だよー。たくさん食べられるなら寝場所なんてどこでもいいって」


「こいつ、食欲だけは一人前以上だよな」


「へっへーん。子供はたくさん食べるほうがいいって、師匠も言ってるもん」


「こんな時だけ子供に戻りやがって」


 憎まれ口を交わしながら、二人が足を速める。

 凸凹コンビのような二人の背中を、男は黙って眺める。その口元に、柔らかな微笑が浮かぶ。

 視線に敏感なアイが振り向いた。


「テッカン、なにニヤついてるのさ」


「えー?」


 足を止めたタジーが、師匠と護衛を交互に見る。やがて何事かに気付くと口元を押さえた。


「師匠・・・・ま、まさかっ」


「?」


「この女のお尻でハツジョーしちゃったの? 頭だいじょうぶ!?」


「ば、バカタレ!」


 女護衛がさっと頬を染める。


「ガキのくせに生意気言うんじゃないよ!」


「でもさ、ホントにそうだったら師匠の身が危ないじゃん」


「何だそりゃー!?」


「私を何だと思ってるんだ・・・」


 畑仕事をしていた村人が、賑やかな応酬に首を上げる。

 森の奥から”ウーフ!”と盛大な鼻息が聞こえた。













前へ 次へ
Top 目次