「撃(て)ーっ!!」
矢が雨のように降り注いだ。
鋭い矢尻が革鎧を突き破る。頭を、肩を、脚を貫かれた兵士が地に伏せ、身動きできない体を矢の的にする。
聳え立つ城壁の下、あたら若い命を虚しく散らした兵士たちが屍の山をつくる。
「将軍、これでは兵を無駄にするだけです」
「たわけ、あの程度の矢にやられるのが愚図なのよ」
忌々しそうに舌打ちするのは、煌びやかな鎧に身を包んだ巨漢。
「将軍!」
「テッカン閣下!」
憮然とする部下を置き去りに、最前線へ足を運ぶ。鎧の上からでも骨太の体躯、盛り上がった筋肉が見て取れる。兜の下の金壷眼が、血煙にけぶる街をぎょろりと睨んだ。
「見ていろ、者共! このテッカンが城攻めの見本を見せてくれる!」
「し、将軍!?」
「とおおおおおお!!!」
テッカン将軍が大地を蹴り、取り巻きが悲鳴を上げた。
研ぎ澄まされた刃を輝かせ、たった一人で巨大な城門へ駆け出す猪武者。倒れた兵士を飛び越え、踏みつけ、一直線に。板金鎧が強い日差しに輝き、突進する姿は白い稲妻さながらだ。
城門の上で敵勢を睨んでいた者は、目立ちすぎる姿にすぐ気が付いた。
「隊長! あれを!」
「何だ、たった一人で・・・阿呆か? おい、トマハ・シェク(ハリネズミ)にしてやれ!」
「はっ!」
守備隊が弓を並べて射掛ける。
「ふん、ぬるいわ!」
たった一人で城に挑んだ将軍は、体の前に長柄の武器を掲げ、ぐるりと回す。それだけで旋風が起こり、飛来する矢が反れて落ちる。
「ふん、ふん、ふん!」
気合のこもった吐息が兜の下から噴きでる。城門に近付くにつれ増え続ける矢を、男は武器一本で易々と凌いでみせる。
「テッカン閣下・・・!」
「す、すごい」
「さすが軍神!」
攻め手の陣営から、上下関係なく異口同音の感嘆が漏れる。
反対に城を守る兵たちの間に動揺が広がる。
「なんだ、あの男はっ」
「矢が効かないぞ!?」
「ははははははは!! 貴様らのヘナチョコ矢なんぞ当たるかよ!」
無双の鎧武者は大笑いしながら、ずんずんと進む。城門へ近付くにつれ、彼の前にその巨大さと重厚さが明らかになるも、笑いが消えることがなかった。
「これが百年、街を守ったタマン門か! だが鉄壁伝説も、今日で終わりだな!」
男は勢いを緩めることなく、そのまま城壁へ突進した。鎧と城門が激突し、鈍い音を響かせる。
「門へぶつかりやがった!」
「この馬鹿、我らの大門が体当たりで破れると思ってるのか?」
城壁の影になって守備兵からは狙い撃ちできなくなったが、絶対の守りを信じる兵士たちは歪んだ笑いを浮かべた。
疲れ果てて敵陣へ逃げ帰るところを撃ち殺せばいい、そう思っているのだ。
たかをくくった守備隊が一息いれている間も、城門への衝突音は絶え間なく続く。
その頃、攻城陣地では決死隊の編成が急ぎ行われていた。敵前に孤立した指揮官を救出するためである。
「いつもの事だが無謀すぎるな、あの将軍閣下」
「正直やってられんよ」
無駄死にさせられる突撃隊員が、口をはばからず罵る。兵を死地に追いやる隊長も、彼らを止めない。まったく同意見だからだ。
「オンゲ(亀甲)陣に組み替え! 急げ!」
「閣下を見殺しにしたとあっては、ゲンジ軍団は全軍の笑いものだぞ!」
叱咤と罵声が飛び交う中、大人の体ほどもある長方盾で頭上と周囲を覆った亀甲陣が完成する。
「出陣!」
「おーう!!」
戦慣れした猛者たちが、一糸乱れぬ陣形を保ったまま動き出す。亀甲陣は機動性も突破力もない、防御専心の隊形だ。隙間なく盾を並べた100人ほどの一隊が、まさに亀の如き足取りで城門へ進む。
「隊長! 新手です!」
「ウブミカーマの亀甲陣か。油を持って来い!」
「はいっ」
煮えた油を敵勢にかけるのは防衛戦の基本である。動きの鈍い亀甲隊形など、好餌以外のなにものでもない。
「ゲンジ軍団なにするものぞ。成り上がりの無敵神話など、ここで終わりにしてやる」
味方に数倍する敵陣を睨み、隊長がうそぶく。
と、その足元が軽く震えた。
地震か、と反射的に地面を睨む隊長。天の采配ともいうべき地震によって攻守の優劣が覆った事例は、歴史に少なくない。南方では、地震で一朝のもとに消え去った町もあると聞く。
大事にならねば良いが、と考える隊長だが、揺れは収まらない。むしろ先ほどより絶え間なく響いて−
「たっ、隊長ーっ!」
「なんだ!」
「門が、門が!」
城門の前へ居並ぶ兵士達の前で、信じがたい光景が展開していた。
幾度もの戦争から町を守り続けたタマン門、鉄壁の守りを信じられていた巨大な門扉に、亀裂が生じていたのである。亀裂は衝撃が与えられるたびに拡がり、今や門の上まで達しようとしている。
「ウソだろう!?」
「タマン門が! 鉄の守りがっ」
「うろたえるな! 重装隊、前へ! 弓隊は下がって援護態勢!」
困惑する守備隊を鎮め、即応した命令を出せるあたり、隊長の才覚はなかなかのものであった。
しかし惜しむらくは、彼の能力は、常識の範疇に属する人間を相手にした場合にのみ発揮されるものだった。
「ぐわははははは!! 愚民どもおおおお!」
城門の亀裂から、蒸気のように大声が噴出した。
「その心根に我が名を刻め! 我を恐れよ!」
城門が震えた。
重い、重い響きは、町全体を揺らさんばかり。
「我こそはっ! ミナモトのソンシ・アレキサンダー・シーザー・ショカツリョー・ナポレオン・ケンシン・テッカンじゃああああ!!!」
そうして。
呆然とする守備隊の面前で、百年堅守の門が割り破られた。
この防衛戦を生き延びた数少ない兵士は、後にこの瞬間の気持ちを次のように語っている。
「地獄の口が破れ、メラサスの悪鬼が飛びこんできた」
年代記に云う。
ダサイン・カーネ王の治世十二年目、百年自治を守り続けた町ジッラが陥落す。
テッカン将軍率いるゲンジ軍団は市街を蹂躙し、5万を超える市民が殺された、と。
炎の中で枯れ木が弾けた。
舞い上がった火の粉が夜空に吸い込まれていく。
曇った空は星を隠し、森を湿った暗闇で覆う。
黒一色で塗りつぶされた広大な空間。他に色と呼べるものが存在するのは、焚き火の揺れるこの一角だけだった。
「二仙湯」
「フシユバ3とシュギリが3−」
「排膿散」
「カルエ・カム3、シュギリ3、ショム1」
「附子湯」
「ネルシ5、ネネ5、プラサン4、ショム4、シンク3」
「・・・・本当にその調合でいいと思うなら、試しにお前が飲んでみろ」
「うっ・・・・や、やっぱりダメ?」
「そう思ったなら素直にわからないと言え」
「はぁ〜い」
肩を落とした子供が焚き火をかき回した。炎が弾け、離れて休む駄獣が、ぴくりと耳を動かす。
同じく焚き火から少し離れた木の根元。幹に体を預けた女が欠伸をした。癖のない黒髪の下で、いつもは鋭い眼差しが眠そうに細められている。
「朝から晩まで、二人ともよく飽きないもんだね」
男は首を少しだけ曲げ、眠たげな女の顔を見た。
「アイは生きるのに飽きた事があるか?」
「なんだい、テッカン。何が言いたいのさ」
「薬師(くすし)にとって、学ぶことが生きることだ。世界は広く、知るべき物は限りない。学ぶことに飽きた薬師は死ぬべきだろう」
顔を戻した男は、うつらうつらする子供を見て、まだコイツは実感できてないだろうがな、と付け加えた。
両手を頭の後ろで組み、女が木を見上げる。
「あたしにゃ、先生の考えがわからないね。そこまで入れ込むほど、素敵なお仕事なのかい」
「私にはな。それと忘れてるみたいだが、お前が生きてるのはその”素敵なお仕事”のおかげだぞ」
「ふん」
女は忌々しげに鼻を鳴らした。
「おかげであたしは、うだつの上がらない貧乏薬師のお守りさ。ありがたくて涙が出るね」
「あの時放っといたら、今頃は流す涙もないサレコウベだろうな」
「まったく! 口の減らない男だね」
憤然として女が口を尖らせる。すると男が体ごと振り向いた。
真っ向から視線を合わせた男の口に、穏やかな笑みが浮かんでいる。
「な、何だよ、変な笑いをしやがって」
一瞬、男の笑いが消え、変は余計だと言い返す。しかしすぐに元の表情に戻った。
「私は純粋に嬉しいだけだよ。アイが元気になったからな」
「なっ・・・」
女が絶句する。男はさらに笑みを深くした。
「だから私は薬師をしているんだ」
「うっ・・・くーっ。わ、ワケわかんねーよっ!」
顔を赤くして怒鳴る女に、男はただ柔らかな視線を送るだけだ。
そしてそんな二人を、小さな子供が興味深そうに見物している。
今でこそ、こうして馴れ合う二人だが、初対面の印象は最悪だった。というか、最悪以前の問題だろう。何しろ彼女は、犯罪組織から送り込まれた殺し屋だったのだから。
命のやり取りまでした男女だ。それが一方は女の命を救い、もう一方は男の護衛となって傍にいる。
子供は運命の不思議に感心すると同時に、薬師という仕事の凄みを改めて思うのだった。
「でもボクは」
ぎゃあぎゃあと喚く女を片目に、焚き火を突付く薬師見習い。
「こんな剣呑な患者に惚れられたくないなあ・・・」
「誰が惚れるかーっ!」
片隅でうずくまる駄獣が、煩わしそうに耳を伏せた。